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フランス人形の横には、木彫りの熊。
その後ろにかけられたのはラッセンのパズル。
チラシで折ったらしい籠の中には造花。
恐らくこの花も、新聞紙製だろう。
ばあちゃんちに一通りあったものが、いまここに大集合していて、懐かしいような気だるさが覆う。
店の中だというのに、いくつかぶら下がった提灯。その中の1つが、どうやら破れかけてるらしい。
空調の風でガサザと音を立てる。
『で。なんかなかったの?』
『なんかって何すか。』
『ほらぁ、ドラえもんだってさ。みんなで冒険するんだし、なんかなかったのかなぁ、と。』
ポケットから小さなメモを出したのを見て、苦笑いする。
この人も大概だ。
職業病とは綺麗にまとめたもので、要は俺もこの人も、人の中身に何があるかってのを常々探ってる。
演じるためだなんて、大義名分があるからこそ、余計に申し訳なく思いながらも。
『‥冒険、ねぇ。』
浮かんだのは、あの夏の日だった。
裏山で、ただぼんやりと星を見て、ラーメン食った。
青春と言えば、確かにそういうものだったかも知れない。
『あったかな、そんなの。』
俯いた俺がニヤついたのが分かったのだろう。メモの上にごろんとペンを転がしながら、彼はヘッと笑った。
言いたくないものも、あるもんだ。
ましてや、許して欲しくない思い出など。
許さないでと願う、そんなものの事なんて。
カラになったジョッキを、わざと音を立てて置いた。それでちゃんと察してくれるこの人を、俺は割と頼りにしている。
この仕事をする上でも、飲みにくる友達としても。
『‥つぎ、お前何やんの?』
言われて、詐欺師、と答えた。 次の舞台では、詐欺グループのトップの役をやる予定だった。稽古に入るのは、まだ少し先。
次の作品には関わってない彼が、へぇっと驚いた。
『なによ。』
『詐欺師。そんなのやるんだ?』
『‥なんで?』
『だってさぁ、ちょっと苦悩する爽やか青年系ばっかりだったから。オオハタケイゴって。』
『‥まぁ、そのイメージあるかもね。』
帰り支度を、と携帯とタバコをポケットにねじりこませてると、相も変わらずニヤついている。
『なんだ、とうとう出しちゃうんだ。本性。』
嫌味ったらしい言い回しに、ケッ、とだけ毒突く。うるさいな、まったく。
店の前で別れて、夜道を歩き出した。
ちょうど日付をまたぐ頃。思っていたより遅くなってしまった。
ポケットに手を突っ込んで、とぼとぼと酔いを覚ましながら歩く。
役を抜くために、振り返る。
奴が言ったことが、今更のように刺さってきた。
あるか?そんなことが。
役者になろうと思ったのは、逃げたかったからだ。
あの町から、それから。
星野から。
あの夏休みが明けて、新学期が始まった時はとんでもなく緊張していた。
星野にどんな顔すればいいかが、まるでわからなかったからだ。
好きだ、と言った。
その真意も汲み取れてもないのに、ごめん、なんて言うのはおかしいと思ったし、何よりその一言でぐしゃりと潰してしまう気がした。
なんとか誤魔化せないか?そんなことばかり考えてたら、どんどんどんどん自分の方が誤魔化されていって、もうなに考えたらいいのかさえ、わからなくなった。
教室に入ったら、あの日以来の星野が自分の席で座っていて、大庭と何やら漫画を覗いている。
声をかけるのが躊躇われて、あ、とだけ言った俺に気がついた星野は、
『圭吾、おはよー。』
と、柔らかにわらった。
なんも変わらないで。
ジリリ、と胸がきしむ。
『おはよ!俺あのあとさぁ!風邪ひいて大変だったんだから!だからしょうがないよね!宿題できてないけど。』
『しらねぇよ。』
『圭吾は?大丈夫だった!?』
『うん。‥すぐ帰ったから、そんな濡れてない。』
星野の目が、一瞬だけピクリと瞼を上げる。
『そうだ!星野っち、なんで来なかったの?!綺麗だったのにー。』
『悪りぃ。』
『なになに?もしかして、なんかエッロいのみてたとか?』
『いや?どこにも行ってないし。フミキリとか。寝てただけだから。ごめんね、大庭くん。』
大庭への返事を、俺に言う。そんな違和感も、ふっと逸らされた目が細く伏せられていて。
ちらりと俺の様子を伺うだけで、大庭はすぐに別の話題を持ち出した。
その雑誌には、連載中の漫画の映画化がデカデカと載っていて、ヒロインの女の子がモロ好みだ、と騒ぎ出す。
ヒーローとなる主人公も、話題の俳優に決まっているようだ。
その横に、書いてある文章に大庭が食いついた。彼のこういう、興味を持った一点への情熱はものすごい。
『わ。見てこれ。主人公の親友役オーディションだって!これ受かったらさ!この子に会えるって事!?』
『受かればって、そんな簡単に。』
『よし、これ応募しようよ!圭吾!』
『なんで俺。』
『だって、帰宅部じゃん。俺は部活あるし、頑張って受かってよ!で、俺とこの子合わせて。』
あんな無茶苦茶な理由で、圭吾によって知らぬ間に写真が送られ、拝み倒されてオーディションに出向き、面倒くささに雑な態度をしていたら、生意気なのがキャラに合うとか言って。
いつの間にか俺は、俳優ってのにのしあげられていた。
星野に、何か言う事もないまま。
卒業と同時に、あの街を出た。
役をリセットしに、一旦出発点に戻る。
そんなこと、あるものだろうか。
人の何倍もの人生を生きてるらしい、役者って生き物になって。
確かに、俺は言わないだろうなってセリフを吐いて、俺じゃねぇな、って人のことをひたすらに考えたりした。
けど、そんなのを繰り返し繰り返し。
繰り返し、繰り返しても。
俺は、じゃぁ俺ってどんな人間なんだ、なんて考えたことあったんだろうか。
役を抜く。
って言うか。
俺はどれだ。
歩く足が止まった。
街はこんな時間でも、まだまだ賑やかだ。
喧騒はふわふわと漂って、陽気な空気が所々に落ちている。
ふと、空を見た。
夏の大三角形。
どれとどれを繋ぐんだっけ?
大庭にちゃんと聞いとけばよかった。
ここからそれは見えるのだろうか。こんな、朝まで明るい街で、あの裏山でさえかすかだった星が。
辛うじて、ひとつ、ふたつ、それらしきものが光ってる。
こんなんだったっけ。
あの時寝転んで見たのは。
もっと、もっと。でっかい星だった気がする。
で、三角なんて味気ないのじゃなくて。
星型で‥あれ。
そんなの、あったっけ‥ ?
ぼんやりと見上げていたら、ポツンと雫が額に落ちた。
それは瞬く間に街を埋めて、わぁぁっと皆が屋根に逃げてく。
喧騒の中カンカン‥フミキリの音が聞こえた気がした。
雨。
濡れていく自分の手を見て、思わずタクシーを止めた。
ドラえもんの街の名を告げて、きっと2時間はかかるから、そっと目を閉じる。
たぶん、俺はあそこにいる。
赤い点滅。
雨。
それから。
泣きそうな笑顔が見えた。
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