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あれは、ケーキ屋の開店祝いだと幼馴染が集まったときだ。
中学で一緒になった仲間は、たまに会う。
それぞれ違う高校に行ったし、その先の進路もまばらだったけれど。
たまたま、大庭がオープンさせた店が俺の家から近かったから、その流れで集まった。
当の本人は店の奥で寝泊まりしていて、そこで祝いと称した飲み会だ。
久々だった。
なんとなく、それぞれの近況は知ってはいたけど。
大庭はケーキ屋をオープンし、
俺は出身中学で美術の教師に。
風間くんは、結構でかい会社に入ったらしいし、
キクは実家の呉服屋を継いだ。
それと、ここには居ないけれど。
もう1人、仲間はいる。
あんまり、誰も口にしないけど。
酒も進んで、つまみも大方食べ尽くした頃。
大庭がが、風間くんのカバンからはみ出したTUTAYAの袋を、目ざとく見つけだした。風間くんがトイレに立った隙に、さっと取りだしたと思ったら「ちぇっ」と唇を尖らせた。
「なんだぁ。わざわざ一枚だけなんて、相当お気に入りのやつなのかと思ったのに。」
「一枚だけエロいの借りる勇気が、お前にはあるのかよ。」
緩めていたネクタイをシュッとほどいて、そのへんにほおり投げたキクがニヤニヤと大庭に言った。
「あるわけないでしょ!そんな恥ずかしいことしないよ!でも、風間くんならできると思うじゃん!!」
「しねぇわ!」
大庭の大声に部屋に戻った風間くんが、座りながら肩をペシッと叩いた。
Yシャツを雑に腕まくりして、少し酔った顔は二重の幅が大きくなってる気がする。
「じゃぁ、なに?」
俺がそう聞くと、少し戸惑ったように風間くんは「なんでもねぇよ。」と、大庭の手からDVDを取り返してカバンに押し込もうとした。…のに、それはまた、さらっと横からキクの手がかっさらった。
「何?邦画でしょ?いいじゃん、見ようよ。」
「おい!やめとけって!」
「なんで?俺なんかこれちょっと聞いたことあるよ、タイトル。なんだっけ、原作が小説の…。」
「…そうだよ。もう返せって。」
「いいじゃん。気になってたし、見せてよ。」
ふいっと宙に舞ったそれは、軽々とデッキ前に座る大庭の手に渡る。
部屋の主は、何のためらいもなくそれを再生させた。
風間くんは、苦々しくため息をついたかと思うと、残ってた酒をぐっと煽った。
映画は、静かに始まった。
静かな夜の公園。
まだ薄暗いその中を、男女が歩いている。
あ。と、思った時には遅かった。
チッって風間の舌打ちが聞こえた気がしたのと、
彼はどこに行ったのだろう。
私ではない誰かと。
そんなモノローグと一緒に、ベッドの上で恋人同士がキスを繰り返すリップ音…と、
『なおこ。』
と、ヒロインを呼ぶ声にみんなが息をのんだ。
恋人の頬を両手で包み、これでもかと甘く名を呼ぶその人が、ここに居ない仲間だったからだ。
「…え、あ。これ、圭吾じゃん。」
大庭がそう、ぼそりと呟いて、
キクがゆっくりと俺を見た。
その心配気な視線に戸惑って振り返れば、風間くんが痛そうな顔をしていた。
だから、わかってしまった。
風間くんがなんで痛そうに、顔をゆがめるのかも。
恋人役が圭吾だとわかった瞬間、どうしてキクが俺を見たのかも。
「…ほんとだ。そっか‥役者まだやってたんだ。」
って言った俺の声は、ぼんやりと落っこちて、なんの誤魔化しにもならないことも。
ちゃんとわかってしまった。
こんな時を越えてから、気がつくだなんて。
なんだ。知ってたのか。
キクも、風間くんも。
だから、か。
オオハタケイゴの名前があんま出ないのは。
耳に流れ込む、ストリングスの調べ。真夏の昼間だと言うのに、まるで深夜のように空気は浮遊する。
ピアノが星屑のようにポロポロと鳴り、ビロードの布にビーズをばら撒いたよう。
サントラなものだから、時々あの映画のセリフが入る。
『ずっと、好きだったよ。』
『なおこ。』
それは、オオハタケイゴの声だ。
聞こえるたびに、奥歯を噛んだ。
俺の知ってる圭吾の声じゃない。でも、似てる気がした。あの時、踏切で俺を呼んだ声に。
小さめのキャンパスに、厚く絵の具をのせる。その中には、混ぜ込んだラメが時折キラキラと光った。
いくら扇風機の風を浴びても汗だくだ。ちょうどサントラが一枚終わったところで、あ、と気がついた。
「やべ。ケーキ。」
準備室の冷蔵庫に入れるつもりだったのに、教室に置きっ放しだ。しかも今日はチョコレートケーキだったというのに。
首にかけたタオルで汗を拭って、教室へのドアを開けた。
安藤はもういない。書いてた絵も片付けて行ったようだ。
机の上に大庭の店の箱を見つけて、思わず小走りになった。多分、どろどろに溶けてしまってる。
紙の箱を開けて、中を見て驚いた。空っぽだ。
せんせーごちそうさま。
置きっ放したら、
また食べられてしまうからね?
さっきの紺色の絵筆で書いたのだろう、そんなスケッチブックの切れ端がケーキの代わりに入っていた。
「マジか。」
汗がぶわっと噴き出てきて、それをゴシゴシと首にかけたタオルで拭いながら、もうたまらなく笑えてしまった。
「戦線布告かよ。」
気がついていない振りくらい、できてるつもりだった。
その方が優しいと思うし、一時の気の迷いだろうとも思っていたから。
けど、それが本当の気持ちなわけでもない。
むしろ、俺は嘘つきだ。
だって、あの薄茶色の目は、
圭吾にとてもよく似てる。
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