第68話
古強者のドワーフは腕を組み、挑むような眼光を向けてくる。
彼の要求はとてもシンプルなものだ。
「一番強い酒を出せ」
ただその一点に尽きる。
ネスカさんからドワーフ族は大飯食らいで大酒呑みばかり、って聞いていたけれど……なるほど。
開口一番強いお酒を要求するあたり、アルコール耐性には自信アリってわけですか。
「聞こえなかったのか坊主? 酒だ。この間うそぶいていた酒をもらおうか。いまさら冗談でしたとは言わせんぞ」
「フッ、冗談なものですか」
俺は一本のボトルを取り出す。
「これが先日俺が話していた火の点くお酒、『スピリタス』です!」
――スピリタス。
お酒好きなら、誰もが一度は耳にしたことがあるウォッカの名だろう。
日本国内では第4類危険物に該当し、タバコの火程度でも引火の可能性がある、いろんな意味で危険なお酒だ。
そのアルコール度数は、驚異の九六パーセント。
「ふむ。水のように透き通っておるのう。本当に酒か?」
「何度も蒸留を繰り返すことによって無色になるんです。見た目は水でも、匂いを嗅いでみればお酒であることが一発でわかりますよ。それより……本当にこのお酒――スピリタスでよろしいんですか? いまならまだ変更もできますよ。個人的には他の方と同じように、ビールやワインを飲むことを強く勧めますけどね?」
と諭すように俺。
もともとスピリタスなんて、タチの悪いジョークか罰ゲームでしか飲まないようなお酒だ。
純粋にお酒を楽しむ意味でも、できれば美味しいものを飲んでもらいたい。
そんな想いから出た言葉だったのに、
「オイオイオイ、あの兄さんエルドスの旦那を煽ってるぜ」
「まさか『不壊のエルドス』を知らないってのか!?」
「この町は最果ての辺境なのよ。エルドスの名を知らなくてもおかしくはないわ」
「旦那は十六英雄の一人だぞ? 王都なら冒険者どころかガキだって知ってるぞ」
冒険者たちがざわつきはじめた。
どうやら目の前にいるドワーフは、冒険者たちの間では超がつくほどの有名人だったらしい。
「くっくっく」
ドワーフ――エルドスさんが楽しげに笑う。
「このワシを挑発するか坊主。いいだろう、その挑発――乗ってやるわい!」
そう言うとエルドスさんは、木製のジョッキをどんと置いた。
居酒屋だったら、『メガ』の名がつくほどのサイズ感。
これ、ひょっとしなくてもボトルの中身が全部入るよね?
「さあ坊主、その酒をこれに入れろ」
「いや、さすがにその大きさは……」
ずいとジョッキを突き出され、俺は続く言葉を失う。
いくらドワーフが大酒飲みだと聞かされてはいても、イコールお酒に強いとは限らない。
そしてスピリタスは、アルコール度数がめちゃんこ高いお酒だ。
俺としてはショットグラスで飲んでもらうつもりだったのに、まさかメガサイズのジョッキを出されるとは思ってもみなかったぞ。
「どうした坊主、酒が惜しいか? 安心しろ。カネならたんまりとある。心配しなくていい。……むう。なんじゃいその顔は。まさか怖じ気づいた、とは言わんよな?」
といぶかしげにエルドスさん。
俺は頷き、答える。
「……はい。実はちょっとビビってます。このスピリタスは、少量を飲んだだけでも足下がフラつくほど強いお酒なんです。なのにそんなにも大きなジョッキを出されるなんて……。あ、そうだ! まずはひと口分から飲んでみませんか? それで大丈夫なようなら、続いてもうひと口、という感じで小分けに飲んでいって――――って、あれ?」
「……」
見れば、エルドスさんは黙り込み、肩をぷるぷると震わせているじゃあないですか。
代わりに口を開いたのは、冒険者たちだった。
「見ろよ! あの兄ちゃん、エルドスをさらに煽っているぞ!」
「酒をひと口分だって? 完全にガキ扱いじゃないか! エルドスは200歳超えのドワーフだぞ!」
「アイツ、オイラたちドワーフをバカにしてるのか? ドワーフはみんな哺乳瓶の代わりに酒樽抱えて育ってきたんだいっ」
「あの英雄エルドスを子供扱いするとは……なんて無謀な若者なの」
なんか、冒険者たちがざわつきにざわついているんですけど。
違うんです。煽ってるんじゃないんです。
冗談抜きに、マジでこのスピリタスはヤバイお酒なんです。
