第66話

 料理を食べつつ、たまに麦酒エールをちびり。


「……」


「ん、あんちゃん酒がすすんでないみたいだな。ひょっとして酒が嫌いか?」


 いくつかの料理を平らげひと息ついたタイミングで、不意にライヤーさんが訊いてきた。

 俺のジョッキを満たすエールを見ての言葉だ。

 戒律でお酒が禁止されているロルフさん以外は、みんなジョッキにエールが注がれている。


「いやー、お酒は好きな方なんですけど、このエールはなんというか……」


 言い淀んでいると、


「美味しくありませんか?」


 ネイさんがいきなりぶっこんできた。

 隣に座るキルファさんが、「にししし」と笑う。

 俺は降参とばかりに両手を上げた。


「その通りです。正直このお酒エールは苦手ですね。飲みなれてないからかもしれませんけど」


 日本で生まれ育ちビールの味を知っている者としては、申し訳ないけれど大味すぎて合わなかった。

 日本のビールよりもアルコール度数が高く、謎のハーブの香りがする。

 そのうえとにかく温いのだ。常温なのだ。人肌なみに温いのだ。

 キンキンに冷えたビールの味を知っているからこそ、飲み干すことができずにいたのだった。


「なんか、ごめんなさい」


「構いませんわ。あまり大きな声では言えませんが、わたくしもこのエールを美味しいとは思いませんから」


「へ、そうなんですか?」


「ええ」


 そう言い、ネイさんはジョッキに視線を落とす。


「辺境では飲めるお酒が限られてしまいます。それこそこのエールぐらいなものですわ。ですから……仕方なく、ですわね。最も、『妖精の祝福』の名を冠しておきながら、飲めるお酒がエールだけというのは寂しい限りですけれど」

 ネイさんがため息交じりに言う。


「それは『妖精の蜂蜜酒フェアリーミード』から名前をもらったギルドなのに、エールしか飲めないのは寂しい、という意味ですよね?」


「あら、ご存知でしたか」


「俺はこのギルドに商品を卸させてもらってますからね。それに妖精の祝福が『フェアリーミード』を指すことぐらい、一般教養のうちですよ」


「「「……」」」


 そう嘯く俺に、ロルフさんを除く蒼い閃光のメンバーがジト目を向けてくる。

 けど気にしない。商人にはときにハッタリも必要なのだ。


「初代ギルドマスターがこのギルドに妖精の祝福と名付けたのは、いつの日か妖精の祝福――フェアリーミードを入手することが目的だったと伝えられていますわ」


「へええ。というと、フェアリーミードを手に入れるのはある意味ギルドの悲願でもあるんですね」


「そうなりますわね」


 ごめんなさい。

 その悲願、こないだガブ飲みしちゃいました。


「ですがいまは遺跡を見つけることが悲願ですわ」


 ネイさんの話は続く。


「もともと妖精の祝福は、ギルドの酒場で出すお酒にはこだわりを持っていましたの。ここが辺境でなければ、他の支部のようにいくつもの銘柄を揃えられたのですけれどね。ギルドマスターとして悔しい限りですわ」


「ここが交易都市だったら葡萄酒ワインとか林檎酒シードルとか飲めるんだけどにゃあ。はぁ~」


「なあギルマスさんよ、もうちょっと美味い酒を都合できないもんなのか? 美味い酒が飲めれば、それだけでここの連中の不満もいくらか晴れるはずだぜ」


 お酒は適量なら、ストレス発散の効果もある。

 娯楽がほぼないニノリッチでも、美味しいお酒が飲めればそれだけで冒険者たちの不満を和らげることができるかもしれない。


 先日の一件以来、まだ冒険者同士のケンカは起きていないそうだけれど、ギスギスした居心地の悪い空気は相変わらずだった。


「…………無茶を言わない。輸送コストを考えればエールが飲めるだけでも感謝しないとダメ」


「ネスカ殿の言う通りです。私達は日々ギルドへの感謝を忘れてはいけません。この町に妖精の祝福が支部を置いてくれたからこそ、中央とそれほど変わらぬ値でエールも飲めるのですからね」


