第71話

 カレンさんが帰ったあとも、パティは呆然としたままだった。

 窓枠に座り、ぼーっと夜空を眺めていた。


「その、親分」


「……なんだ?」


「うまく言えないけどさ……残念だったね」


「……」


「パティちゃん、パティちゃんは、これからどうするの? ようせいさんたちのおうちにかえるの?」


「……あたいに帰る場所なんてないよ。アイツの……アイツの隣だけがあたいの帰れる場所だったんだ。なのに……」


 パティの頬を涙が伝い落ちる。


「帰る場所がないって、妖精族の里には帰らないってこと?」


 俺の質問にパティが頷く。


「……いままで黙っていたけど、あたいは里から追い出されちまったんだよ」


「追い出されたって……なんで?」


 パティの言葉に驚いた俺は、思わず聞き返してしまった。


「もう、いいか。……これを見てくれ」


 パティがお腹に巻いていた包帯を外す。

 包帯の下には、おへそを囲むようにして白い紋様が描かれていた。


「それは入れ墨?」


「アイナはアザだとおもうな」


「どちらでもない。これはじゅさ」


「呪?」


「ああ。あたいはさ、呪いを宿して生まれてきたんだよ。そしてこの呪のせいであたいは里を追放されたのさ」


 パティが投げやりに言う。

 もう全てがどうでもいい、そんな顔をしていた。


「意味わかんないよ。説明してくれよ。なんでそんなもののせいでパティが里を追い出されなきゃいけなかったんだよ!」


「……なんでシロウが怒ってるんだよ?」


「怒ってない! や、俺はいま怒ってるのか? とにかく、納得できない! なんでその紋様があるだけで追い出されなきゃいけないのさ?」


 自分の鼻がすぴすぴ鳴るのを感じる。

 これは理不尽に対する怒りだ。


「アイナも! アイナもなっとくできない!」


 俺の真似をして、ふんすと鼻息を荒くするアイナちゃん。


「しかたないだろ。だって、そういう言い伝えなんだからさ……」


 自嘲気味に笑ったあと、パティはぽつりぽつりと語りはじめた。


「あたいのお腹にあるこの紋様はさ、妖精族の間で『災いを呼び寄せる』と伝えられてきたんだ。酷いよな。そんなのあたいに言われたってさ、なんにもできないのに……」


 パティのお腹にある紋様。

 その紋様を持つものが生まれると、里に災いが降りかかると伝えられているらしい。


「この呪のせいでさ、あたいは里のみんなから嫌われてたんだよ」


 生まれつき紋様があるというだけで、パティは里に居場所がなく、友だちもできなかったそうだ。

 両親ですらパティを見限り、他人のように振る舞っていたらしい。

 誰にも、両親にすら愛されない。


「生まれこなきゃよかったって、何度も思ったさ」


 パティの話は続く。


「それでも、これまではなんとかやってこれたんだ。でも……里が――里の近くに飛甲蟲が巣をつくっちまってさ……」


 妖精族が隠れ住む里で、パティは蔑みに絶えながらもなんとか暮らしてきた。

 しかし、先日俺が襲われた飛行する巨大ザリガニ――飛甲蟲が現れるようになってすべてが狂ったらしい。


 運が悪かったと言えば、それまでなのだ。

 ジギィナの森には様々な種族が暮らしている。

 天敵である飛甲蟲だってそのひとつだ。

 妖精族の里の近くに巣を作った飛甲蟲。

 飛行蟲は、己より小さなな生き物はすべて『餌』として認識するそうだ。

 かくて飛甲蟲は、森と共に生きてきた妖精を捕食対象として執拗に狙うようになった。


 パティは何度か飛甲蟲に戦いを挑んだ。けれど、あまりにも数が多すぎた。

 妖精たちは儀式を行うときにだけ使っていた洞窟に閉じこもり、外へ出ることができなくなったそうだ。

 妖精は空間収納のスキルを持つ者も多い。それでも、貯めていた食料はどんどん減っていった。


 このままではいずれ飢えてしまうだろう。

 そんな恐怖はやり場のない怒りとなり、やがてパティへ向けられるようになった。

 ただ、生まれつきお腹に紋様があるという理由だけで。


「そんなのただの言いがかりじゃないか! 飛甲蟲が巣を作ったのと、パティはなにも関係がないがないだろ!」


「ある。……あるんだよ。あたいにはこの呪がある。妖精族に伝わる災いの証しがな。だから……関係があるんだよ」


「パティちゃん……」


 アイナちゃんの目にも涙が浮かぶ。

 パティは何も悪くないのに、責任のすべてを背負わされてしまったからだ。


「あたいの名前、パティ・ファルルゥはさ、族長が名付けてくれたんだ。妖精の言葉で、『運命を切り開く者』。呪を刻まれて生まれてきたあたいを哀れんだ族長がさ、呪に負けないようにって、そう願いを込めて名前をつけてくれたんだ。なのに……笑えるだろ?」


