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煌々としたコンビニで、星野は当たり前のように缶ビールを買った。
さっきしこたま呑んだ上に、全速力で走り抜けた身としては、やや危険な香りがしてしまったけど、彼もそこまで深酒するつもりもないのだろう。
カゴに入ったのは二本だけだった。
「センセーありがとー。」
コンビニから出てきた星野に、ふざけてそう言うと、うるせぇバカ、と頭を小突かれた。
きっと、生徒にもそんな風に接してるのだろうな、と思うとなんか嬉しくなった。
きっと星野の生徒は幸せだ。
「手、繋ぐ?」
ふざけたままそう言うとまた星野は、バカかと唇を尖らせていて、ククッと喉を鳴らして笑いを飲み込んだ。
さっき走った道を、並んで歩く。
心なしか、暗闇がじわじわと解けてきていて、きっと日の出の時間に近づいてる。
あの裏山を頂上まで登るのには、30分はかかるのだ。中学生の頃でさえ。
今の俺じゃ、一体どのくらいかかるってんだ。
その頃には三角形は、多分もう見えなくなってる。
「センセー、間に合わないんじゃないの?」
とぼとぼと歩いてる星野を、軽く小突き返す。
「何が。」
「三角形、このペースじゃ朝日に負けるよ。」
「大丈夫だよ。」
「俺、中学生並みに山かけ登るとかもう無理。死ぬほど走ったから、さっき。」
「ははは!あっせだくだもんな。」
派手に笑った彼は、ほら、とおれの腕を引いた。
車がまるで走ってない、車道をぐいぐいと引っ張って道を横切る。
「こっち。」
「へ?裏山は?」
「何言ってんの?三角形、こっちにあるよ。」
引っ張り込まれた道を見て、足が止まった。
そこを曲がれば見えるのは1つ。
俺らの中学だ。
「山行かなくても見えるよ。屋上行けば。その方が早いだろ。」
「不法侵入じゃねぇか。」
「俺、センセーだっつったろ?」
チャリっと鍵を尻ポケットから取り出して、ふふん、と自慢げに鼻を鳴らした。
裏口をガシャンと開けて、職員玄関のドアを開けた。手馴れた様子で進んでくから、慌ててついていく。
本当に、先生なんだな。
暗いままの不気味な階段を4階までのぼると、あと少しだけの階段が続く。
そこを上りきると古いドアを開けた。
通ってた頃でさえ、開かなかった屋上への扉は、簡単に開いた。
「ほら、間に合った。」
空を差した星野の指先を追って、見上げた。
向こうの方は少し明るいけどでも、確かにまだ見える。
「‥本当だわ。まだ、あるね。」
「な?」
屋上の真ん中に、ごろんと寝転がった星野の隣で同じように転がった。
まだ見える、三角形。けど、どれとどれをつなげばいいか、やっぱりよくわからなかった。
「‥俺さぁ。」
「んー?」
「どれとどれ繋いだら三角形になるか、わかんねぇの。」
「なんだそれ。」
「教えてよ、センセー。」
「そんなの簡単だろ。」
「‥マジ?」
クククと勝手に喉がなる。俺、猫みたいに甘えてんだな、多分、今。
「どれよ。どこ繋いだら三角できんの?」
ちらり、と星野に視線を向けたらほんの少しだけ、彼も俺を見た。ほんのり、微笑んで。
「好きなように、すりゃいいじゃん。」
「‥はぁ?」
「圭吾が好きにしたらいいんだよ、そんなの。決まったことがあったって、それはそれなんだから。」
さっきはバカかって言ったくせに、俺の左手をぎゅっと握って、そのままトントン、と自分の腹の上で跳ねさせた。
トントン。
トントン。
「‥なんか俺、星野を寝かしつけてるみたいなんだけど。」
「だからか、俺、眠みぃ。」
ビニールに入ったまんまのビールの缶が、ゴロゴロと転がった。たぶんもう、泡だらけだ。
役者は、人の何倍もの人生を生きる。
そんなこと言ったやつアホだろ。
ずっとそう思ってた。
たった1つの自分の人生ってやつすら、俺はどこに置いてきたかわからなくなって。
役を抜くために昔を思い出してるなんて、そんな柄でもないって思ってて。
ああ、そうか。
いつだって思い出すのは、この時だった。
夏の大三角形を見た、あの夏の日で。
星野の手を握らずにいた、あのフミキリで。
ここに、俺は置いてきてしまってたんだな。
寝そうになってる星野を、ぽふっと強めに腹を叩いて起こした。
ぐへっと胃のあたりを押さえながら起き上がって、眩しそうに目を細めている。
裏山の方から、朝日が昇ってきていて順番に空も色を変えていく。
三角形は、結局どれが正解かわからなかった。
けど、センセーが好きにやりゃいいって言うから、言うこと聞いてやろうと思う。
「‥圭吾。」
「ん?」
「俺、ずっとファンだよ。」
「‥へ?」
「ずっとお前の、オオハタケイゴのファンだから。」
