第67話
この日、この夜、この時だけは『いつもの俺』と違った。
――なにが違うのか?
と問われれば、俺を知る誰もがこう答えるだろう。
「あの日のシロウはいつもと違った。具体的には装いが違った」
そうなのだ。冒険者ギルドでお酒を振舞うことになった俺。
お酒を飲むには雰囲気づくりが大切だ。
ならばとばかりに真っ白なシャツに袖を通し、黒のスラックスを穿き、黒のベストを身に着ける。
足元は革靴で固め、首元には蝶ネクタイ。整髪料で髪をオールバックにキメるのも忘れてはいけない。
いまの俺を見た誰もがこう思うだろう。「あ、バーテンダーさんだ」と。
バーテンダーに必要なのは、お酒とバーカウンター。
というわけで、急遽冒険者ギルドの酒場に設置したバーカウンターの中に俺は立っていた。
まあ、カウンターと言っても、木の板と木箱で作った簡単なやつだけどね。
「今日のシローお兄ちゃん、なんかかっこいいな」
「フッ、ありがとうアイナちゃん。アイナちゃんも似合ってるよ」
「えへへ、うれしい」
「よかったわねアイナ」
「うん」
「ステラさんも似合ってますよ。なんか『仕事出来る』オーラが凄いです」
「ふふ、そうですか? ありがとうございます」
アイナちゃんとステラさんも手伝ってくれるとのことなので、白シャツと黒のエプロンを着てもらっている。二人とも、まるでカフェの店員のようだ。
最初は俺だけでBARをやるつもりだったんだけれど、「アイナもお手伝いするよっ」とアイナちゃん。
お酒を提供する場に八歳の子供がいるのはなぁ……、と悩んでいる俺を見て、「じゃ、じゃあ、おかーさんもいっしょならいい?」と訊いてきたのだ。
そのことをステラさんに話したら、「アイナはシロウさんと一緒にいたいんですよ」と微笑んでいた。
そこまで言われてしまうと俺も断ることはできない。
子供の積極性を認め伸ばすのが大人の役目だ、ってばーちゃんも言ってたしな。
悩んだ末、俺は時間外のアイナちゃんはもちろん、ステラさんにもバイト代を受け取ってもらうことを条件に、手伝ってもらうことを了承。
母娘そろって「バイト代は受け取れないって」と遠慮していたけれど、「じゃあ手伝わせません」と言ったことで、なんとか受け取ってもらえることに。
そんなわけで、いまだけはシロウ商店から『BARシロウ』となっていた。
「…………シロウ、準備できた」
手伝ってくれるのはアイナちゃんだけではない。
「桶にいれたお酒、ぜんぶ冷たくなってるにゃ」
「ありがとうございますネスカさん、キルファさん」
「そうにゃそうにゃ。ボクとネスカに感謝するといいにゃ」
うんうんと頷くキルファさんの後ろには、水を張った桶がいくつも並べられている。
中に入っているのは瓶ビールだ。
この桶はクーラーボックスの代用品として借りてきたもので、ネスカさんが魔法で作った氷もぷかぷかと浮いていた。
きっといまごろ、キンキンに冷えてやがることだろう。
手伝ってくれた報酬は銀貨一枚と、『好きなお酒のボトルを一つ』。
キルファさんは『くだもののお酒』をちょーだいと言い、ネスカさんはやっぱり『ちょこのお酒』。
ステラさんはワインで、アイナちゃんは大いに悩んだ末「えと……んと……ぶ、ぶどうジュース!」ということだった。
ネスカさんとキルファさんの他にも、業務の一環として酒場の女給さんたちも手伝ってくれることになった。
これに関しては、ギルドマスターのネイさんが手配してくれたおかげだ。
「さて、準備が整ったところで……」
酒場の一角に作ったBARシロウ。
カウンター越しに酒場を見渡せば、
「まだか? まだ飲めないのか!?」