「坊主、お主ワシを侮辱するかっ! こちとら酒に酔ったことなど一度たりともないわ。ワシを甘く見るな!!」
「してませんし甘く見てもいません! エルドスさん――て呼ばせてもらいますね? エルドスさんは知らないかもしれませんけど、お酒って飲み過ぎると死んじゃうんですっ。嘔吐した嘔吐物が喉に詰まったりして! 俺の故郷じゃ、毎年何人かはお酒が原因で亡くなってるんです。俺が酒を出す以上、無茶の飲み方は絶対にさせません。飲むなら――」
俺はショットグラス(ひと口分しか注げないグラス)をカウンターに置き、続ける。
「このグラスじゃないと出しませんからね」
エルドスさんが持つジョッキに比べると、ショットグラスのなんと小さいことか。
まるで月と枝豆だ。
「その喧嘩買うてやる! 坊主! いますぐ表に出ろ!!」
叫ぶや否や、エルドスさんは上着を脱ぎ捨て、逞しいを遙かに超えたバッキバキな肉体を披露。
あごでくいと外を指し、拳をボキボキと鳴らす。
突然のバトルの予感。
低い。冒険者はケンカまでの敷居が低いよ。
慌てる俺。もっと慌てるアイナちゃんたち。
しかし、救いの手は思わぬところからやってきた。
「エルドス様、落ち着いてください」
「なんじゃいお主は?」
「私は天空神フロリーネに仕える神官で、名をロルフ・フォス・モーツェルと申します」
この窮地に現れたのは、ロルフさんだった。
ロルフさんは、ニコニコと微笑みながら一礼。
俺とエルドスさんの間に入る。
「ふんっ。神官がワシに何用じゃ! 説教でもするつもりか? それともワシと坊主の立会人が望みか?」
「まさか、そんなつもりはありません。ただ、こちらのシロウ殿は私の友人でして」
「ほう。友人とな」
「はい友人です。大切な友人ですとも」
とロルフさん。
怒気を含んだエルドスさんの言葉を、柔和な笑みで見事に捌いていく。
「坊主を庇うつもりか? ワシは二対一でも構わんぞ。その体じゃ。
拳を握り、何かをぶん殴るフリをするエルドスさん。
ロルフさんの体格を見て、ただの神官ではないと見抜いたのだろう。
「ご冗談を。私はエルドス様を止めにきただけです。見ての通り、シロウ殿は争いごとを得意としておりません」
この言葉に俺は全力で頷く。
「ケンカは苦手です。というか痛いこと全般が苦手です。だって痛いからっ」
「いまのシロウ殿の言葉を聞きましたか? お二人がケンカをしても、エルドス様が一方的にシロウ殿を痛めつけるだけで終わるでしょう。十六英雄に数えられるお方が、まさか無抵抗の者を痛めつけるおつもりですか? 今まで築き上げてきた名声が泣きますよ」
「……その坊主がドワーフの誇りを傷つけたのが悪いんじゃ」
拗ねたようにエルドスさん。
ちょっと冷静さを取り戻してきたみたい。
「それはホント誤解です。俺はこのスピリタスを飲むつもりが逆に飲まれてしまい、フラフラになる人を何人も見てきました。俺の店の評価のためにも、そしてここ冒険者ギルドにご迷惑をかけないためにも、なによりエルドスさん自身の健康のためにも、一度にたくさん飲ませるわけにはいかないんです」
「……」
「エルドス様、私の友人の想いを汲んでは頂けないでしょうか?」
「その坊主が言いたいことはわかった。じゃがな、ワシらドワーフは、そんなちびっとな酒じゃ、酒のうちにも入らんのじゃ」
「そうでしょうね。ですから私から一つ提案があります」
「なんじゃ。言うてみい」
「では、」
ロルフさんはそこで一度区切ると、俺に顔を向ける。
「シロウ殿、神官が使う神聖魔法に『
「おおっ! そんなすごい魔法が!」
なんて便利な魔法なんだ。異世界バンザイ。
確かに酔ってるときって、状態異常のようなものだしね。
「万が一にもエルドス様が酩酊し立てなくなった場合、すぐに私が『解毒』を用いて酔いを覚まします。いかがでしょう? この条件ならエルドス様にそちらのお酒を飲ませてみても良いのでは?」
「そうですね……」
俺はふむと考え込む。
飲酒により意識レベルが低下し、嘔吐、呼吸状態が悪化するなど危険な状態に陥り、最悪死に至るのだ。
しかし、その危険性をロルフさんの魔法により解決できるのであればどうだろう?