「‥うん。」
「だから、何も気にしなくていい。頑張りたいこと、頑張ったらいいよ。今度、みんなで見に行くから。芝居。」
泣いてたまるか。
きっと傷つけてるのは俺なのだから。
あれほど甘えちゃダメだなんて、我慢したのに、猫並に甘えてんのは、俺の方だから。
「家、着いたら教えてよ。住所も。」
「‥なんで。」
「ファンレター書いてやるから。」
「なんだそれ。」
「欲しいだろ?ファンレター。」
にぃーっと星野の左頬があがった。
飲むことなかったセンセー奢りのビールは、学校の門の前で星野がヒョイっと一本こっちに投げた。
「帰りに飲めよ。」
「始発電車でビール飲んでるやつ嫌でしょ。」
「それもそうか。」
「センセー寝坊すんなよ。」
「夏休みだもん。」
「マジかよ。」
「マジだよ。」
空はすっかり、明るくなった。
道路まで歩いたら、煌々としていたはずのコンビニが、霞んでしまいそうになっていた。
「じゃぁ。」
「うん。」
「バイバイ。またな。」
星野が、小さく手を振った。
それは、中学のときと全然変わんなくて、ブワッと足元からこみ上げてきた。
ぶるるっと、身震いしそうなほどに。
そのまま右と左に、道は分かれていく。
星野はセンセーに。
俺は役者に。
「‥ぁ、星野!!」
自分でもびっくりするぐらいの大声で、名前を呼んだ。
目を丸くした星野が、こちらを振り返って首を傾げたから。また俺はあの日のフミキリにいるような気がした。
「‥‥ありがとな!」
もう十分大人なんだけど。
すっかり大人なんだけど。
でも、言ってなかったから。
「‥好きって言ってくれて!ファンだってのも!全部。ありがとな!!」
星野の目が大きく見開いて、でもあの時空き地でパピコ食べてた時みたいに、やっぱり口も開いていて、
「口閉じろや。」
って、懐かしいセリフを俺も吐いた。
言われた通りにグッと口を閉じた星野に笑って、俺も手を振った。
またな、って。
車で2時間の距離は、お財布に優しく電車で帰れば2時間以上かかった。
夜中のタクシーは素早い。
始発の乗り継ぎは、恐ろしく悪い。
酒飲んだ後の長距離移動で、部屋に着いた頃にはもう泥なのかなんなのか、わからないぐらいに疲れ果ててベッドに沈んで眠った。
数年ぶりに、星野にメールをして。
しばらくして、詐欺を企てる男になった俺が、稽古でぐでぐでな頃、本当に手紙が届いた。
青い便箋で、相変わらずのきれいな字が並んでいて、俺の名前がものすごくカッコよく見えた。
封をきると、便箋が一枚。
また遊ぼうな。
一言だけ、そう書いてあって
するりと落ちた紙を拾い上げたら、それはあの写真だった。
画素数の少ない、4人の写真。
けど、風間くんの肩を持つ星野の横にどっかの写真をくりぬいたのか、ピースした俺が貼り付けてあった。中学の、俺が。
「‥なんだこれ。」
思わず笑いが込み上げてしまって、うっすら浮かんだ目尻の雫はその所為にした。
ふぅ、と1つ息をついて電話をかける。
2度ほどのコールで、慣れた声がした。
「おい、おっさん。なんだよこの写真。」
「なんだってなんだよ。お前いないからわざわざいい感じの写真探してコラージュしたんだろ。」
「コラージュ!だったらもう少し凝れや!美術のセンセーだろ?貼り付けただけじゃねぇか、これ。」
「あのさ、俺仕事中なんだけど。まだ学校。」
「なんで、電話出てんの?」
「え?圭吾だから。」
「バカじゃないの。」
「だってファンだもん。」
「ほんといい言い訳みつけたよね、それ。」
「じゃぁ。好きだもん。」
「ややこしい。うん、ごめん。ややこしいわ、そっち。」
「だろ?」
「あーそんでさ。いつ見に来る?チケットとるから。4人分。」
「マジで?じゃ、みんなに連絡する。」
「あ、風間くんは俺が渡すから。会社こっちだしその方が早いでしょ。」
「りょーかーい。」
通話の切れた携帯を、ベッドにぽいっとなげた。
狭い部屋でも、一応あるベランダに出れば明るい街でも、なんとなく星が見える。
しまいこんでた古いラジオの電源を入れてみたら、ガガガ!っとノイズが走って、その後どっかのFMが入った。
なんだ、動くんじゃん、なんてつぶやいてみて、また空を見た。
うん。
大丈夫。
心配事もないわけじゃない、でも少ない方だ。
ひとりぼっちも、怖くない。
たぶんまた、青い便箋のファンレターは来るし、頑張った芝居を見に来る人もいる。
三角形は味気ない。どうせなら星型にしようと、星を5つ見繕いながら、口笛なんか吹いてみた。
また遊ぼうな。
5人で。
おしまい
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