「見ろよあの酒の数。あんだけあるのにどれも中身が違うって話だぜ」
「ねぇねぇ。ほら、樽じゃなく硝子の瓶に入っているわっ。い、い、い、一本いくらするのかしら?」
「おカネ足りるかなぁ……」
「見たこともない文字が書かれていますね。いったいどこの国のものなのでしょう」
「下手すりゃ海を渡った大陸の酒かもしれんぞ」
「海ノ向コウノ酒ヲ飲メル。俺タチ、幸運」
大勢の冒険者たちの姿が。
椅子が足りないのか、立っている冒険者もかなり多い。
もしかしなくても、これ妖精の祝福に所属している冒険者が
「「「「…………」」」」
冒険者たちの視線が俺に――というか並べたお酒に集中する。
この三日間、東京中の酒屋を巡り、ネットショッピングを駆使して買い集めたものだ。
そのお値段、トータルで三〇〇万円以上。
クラフトビール、メキシカンビール、日本酒、ワイン、ウィスキー、ブランデー、リキュール……なんでもござれだ。
見たこともないお酒を目にした冒険者たちは、なんかもう真剣さが振り切れて殺気すら放っていた。
そんな雰囲気がちょっとだけ怖かったのか、
「……」
アイナちゃんが俺の手を握ってきた。
俺は「大丈夫だよ」と言い、その手を握り返す。
そして――
「えー……それでは、」
「「「ッ!?」」」
「これから~」
「「「「ッッ!?」」」」
「これから~」
「「「「「ッッッ!?」」」」」
「慰労会をはじめたいと思います!」
「「「「「「うおぉぉぉぉぉおおおぉぉぉぉ――――――ッッ!!!!!」」」」」」
咆哮が上がった。
椅子を蹴倒して立ちあがった冒険者たち。
みな、拳を突き上げて歓喜の叫びをあげていた。
どんだけお酒飲みたいんだよ。
冒険者たちが静かになるのを待ち、咳払いを一つ。
全員に聞こえるよう、大きな声を出す。
「まずはみなさん。毎日毎日、森での探索お疲れ様です。士郎商店の店主、士郎・尼田です」
そう切り出し、冒険者たちの顔を見回す。
「今日はですね、遺跡を求め命懸けで森を探索しているみなさんに、俺からのささやかな激励ということで、うちの店にあるお酒の一部を持って来きました」
そこで一度区切り、反応を伺う。
「マジかあの商人。あんなにあるのに『一部』だって言うのかよ」
「冗談だろ。どんな豪商だってあれだけの数の酒を揃えられりゃしねぇぞ」
「……やはりシロウ商店の店主が錬金術師という噂は本当なのでは?」
「フフフ。錬金術師なら酒を造ることぐらいワケないでしょうからね」
「はっ!? あの商人は酒も作ってるってことなのか!?」
「なんでもいい! 不味いエールじゃもうこりごりなんだ。美味い酒を飲ませてくれ!!」
ここに並ぶお酒が一部と聞き驚く者。
相変わらず俺を錬金術師扱いしたがる者。
とにかくお酒を飲ませてくれと叫ぶ者。
俺は言葉を続ける。
「そちらにいる――」
俺は壁際に立つネイさんを手で示し、続ける。
「ギルドマスター、ネイさんの許可もいただけました。本日はみなさんの慰労も兼ねています。どうぞ俺の故郷のお酒を堪能してってください! あ、お代はいりませんよ? 今日は俺の――士郎商会の奢りとなっています。俺を破産させるつもりでじゃんじゃん飲んでってください!!」
「「「うおおおぉぉぉぉぉぉぉっ!!」」」
「お酒に合うおつまみも各種ご用意しています。俺の故郷の料理になりますが、こちらもお酒同様、自信をもって『おいしい』と言えますので、どうぞご堪能ください!」
「「「うおおおぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーっっ!!」」」
なぜ三〇〇万円もかけて購入したお酒をタダで振る舞うのか?