 パティのせいだと叫ぶ同族。庇うものは誰もいない。

 差別と批判はエスカレートし、パティの身に危険が及びそうになったタイミングで、族長がこう言ったそうだ。


 ――呪を持つパティを追放する。


 誰も反対する者はいなかった。

 そう。誰も。

 パティ自身もこの追放を受け入れたのだ。

 元から居場所などなかったと笑って。

 妖精にとって夜の森は、昼間よりもずっと危険らしい。

 森には夜行性のモンスターが多いし、魔力で生み出す妖精の羽は暗闇のなか目立つからだ。


 それでも、パティは月夜の晩に里を出た。

 昔から里を抜け出していたパティだからこそ、一人森を進むことができたのだ。

 里を追い出されたパティは、森で会っていた只人族――カレンさんの高祖父のことを思い出した。

 そしてカレンさんの高祖父に会おうと森を飛んでいるときに、


「俺と出会った、ってことか」


「そういうことさ。川で溺れてる間抜けな只人族を助けて恩を着せれば、アイツを捜してくれると思ってね」


「間抜けは余計だい」


「ま、一番の間抜けはあたいだったってオチさ」


 パティはそう言うと、寂しそうに笑った。


「パティちゃん……ダメだよ。そんなのダメだよ」


「なんだアイナ、あたいのために泣いてくれるのかい? 優しんだね」


「ちがうよ……ちがうよ。アイナがやさしいんじゃなくて……ちがっ、ちがうよぉぉ……」


 ぐしぐしと涙を流すアイナちゃんの頭を、パティが優しく撫でる。


「ありがとなアイナ」


「んっく……ひぐっ、パティ……ゃん」


「泣くなよ。アイナが泣いてどうするのさ。そんなに泣かれたら……あたいだって泣きたくなっちまうだろ」


 二人は身を寄せ合い、涙を流した。

 一方で俺はというと、


「ふーむ」


 腕を組み思考を巡らせていた。


「飛甲蟲。妖精の天敵ねぇ」


 無数に解決策を思い浮かべては、いくつかを却下し、使えそうな何個かをピックアップ。


「なあパティ」


「……なんだ?」


「妖精族は里を移そうとは考えなかったのかな?」


「あたいが追放される前にそんな意見もあったみたいだよ。でもさ、里のみんなが住めるような場所は早々見つからないし、そもそも里を移す前に飛甲蟲か他のモンスターに襲われるだけだろうね」


 妖精は果物や花の蜜、早い話が食料の調達以外では里から出ないそうだ。

 その食料の調達だって、里の近場でしか行わないらしい。


「じゃあもう一個質問。いまも里の近くに飛甲蟲がいるんだよね?」


「当たり前だろ。飛甲蟲は一度巣を作ると、どんどん増えていくんだ。あたり一面を食い尽くすまでね」


「なるほど」


 俺は頷き、じゃあと続ける。


「なら最後の質問。パティは妖精族を助けたい?」


「あたりまえだろ」


「同族とは言え、自分を追い出した相手だよ?」


「関係ない。助けることができるなら助けたいさ! そもそもあたいはそこまで落ちぶれちゃないぞっ」


「本気で言ってる?」


「本気だぞっ。族長には名前をもらった借りがあるからなっ。それに……里には父親トト母親カカもいるんだ。トトもカカもあたいのことを嫌っていたけどさ、それでも……うん。あたいの親なんだ。愛してくれなかったけど、愛してほしかったけど、親なんだよ。……助けたいに決まってるだろ」


 ノータイムで答えが返ってきた。

 ずっと蔑まれていじめられてきたのに、パティは一切の躊躇なく「助けたい」と答えてみせたのだ。

 俺はそんなパティを太陽のように眩しく感じた。


「ならさ――」


 俺は続ける。


「里のみんなを助けてみますか!」


 そんな俺の言葉に、パティはぽかんとした顔をする。

 代わりに、アイナちゃんが「あ!」と声をあげた。


「シロウお兄ちゃん、ぼーけんしゃにやっつけてもらうの?」


「正解。冒険者はモンスター退治の専門家だからね。俺が依頼を出してやっつけてもらうのさ」


「そんなことが……で、できるのか?」


「できる!」


 断言する俺を見て、パティの瞳に希望の光が灯る。


「た、頼むシロウっ! どうか里のみんなを助けてやってくれ!」


「任せろ! ま、やっつけるのは冒険者たちだけどね。でもいまは――」


 俺はばさりとジャケットを羽織り、続ける。


「冒険者ギルドへ行こう!」

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