4
置きっ放したら、
また食べられてしまうからね?
安藤のその落書きのような言葉が、サントラをループしてた頭の中で、くるんと回った。
窓から入り込む温度が少し下がった気がして、ふっとイヤホンを外してみたら、もうグラウンドからも声がしなかった。
陽はもうすっかり落ちてきていて、群青にオレンジ色の空が飲みこまれようとしている。
うーっと伸びをして、目をこすれば準備室もずいぶん暗くなっていた。
手元が見えにくいはずだ。そんなのに気が付かないで、筆先ばっかり見てた自分に呆れてしまう。
少し腹も減ってきた。そうか、昼飯代わりのケーキも食べ損ねた。
「安藤に食われちゃったからなぁ…。」
誰が聞いてるわけもないのに、そう言い訳を呟いて携帯を出した。
そろそろ、大庭も店を閉めるだろうか。
夕方には売り切れてしまうから、案外店じまいは早い。
飲みに誘おうとしたら、ドンッ、と雷のような音が鳴った。
なんだ?!と窓の外を覗くと、またドンドンと響く。
「あぁ、そっか…。花火か。」
そういえば今日は花火大会だと、安藤が言っていた。
生徒指導に当たると教師たちは、何人かのチームで祭りを見回りに行く。今年はその当番から外れたことに“ラッキー”なんて思ってた。
好きにさせてやりゃいいじゃん、なんて思ってしまうものだから、取り締まって歩くなんてとてもじゃないけどできない。
結構色々考えてるだろ。あの年なりに、持ってるもん総動員させて一生懸命考えてたりするんだよ。
間違えてても、叶わなくても。
そうじゃないよ、こっちだよ、だなんて。
どれがそいつの正解になるかもわからないのに。
「俺が言えた立場じゃねーよ、なぁ。」
描きかけの絵は、これで六枚目だった。
パズルのように組み合わせて、そうしたら完成のはずなのに、いくらでもそのパーツは増えていく。
ドン、とまた響いた。
結構会場から美術室は離れてるはずなのに、ここまで聞こえるのかと思ったら、好奇心が沸いた。屋上からなら、花火が見えるんじゃないか。
そうしたらきっと特等席じゃないか。
思いつきに少し気持ちが上がった。階段を駆け上って、屋上へのドアに手をかけた。
ギィっと錆びた音がして、ほんの少し明るくなった先へ行くと、遠くになんとか花火が見えた。
こんなの見るの何年ぶりだ?と、ちょっと楽しくなってしまっていたら、カチャンと音がする。
薄暗い先に目を凝らすと、薄茶色の目を真ん丸にして驚いている、
「‥‥センセ?」
安藤がいた。
時計を見た。
約束の二時はとっくに過ぎていた。
「ごめん、ちょっと寝てた。」
そういってしまえば、別に誰も何も怒らないし何も言わない。またかよーなんて、キクが笑うくらいだ。
なのに、まるで縛り付けられたみたいに体は動かなくなった。
割れた瓶と、散らばった星の砂。
そればっかりがチラチラと目の前で揺れていて、わかってしまった心の中に刺さっていく。
そうか、俺は圭吾が好きなんだ。
圭吾が大事。
俺のこと、わかってくれるのは圭吾しかいなかった。
あの星に、ずっと閉じ込めたかった。
浅はかな自分の願いが、とんでもなく黒い。
独り占めしたいなんて、本人に言える訳もない。
ただの砂じゃねーか
圭吾は、きっと。
俺を閉じ込めてしまいたいなんて、思ってないだろう。
一緒に、小さく丸まっていられたらいいなん思わないだろう。
散々泣いた目は、腫れぼったくて重たかった。
まだ鼻水がズルっと鳴って、ベタベタの頬は気持ちが悪かった。
そして。
圭吾もそう思うだろう、と。
はぁ、とため息を無理矢理吐き出した。
仮にも、これは星だ。
星の砂だけど、圭吾がくれた星には違いない。
何かに執着する自分が初めてで、ここでこの気持ちを俺が抱いて守ってしまったら、終わると思った。
何もかも、終わる。
半身をもぎ取られそうで痛かったというのに、完全に離れてしまったら?
それでもいい?
机の上の星を、かき集めた。
ガラスが指に触れて、何箇所か切れたけど、構わなかった。
必死に集めて、集めて、握りしめた。
そうだ、何食わぬ顔で裏山に行こう。
そこでこの星を置いてこよう。
この辺りで1番高い場所に、せめて。
グスっとまた溢れそうな涙を腕で拭った。
物音を立てないように、静かに家を出た。スニーカーを履く音すらやけに響いて、頭がぐわんと揺れる。
家から裏山まで、歩けば15分。
自転車に乗ろうとして、手に握った星を思い出してやめた。
早く解き放ってしまいたいのに、どんどん星を握る手に力がこもる。
歩きながらちっとも前が向けなかった。
あの踏切を越えたらもうすぐだ。
もう、すぐ。
「おい!なにやってんだ!」
声がした。
ハッと顔を上げたらびしょ濡れの圭吾がいて、俺はやっと雨が降ってることに気がついた。
俺に駆け寄ろうとする彼を、
「来んな!」
と、咄嗟に止めた。
なんて説明すんの?
好きだと思ってしまったから、お前がくれた偽物の星を捨てに行きます。
言えるか?そんな事が。
ただ、ずっと大事だったのに。
どんどん増える仲間の輪に、嫉妬してるだなんて。
俺をじっと見る圭吾の眉間に、シワが寄った。そんな顔、見た事なかった。
唇をぐっと閉じて、眉間に力込めて。
まるでもう、大人みたいだった。
星を握る手が、チクチクする。
さっき切れた指が、痛い。
痛い。
「あのさぁ。」
言い訳を絞り出したつもりだった。
寝ちゃってた、と言うつもりだった。
「俺、さぁ。」
「‥‥ん?」
なのにその一瞬、圭吾の眉間のシワが解けた。
ん?ってちょっと傾げた首。まゆがふわんと上がってくのは、いつも俺に見せる顔だ。
あの時と同じ。
もう泣くなと、この星を握らせた時と。
同じ。
「‥ 圭吾のこと、好きなんだよね。」
こぼれた想いは、とんでもなかった。
え?と一瞬で彼が怯んだのがわかったのに、俺は妙に心が静かだった。
「俺。圭吾が好き。」
降る雨が、手の傷に染みた。
ズキン、とまるでそこが心臓みたいに跳ねて、握る手がどんどん熱くなってった。
目を丸くして口までぽかんと開けて、それでも圭吾は、手を伸ばそうとしていた。
きっとこの握りしめてる俺の手を、繋ごうとしてる。痛みを、包もうとしてる。
この星がただの砂だと笑うこいつは、本物なんかじゃないというくせに。
誰より俺の痛みには敏感なんだ。
きっと訳がわからないはずなのに。
好きだなんて、理解できないはずなのに。
そんなものより俺の手を、握ろうとしてる。
ぶわっと、目が覚めたみたいだった。
そうしたらまた涙がおかしいくらいにこぼれてきて、星を握ったまま必死に袖で拭った。
独り占めしてどうすんだ。
こんなに、俺のそばにいる人を。
遠くで、電車の近づく音がした。
あっという間に赤く点滅して、遮断機が下りたのを見て、まるで長い長い映画の幕が下りたみたいだった。
ただ、大事で。
もう圭吾は自分の半分で。
それが「好き」だと言うのなら、
もう、仕方ない。
叶うとか叶わないとかじゃなくて。
仕方ないじゃないか。
だってもう、“そう”なんだから。
走りこんできた電車が、俺と圭吾の間を走る。
そのとき、俺は星を撒いた。
雨でどこに飛んだかもわからなくなったけど、
でも。
赤い点滅の中に、確かにそれは光ったんだ。
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