いくつか理由はあるけれど、その一つはおカネだ。
今回かかった費用、三〇〇万円を全額未来への投資としたからだ。
俺の考えた作戦はいたって単純。
いくらここにいる冒険者たちがおカネ持ちといっても、見知らぬ国の(本当は異世界だけど)お酒にどれだけおカネを使ってくれるかは未知数。いまは盛り上がっているけど、期待外れだった場合すぐに盛り下がってしまうことだろう。
もちろん買ってきたお酒の味には自信がある。しかし、人によって好みが分かれるのもまた事実だ。
最初に飲んだお酒が好みのものでなかった場合、別のお酒におカネを使ってくれるかはわからない。
ひょっとしたら、やっぱりエールでいいやと言い出すかもしれない。
そこで俺は、まずは冒険者たちの舌と胃袋に、地球産のお酒の素晴らしさを刻み込んでもらうと考えたわけだ。
タダなら最初に飲んだお酒が好みのものでなかったとしても、だ。
ためらうことなく、いくらでも他のお酒を試すことができるもんね。
俺の用意したお酒の虜になったところで、後日人気だった銘柄を酒場に卸すもよし、自分の店で販売するもよしだ。
今日投資した三〇〇万円が、将来何倍にも何十倍にもなって返ってくることだろう。
「最後に美しいギルドマスターからお言葉を頂戴したいと思います。ネイさん、どーぞ前へ」
俺がそう言うと、事の成り行きを見守っていたネイさんが進み出てくる。
冒険者たちの前に立つと、全員の顔を見回した。
「みなさん、今晩はこちらのシロウさんのご厚意に甘え、存分に楽しまれてくださいな。ただし、明日の仕事に差し支えがないようにお願いしますね」
「「「うおおおぉぉぉぉぉぉぉぉーーーーーっ!!」
ネイさんが俺を見て、小さく頷く。
俺も頷き返す。
「それでは、これより俺の故郷のお酒をご馳走します! じゃあ最初のいっぱ――わぷっ」
言い終わるよりも早く、冒険者たちが一斉に群がってくる。
お酒を求め、我先へと殺到する冒険者たち。
当初はその勢いに押されていた俺だけれど、
「シロウさんを困らせるのなら、慰労会は中止しますわよ」
とネイさん。
両手を腰にあて『怒ってるポーズ』のネイさんは、殺到する冒険者たちに睨みを利かせる。
この一言による効果は、覿面だった。
冒険者たちは居心地悪そうな顔をすると、すごすごと列を作りはじめたではないか。
「………………ギルドマスター、ぐっじょぶ」
列が作られるのを見たネスカさんが言う。
その手にはいつのまにやら、チョコレートリキュールのボトルがしっかりと抱えられていた。
殺到する冒険者たちを見て、自分の
「シロウさん、もう大丈夫ですわよ」
ネイさんに促され、俺は蝶ネクタイの位置を戻す。
「では改めまして、最初の一杯は俺の大切な友人であるライヤーさんに飲んで貰いたいと思います! ライヤーさん、どうぞこちらへ!」
「おう!」
冒険者たちの羨望の眼差しを受けながら、ライヤーさんが俺の前に立つ。
「こちらのライヤーさんは、この町で商売をはじめた俺の最初のお客さんでもあります。最初の一杯を飲んで貰うのに、ライヤーさん以上の適任者はいません。さあライヤーさん、どんなお酒をお求めですか?」
今日の俺はバーテンダー。
そんな芝居がかった俺の言葉が面白かったのか、
「うまいやつをくれ! 一番うまいやつだ! 酒場のエールにはもう飽き飽きしててね、おれの喉がうまい酒を飲ませろって騒いでやがるんだ」
これまたライヤーさんも芝居がかった答えを返す。
ホント、ノリがいいよなこの人は。
「フッ、困りますねライヤーさん……。うちのお酒はどれも美味しいものばかりですよ? それに好みによって『一番美味しいお酒』は変わりますからねぇ」
「そ、そうなのか? ならどうすっかなぁ……ん? それ! その氷水に浸かってる酒はなんだ!?」
「あれは『ビール』と言いまして、独特の飲みやすい味わいが特徴のお酒です。いまならライムと呼ばれる果物をサービスでつけていますので、果汁を絞って入れると美味しさが何倍にも引き立ちますよ。俺がおすすめするお酒の一つなんですが、どうでしょう?」
俺のトークに、ライヤーさんはゴクリと生唾を飲み込む。
「よ、よし! ならそれをくれ!」
「かしこまりました」
俺は目でアイナちゃんに合図を送る。
アイナちゃんは頷き、クーラーボックス代わりの桶の中から瓶ビールを持ってくる。
しっかりタオルで水を拭きとり、蓋を外してからくし形切りしたライムを瓶の口に刺す。
「おまたせしました」