 ロルフさんが二人にお説教。

 これに乗っかったのがエミーユさんだ。


「そうですよぅ。ライヤーもキルファも、ギルドへの感謝を忘れちゃダメなんですよぅ。ギルドに来るたびに美しいギルドマスターに贈り物をするぐらいの気持ちが必要なんですよぅ。ですよねー、ギルドマスター?」


「うふふ。冒険者が来るたびに贈り物を贈り物を受け取っていたら、このギルドホームよりも大きなお屋敷が必要になってきますわ」


「なら冒険者たちにお屋敷もプレゼントさせればいいんですよぅ。ギルドマスターの美しさならよゆーなんですよぅ!」


 惜しみないヨイショを挟むエミーユさん。

 凄いよ。エミーユさん、あんた凄いよ。


「贈り物云々は置いとくとしてよ、これでもギルドにゃ感謝してるんだ。もちろんギルマスさんにもな」


「ボクだって感謝してるにゃ」


 二人が顔を見合わせ、「なー」と首を傾ける。


「でもせっかくならワインぐらい欲しかったにゃん」


「ん、ということは、キルファさんってワインが好きなんですか?」


「ふにゃ? べつに好きじゃないよ?」


 まさかの返答に、ガクッとつんのめりそうになった。


「……じゃあなぜワインを?」


「ぶどうの匂いがするからエールよりはマシってだけにゃ。ボクたちが飲めるワインなんて、すっぱいだけでおいしくないしねー」


「へええ。そうなんですか」


「オイオイ、『そうなんですか』ってあんちゃんよ、まさかその歳でワインを飲んだことないとか言わないよな? それともやり手の商人様は、貴族が飲むようなお高いワインしか飲んだことがないってことか?」


「そいうわけじゃないですよ。ただ、俺の故郷では安くても美味しいワインがたくさんあるんですよね」


「「「っ……」」」


 この言葉に蒼い閃光だけじゃなく、ネイさんまでが食事の手を止めた。

 なんかちょっと目が怖いんですけど。

 気圧されつつも説明を続ける。


「基本的には赤ワイン、白ワイン、ピンク色をしたロゼワインの三種類で……ああ、そういえば最近だとオレンジワインとかいうのも流行ってるって聞いたことがあるな。とにかく、その四種類のワインにはそれぞれいくつも銘柄があって、味も様々。甘口から辛口まで幅広く、すっきりと飲めるのもあれば、重厚で深い味のものもあります。値段もピンからキリまで。それこそ子供のお小遣いで買えるようなワインもあれば、庭付きの一軒家より高価なワインもあったりするんですよ。ワインにハマってる人だと、その日の食事に合わせて飲むワインを変えたりするらしいんですよねー。まー、俺はワインもそこまで好きじゃないんで、あんま飲まないんですけど。やっぱ飲むなら日本酒が一番すき――」


 と、日本酒トークになりかけたところで、はたと気づく。

 いつの間にやら、酒場の空気が変わっていることに。


「…………あれ?」


 会話を弾ませているテーブルはひとつもなく、酒場にいる全員が俺の話に耳を傾けている様子。

 あろうことか厨房のコックや女給までこちら――というか俺を見ているじゃないですか。


「「「「………………」」」」


 しーんとする酒場。

 向こうのテーブルに座る冒険者たちは静かに俺の言葉を待ち、あっちのテーブルに座る若い冒険者たちからは、「続きはまだか!」とばかりにソワソワしている気配が伝わってくる。

