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夏の夜は湿る。


どうしたって空気がベタベタとして気持ちが悪い。風がなくてTシャツがまとわりつく。でもその不快感も、自転車を漕ぎだすと少し解放された。


生ぬるい風が、ぶわっとTシャツを持ち上げて、落ちないようにベルトに括り付けたラジオが、ガンガンと揺れる。そのかすかな物音が妙に耳に響いて思わず、ぶるっと身震いをした。


そっと玄関を開けたのも、うちの古い門が鳴らないようにこの上なく気を使ったのも、やけに胸をざわざわさせてしまって、裏山に向かう自転車は追われてもないのに高速で走る。


煩い音がない。

でも、静かすぎるほどではない。

その妙な感覚は、背筋に筆で触れられるようだった。


『おぉーい!圭吾!』


前で懐中電灯を持った手を振ってる大庭に、チッと思わず舌打ちをした。今何時かわかってんのか、あいつは。

さっきまで背筋に感じていたソワソワした感覚が、こいつの大声で吹っ飛んでしまった。


『やった!一番乗り俺!』

『ちょっと!おい!うるさいよ!』


ボリューム絞った俺の声に、大庭はあっ!とやっと少し声をひそめた。


自転車で走り抜けてきたアスファルトととはちがって、当然裏山の頂上への道は舗装されてない。とても自転車で上がれはしないので、やむなくそこに止めた。

スタンドを立てる音が妙に響く。見渡す限り、自転車は俺のだけだ。


『あれ?あんたどうやってきたの。』

『ん?走って。』

『なんで。遠いだろ。』

『だってさ!こんな時間外歩くの面白いじゃん!自転車じゃ通れないところ、通っていこうかと思ったんだけどさ。そんな道なかったんだよね。特に。だから、とりあえず走った。スカッとした。』


大庭の、“思ったのとちがって残念だったが、結果面白かった”と言うコロコロと変わる表情が、かろうじて理解できる程度の暗闇。

いつだってあっけらかんとした大庭に、こんな夜中に走ってしまう程の悩みがあるようには全く見えないのに。

声色に集中すると頷ける。深夜の暗闇は、神経の使いどころを鮮明にするようだった。


なんとなくその間が息苦しくなって、チューニングを合わせようと、ぶら下がったままのラジオの電源を入れた。


ピーガガっと、ノイズが走って慌てて音量を下げたとき、大庭が『2時2分。』と呟いて手を振った。


天体望遠鏡を担いだ風間くんと、なんだかよくわからないけどデカイ紙袋を下げたキクが、歩いてきた。

なんだろな。絵になるんだ、この2人は。

同い年なのに、ぐっと俺より大人に見える。

それは風間くんが身につけてる、やたら高いブランドものとか、キクの品ってのはこういう事かと思い知らせるような振る舞いのせいかも知れない。けどそれは、キクのスイッチが入ったときにしか発揮されないのが残念だ。


『星野くんは?』


着くなりすぐに星野を探してキョロキョロとした風間くんは、俺を見ていった。


『圭吾、星野くん来ないの?』

『え?俺なんも聞いてない。』

『ふーん。そう?』


風間の疑うような視線に、思わず目が泳いだ。知らないものは知らない。

あの人は気まぐれだ。

気分変わった、って来ないことだってもんのすごくあり得る。

何だったら、寝てんじゃないか。


星野は割と自分軸で生きている。

世のルールとか、やらなきゃいけないこと、とか。そうやって、縛られることが死ぬほど嫌いだった。

それは友達との約束、みたいなものであっても、彼を確実に動かす根拠にはならない。


風間くんは常々、相手軸の人だ。

だから多分。

興味があるんだろう。星野の生態に。


『とりあえず登ろうぜ。そのうち来るよ。』


キクのその声に、なんでか俺を睨んでたかのような風間は目を逸らした。


裏山といっても。

そんなに高い山ではない。


30分もあればすぐに頂上だ。

キクが小さなランタンを地面に置いて、大庭が懐中電灯を照らし風間くんが望遠鏡をセッティングした。


夏の大三角形。


さしたる興味もなかったというのに。


『うわ、見えるもんだな‥。』


見上げた空にはちゃんと星があった。

薄曇りで、夏の空気の淀みが空を濁すのに、それでも見えた。


『あ!これとーこれとー、あれ!ほらほら!圭吾みえる?』


ご丁寧に宿題のプリント冊子を持ってきていた大庭が、懐中電灯で届きもしないのに空を照らした。


『見えねぇよ。』

『嘘!ほらあるじゃん!ねぇ?風間っち。』

『いやいや、せっかく持ってきたんだからさ。見てよ、こいつで。』


あ、そっか。と、大庭が覗き込んだ。

うわぁ!と声を上げた時、俺のベルトからぶら下がったラジオが、ガガッとノイズを揺らす。


深夜、そんなに放送もない。

他愛もないトーク番組が流れた。ちょっとエロい話をしながら大爆笑していて、それを聞くとはなしに聞きながら、俺と風間とキクは顔を見合わせた。

ニヤニヤとしてしまうのは、まぁ、中学生男子だもん。と、可愛く言ってみたりしておく。


そんな俺らの様子に気がつくことなく、大庭は望遠鏡に夢中だ。

彼の目にはきっと今、靄のない輝かしい星が映ってる。


『きれい?』

そう、聞いた俺に大庭は目を離さず、呆然と頷くだけで、風間はふふっと満足そうに片頰をあげた。


夏休み。

地面にごろんと寝そべってみたら、天井は星だった。

見えにくくて、ごちゃごちゃしていて。

別にどことどこが繋がってようと、まるで興味なんかないし、三角なんかどうでもいい。


けど。


『星って本当にあんだね。』


と、ぼそりと言ったらなんだかとんでもない発見をした気がしてしまって、つま先からぶるっと身震いがした。

あぁ、俺今すごい感動してるんだ。


星野を呼びに行けばよかったろうか、ともぞもぞとしていたら、


『ラーメンどれ食う?』

と、キクが紙袋からカップラーメンを出してきて、俺を上から覗き込む。

今さっきまで、かすかな星空を映していた視界は、一瞬でラーメンに取って代わった。


『俺、どん兵衛。』

『ラーメンじゃねぇな。持ってきてねぇ。』

『じゃぁ、普通の。』

『圭吾の普通はどれだよ。』


『カップヌードルの、赤いやつ。』


俺の代わりに風間くんが答えて、キクがちょっとだけムスッとした。風間、おそらくわざとだ。


『‥三角かぁ。味気ねーな。』


風間くんは、そう言って指で空をなぞった。


『どうせなら星型とかならいーのに。なぁ?』


午前2時半すぎた星空は、なんだか低くて重たそうで、俺はそっと目を閉じた。


星で描く星を、なんとなく見た気がした。

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