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息が整うのも待てずに、ひたすらに走り続けた限界は、測ったように踏切前だった。
この踏切を越えて、少し行った先の住宅街の中に星野の家がある。
中学を卒業した後は、もうこの町を出てしまったから、その後のみんなが今何をしているかをまるで知らなかった。
連絡先を、知らないわけじゃない。
時折届くメールにも着信にも、まるで返事をしなかったのは俺だ。
そのうちにそんな連絡も来なくなって、そんなもんだと思いながら、キリキリと苦しかった。
仕事と学校と、慣れない環境と。
確かに自分の周りにあるものに、馴染む努力に必死だったのは確かだけれど。
離れなくちゃ。
って、思いはだんだんその意味を変えていった。
甘えちゃダメだ。
って、いう風に。
だから、酔った勢いとはいえタクシー飛ばしてまでこんなところにいる自分が、荒々しい息の中でまだ信じられない。
さらに。
『‥‥‥圭吾?』
まさか、その声を聞くと思っていなかったから。
鉄の味の喉を抑えながら、必死に呼吸を整えたのに、フミキリの向こうから聞こえた声で、ぶるっと体が震えた。
『‥‥星野。』
『すげぇ!オオハタケイゴだ。』
『なんだよそれ。』
『だってゲーノージンじゃん。握手してよ!』
フミキリを越えて、こっちに駆け寄ろうとした星野を、『来んな!』と絞り出した声で止めた。
驚きいた顔で星野は遮断機のギリギリで立ち止まって、唇を尖らせている。
『‥何してんだよ。こんな、夜中に。』
『そっちこそ何してんの。こんなとこで。』
『‥‥‥大三角形。見に来たんだよ。』
『‥何それ。』
『だって、書いてあったろうが。見てみましょうって。』
『‥‥‥ふぅん。』
『星野は、なにしてんの。』
『え?俺?今、センセー。』
『はぁ?』
『はぁ?ってなんだよ。ちゅーがくのセンセーだよ。』
『‥そこじゃねぇだろ‥今は。つか、先生?』
『うん。美術のね。』
『‥‥へぇ。』
『俺らの中学で美術教師やってんの。だってほら、あそこはさ。』
『5人とも揃ってたところだから。』
踏切の周りには、あの頃と変わらず街灯が1つあるだけだ。
湿気の多い夏の夜は、身体中にまとわりついて気持ちが悪い。全速力で走ったから、汗も相当に。
時折ふおっと吹く風が感じやすくなるくらい、べたついた身体は、いくら手で拭っても変わらなかった。
星野は俺が言った通りに、踏切を越えなかった。
5人とも、揃ってた場所。
そこから1番先に、抜け出た俺は多分簡単にその輪を壊したのだと思う。成り行きに任せたように取り繕っておきながら、星野への言葉に困って都合よく逃げたのだから。
『‥‥‥ねぇ。』
掠れた声に、ん?と彼は頬を上げた。
『‥風間くんなにしてんの?』
『風間くん?えーっと、どっか会社勤め。社名は忘れた。なんか長いから。でかいとこらしいよ。』
『マジか。』
『うん。知らないの?』
『じゃ、キクは?』
『キクは‥‥‥、こっちだよ。実家継いだんだ。〝呉服の菊川〟。』
『大庭は?』
『ケーキ屋。』
『はぁ?』
『ケーキ屋さんだよ?俺、買いに行くもん。いっつも。』
『‥‥‥‥へぇ。』
ジリジリと、スニーカーの底で砂利を擦る。つま先を見るしかできなくて、荒かった息が整ったのが、今更惜しくなった。言葉に詰まる言い訳が一個消える。
知らないみんなの今は、しれっと当たり前に存在してた。たった一言、尋ねれば届いたのに。
ずっとずっと、触れてはいけないものだった。逃げてきた俺が、そこにいない方がいい俺が、知ったらダメだと思ってたのに。
『お前は?』
『‥え?』
『なにやってんの?今。』
ハッとして顔を上げたら、星野はじっと俺を見ていた。
その姿が、あの日と重なってしまった。
雨こそ、なくても。
ちょっと傾げた首と、あの日とは違って少しがっちりした肩と。
けど変わらないダサいTシャツとデニムで、サンダルで。尻ポケットに両手を突っ込んで。ただただまっすぐ、俺を見ていて。
何年も経った。
ここから逃げて、ずいぶん。
けど。
なんでかなぁ、あの手がやっぱり震えてる気がして、ズキリと胸が軋んだ。
こうしよう、とか思ってたわけじゃない。
何せ酔った勢いだったし、ドラえもんみたいだ、なんて言われた街が懐かしくなっただけで。
いや、うん
違うや。多分、俺は迎えに来たんだ。
あの日ここに置いてけぼりにしにたものを。
フミキリを、越えた。
不思議な事に小さな単線のフミキリなんて、二歩でまたげてしまった。
何年もかかったのに。
驚いて目を丸くした星野に、すっと手を差し出した。
『俺、今ゲーノージンやってんの。知ってる?個性派で、名脇役のオオハタケイゴっての。』
そう言って、ニヤリと頬を上げて見せたら星野はすっと手を出した。
『握手、してくれます?』
『もちろん。』
『ずっとファンだったんですよ。』
『お、そうですか。』
『えぇ。ずっとずっと。ずっと、好きだったんです。』
ぐっと、星野の手を握った。
それに応えるよう握り返してきた。痛いくらい。でも、丁度いい。
『‥‥‥元気にしてた?』
だから、やっとそんなことが言えて、
『うん。割とね?』
って、そんなことが帰ってきて、
顔を見合わせて笑った。
夜中に、真っ暗な中で。
男2人手をつないでバカみたいに笑った。
笑って笑って、胸が死ぬほど痛くって。
俺の肩から、ずるっとトートバックが落ちて、まるできっかけを待っていたかのように、繋いだ手をそっと離した星野が拾った。
『そこのコンビニにさ、行こうとしてたんだよね。』
指差した少し先には確かに、あの頃にはなかった店があって、そんな事に気がつかないくらい走ってた自分に笑えてしまった。
『‥‥見に行く?大三角形。』
意地悪にそんな風に言った星野は、俺にバックを渡しながら、センセーがビール奢ってやろうか?とニヤついた。
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