 極めつけは、最奥のテーブルにいたはず・・・・のドワーフだ。


 歴戦の戦士と思われるドワーフは、気づいたときには隣のテーブルに移動していて、腕を組みじっと俺を見つめていた。

 あ、いま目が合っちゃった。


「……坊主、ワシのことは気にせんでいい。それより続きを話せ。坊主の故郷の酒の話だ」


「は、はい!」


 古強者。これぞベテランって感じの鋭い眼差しに射抜かれ、ついつい背筋を伸ばしてしまう。


「えーっと、俺の故郷にはいろんなお酒があって――――……」


 こうして俺は、たっぷり二時間は日本で手に入るお酒について語ることになるのでした。


 ◇◆◇◆◇


「……という感じでですね、俺の故郷は交易が盛んでして、いろんなお酒を入手しやすいんですよ」


 ひとしきり説明を終えたところ、


「「「「ふわぁぁぁ……」」」」


 冒険者たちが大きなため息をついた。

 目をつむり未知のお酒に想いを馳せる狩人。

 説明を聞きヨダレを溢れさせる魔法使い。

 火が点くほど強いお酒を飲んでみたいと悔しがるドワーフ。

 チョコのお酒と呟き続けるネスカさんに、隙きを見て席を近づけようとするエミーユさん。


 反応は様々。共通していることはただ一点。

 ここにいるほとんどの冒険者たちは、「お酒が好き」ってことだ。


「ふむ。となると……」


 俺はひとり考え込む。

 これはひょっとして、とても大きなビジネスチャンスなのではないだろうか?

 ジョッキに八割残っているエールをひと口。……うん。やっぱりマズイ。


 このエールより美味しいお酒を用意することは簡単だ。

 ぷらっとコンビニに行ってお酒を買ってくればいいだけだ。


 そして酒場には、お酒を愛する凄腕冒険者――つまりおカネ持ちが多数。

 そしていつもと違うお酒が飲めるとなれば、多くの――それこそ、所属する『すべての冒険者』が集まるのではないだろうか?

 となれば……。


「……いける」


 ある考えが思い浮かぶ。


「うまくいけば一石二鳥――いや、一石三鳥だな。……よし」


 自分の目がおカネ色に輝きはじめるのを感じつつ、


「うおっほん!」


 大きく咳払い。

 そのワザとらしい咳払いに、冒険者たちの視線が集まる。


「……ひょっとしてみなさん、俺の故郷のお酒にご興味がおありで?」


「「「ッ!?」」」


「実はですね、一号店には俺の故郷のお酒がいくらか……あり――」


「「「ッ!?」」」


「いや、そこそこ……」


「「「ッッ!?」


「うん、実はけっこーありましてね」


「「「ッッッ!?」」」


「もしみなさんが望むのなら、倉庫に寝かせてるお酒の販売も考えてみようかなー、なんて」


「「「ッッッッ!?」」」


「考えてるんですけど、いかがでしょう?」


 返答は、光すら置き去りにする勢いだった。


「買う買う買う! 絶対買う!」


「あたしは果物のように甘いお酒が飲みたいわっ!」


「オイラはオレンジワインってやつを頼まァ!」


「ニポンシュ! ニポンシュヲノンデミタイ!」


「坊主! 酒だ! さっき言ってた火が点く酒ってやつを持ってこい! ドワーフの誇りにかけて飲み干してやる!!」


「ボクも! ボクもあまくておいしーお酒飲みたいにゃ!」


「………………シロウ、ちょこれいとのお酒ちょうだい。ちょこちょこちょこっ」


 テーブルを押しのけ冒険者たちが俺に詰め寄ってくる。

 なんか最後の方にキルファさんとネスカさんの声が混じっていたような気がするぞ。


 俺は冒険者たちにぐいぐいと押されに押され、あっという間に壁際まで追い込まれてしまった。

 冒険者たちのお酒への渇望。これはイケる。確実にイケる。

 念のためネイさんの方を見ると、


「……」


 ネイさんは無言のまま親指を突き立てていた。

 OKってことだ。


「坊主! それで酒はいつ――むぅ?」


 俺は片手をあげ、ドワーフの言葉を押し止める。


「みなさんのお気持ちはわかりました。では、」


 そして――ずっと憧れていた、いつか言ってみたいと思っていた、あの言葉・・・・を口にするのだった。

「三日後、もう一度酒場ここに来てください。俺の故郷のお酒をご馳走しますよ」



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