アイナちゃんから、ビールを受け取るライヤーさん。
「ありがとよ、お嬢ちゃん」
「えと、この『らいむ』をね、ぎゅーってしぼるとお酒がおいしくなるんだって……です」
アイナちゃんは、あたふたしながら飲み方を説明する。
いま渡したのは、日本で最も飲まれているメキシカンビールだ。
BARにいけばほぼ必ずと言っていいほど置いてあるし、なんならコンビニやスーパーでも売っている。
「ふーん。こうか?」
ライヤーさんはライムを絞り、飲み口から伝い落ちた果汁がメキシカンビールに混ざっていく。
一連の動作を見守っていた冒険者たちから、「おぉ……」と声が漏れた。
「そんじゃ、まずはひと口…………ッ!?」
ライヤーさんが目を見開く。
「……っぷはぁ! な、なんだこの酒は!? しゅわしゅわしてて、薄味なのに果汁の酸っぱさがまたコイツを美味くして……しかもバカみたいに冷えてやがるからいくらでも飲めちまう! ――――んぐっ、んぐっ、んぐっ――ふぅ……うめぇ。こんなうめぇ酒を飲んだのははじめてだ!!」
「お気に召したようですね。じつはですね、そのビールは塩を一つまみ入れると更に美味しくなりますよ。試してみますか?」
そう言って俺は、小皿に盛った岩塩をカウンターに置く。
再び、ヒゲを生やした冒険者が喉を鳴らすのがわかった。
「塩か。試さねぇわけには――っと、あぶねぇあぶねぇ。あんちゃんは商人だったな」
ライヤーさんが、楽しそうに笑う。
「なあ、あんちゃんよ、そんな簡単に塩をすすめちゃいるけど、その塩一摘まみでいくら取るつもりなんだ? どんだけ美味くなるっつってもよ、酒より高かったら世話ねぇぜ」
そのことからもわかるように、辺境では塩やコショウは高価な嗜好品なのだ。
警戒するのもしかたがないというもの。
だから俺は、「チッチッチ」と舌を鳴らしながら人差し指を振った。
「もちろん塩もサービスですよ」
「本当か!?」
「ええ、本当です。ああ、でも入れすぎると逆にまずくなってしまいますので気をつけてくださいね。他にも、塩を舐めてからビールを飲むのもおすすめですよ」
「わかった」
ライヤーさんは少し迷ったあと塩をつまみ、
「こんなもんか?」
「そんなもんですね」
ビールへ入れる。
「どれ……んく、んく、んく…………っ!?」
「どうです?」
俺の質問にライヤーさんは恍惚とした顔で。
「なんだよ、この爽快感はよぉ。塩とエール――んぁ、ビールだったな。酒と塩がこんなにも合うなんてよ……」
空になった瓶を見つめたあと、
「もう一本くれ! こんな美味いモン、一杯で満足できるわきゃねーぞ!」
カウンターに身を乗り出し追加注文。
しかし――
「おいこらライヤー! 飲んだんならさっさと後ろにいけよっ。後がつっかえてんだよ!!」
「「「そーだそーだ!」」」
「こちとらテメェが飲み終わるまで黙って待っててやったんだからなっ!」
「「「そーだそーだ!!」」」
冒険者たちから起こる、大ブーイング。
極めつけは、古強者のドワーフからのひと言だ。
「…………小僧、いまならまだ見逃してやる。早くそこを空けろ」
強面ドワーフがドスの効いた声を響かせ、ライヤーさんはすごすごと後ろに下がり最後尾に並ぶ。
「では次の人、どうぞ!」
そこからはもう、戦場さながらの忙しさだった。
人生で一番忙しい時間だったかもしれない。
「俺もライヤーと同じのをくれ!」
「わかりました。アイナちゃん、お願いしてい?」
「ん! こ、こちらへどーぞ!」
メキシカンビールを求める人はアイナちゃんに任せ、
「わたし、エールは好きじゃないのよねぇ。他にいいお酒はないかしら?」
「ならワインなんかはどうでしょう?」
「そういえばこないだお兄さんが言ってたわね。いろんな種類があるって」
「ええ。本日は定番の赤、白、ロゼの他にもオレンジワインを用意させてもらいました」
「せっかくだし、その『おれんじワイン』をもらおうかしら?」
「かしこまりました。ステラさん、そこの右から四番目のボトルをこのグラスに注いでください」
「は、はい!」
ワインを欲する人はステラさんにお任せする。
「次の方どうぞ!」
そんな感じに行列をさばいていると、
「……坊主、約束だ。火がつくほど強い酒ってやつを飲ませてもらおうか」
ついに古強者のドワーフが、俺の前へやってきたのだった。
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