勇猛果敢な
「わかりました。その条件でならスピリタスをお出ししましょう」
「シロウ殿はこうおっしゃってますが、エルドス様はいかがでしょう?」
「ワシもそれでいい。じゃがな坊主、さっきも言うたが、ワシは酒で酔ったことなど一度も無い。酒はワシらドワーフの血液じゃ。強ければ強いほど滾るというもんじゃわい!」
エルドスさんが俺を睨みつける。
「足下がフラつくじゃと? フンッ。いままで数多の魔物と戦斧を交えてきたが、ただの一度も地に膝を突いたことがないのがワシの誇りじゃ。
冒険者たちから「おお……」と感嘆の声があがった。
背後に立つネスカさんが、ぽつりとこぼす。
「………………どれも伝説級の魔物」
英雄の名は伊達ではないってことですか。
「さあ坊主、その酒をよこせ!」
ジョッキを掲げるエルドスさん。
俺はボトルのキャップを外す。
「一気に飲まないでくださいね? 危ないと思ったらすぐに飲むのをやめてくださいね?」
「ハンッ。ワシがフラつきでもしたら、坊主の頼みをなんでも聞いてやるわい」
「じゃあ、エルドスさんがフラつかなかった場合、俺はどうしたらいいですかね?」
俺の問いに、エルドスさんが笑う。
「今後、坊主が売る酒はすべて
「……わかりました。賭け事は好きじゃないですけど、それでいいですよ」
「よう言うた! さあ、目一杯注ぐんじゃ! ケチケチしてはいかんぞ? 酒はな、杯から溢れるまで注ぐもんなんじゃ」
「はいはい、いま注ぎますよ」
俺はメガジョッキに、スピリタスをどぼどぼと。
「むぅ、確かに酒精が強いのう。いままで嗅いだどんな酒よりもきつい匂いをしておるわ」
スピリタスの強烈なアルコールの匂いに、エルドスさんが嬉しそうに笑う。
そしてこの場にいる全員が見守るなか――
「どれ……んく、んく、んく、んく、」
ジョッキを逆さまにし、喉を鳴らして飲み干しにかかったではないか。
あのスピリタスを。なんのためらいもなく。
あれほど一気に飲まないでって念押ししたのに。
「マジかよ」
「んく、んく、んく………………っぷふぅ。ぐぅ、腹のなかが焼けるようじゃわい。だが……どうじゃ坊主? ワシは酒に酔うているか?」
エルドスさんの眼光は、いささかも陰りがない。
むしろアルコールを摂取したからか、より鋭さを増していた。
俺は降参とばかりに手を上げる。
「お見それしました。俺の負けです」
どうやらドワーフは、お酒にめっぽう強いらしい。
「がっはっは! やっとわかったか。じゃが賭けは賭けじゃ。今後ワシが飲む酒はすべて坊主の奢りじゃからな?」
「わかってます。でもみんなの分まで飲まないでくださいよ?」
「なら精々美味い酒でワシを満足させることじゃな。そうすればワシの喉も多少は潤うかもしれんぞ。まあ、ワシは酔うたことなど一度もないがのう。一度もな! がっはっはっはっは――――――――――きゅぅ」
背を逸らして大声で笑っていたエルドスさんは、そのまま後ろにバタンと倒れてしまった。
「「「「……」」」」
突然の事態に酒場がしーんとする。
俺はすぐに動いた。
そばに駆け寄り、耳元で大声を出す。
「エルドスさん? エルドスさーん!! ちょっと聞こえます――あ、これ完全にダメなヤツだ。ロルフさん、急いでエルドスさんに魔法をかけてください! さっきの酔いを覚ますヤツです!」
「しょ、承知しました」
ロルフさんも、まさかこんなことになるとは思ってもみなかったんだろう。
急いで祈りの言葉を唱え、
『解毒』
魔法をエルドスさんにかける。
意識のないエルドスさんは半笑いのまま魔法を受け、その体をほのかに明るくするのだった。
◇◆◇◆◇
「エルドスさん、俺言いましたよね? 小分けにして飲みませんか、って」
「う、うむ。言うてたような気もするな」
「言いました。俺、ハッキリと言いました! なのに一気飲みだなんて……まったく、ロルフさんがいなかったら、いまごろポックリ逝っちゃっててもおかしくないんですからね?」
「……わかっておる。あの神官にも後で礼を言うておくつもりじゃ」
「当然です。はぁ、英雄だかなんだか知りませんけどね、お酒は本来楽しむために飲むものなんです。なのにあんな飲み方して……お酒に失礼だとは思わないんですか?」
「むぅ……」
俺は意識を取り戻したエルドスさんを叱っていた。
思い切り叱っていた。
「あの兄さん、エルドスの旦那に説教してやがる」
「あんな縮こまった旦那は初めて見るぜ!」
「しっかしよ、膝を着くどころか一発でぶっ倒れてたよな?」
「英雄を初めて倒したのがお酒なんてね。ふふ……わたしも興味があるわね」
「あれなんて酒だったっけ?」
「えと……すぴなんとか言ってたよな?」
「もう『英雄殺し』でいんじゃねぇか?」
「いいなその銘。俺も英雄殺し飲んでみるかな」
「あ、ならアタシもー!」
ざわつく冒険者たちをそのままに、俺はエルドスさんを叱り続けた。
ニノリッチ発祥の『英雄殺し』と呼ばれる酒が、大陸各地を席巻するのはもう少しあとのことだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます