第61話

 木々の切れ間からニノリッチが見えはじめた。

 あと少しで森を抜ける。

 時刻は夕方。沈みかけの太陽が、ニノリッチを町並みを茜色に照らしていた。


「す、すごい! 只人族がたくさんっ、たくさんいるぞ! 見ろシロウ! ほら只人族があんなにいるぞほらっ」


 妖精族は目がいいのか、まだ距離があるのにパティの目には住民の姿が映っているみたいだ。


「只人族の里があんなに大きいなんて……。あたい知らなかったよ」


 蒼い閃光と再会できた俺は、パティを連れて第二の故郷ニノリッチを目指した。

 道中で一泊し、朝早くに出発。半日森を歩き続け、ニノリッチまであと少し。

 予定より、一日半遅くれの帰還となった。


「なあなあシロウ! はやっ、はやく只人族の里に行こうよっ」


「…………『里』ではない。あの規模の集落は『町』と呼ぶ」


「マチ?」


「…………そう、町。集落の規模によって村、町、都市と呼び方が変わる。覚えておくといい」


 ネスカさんのレクチャーに、パティが肩をすくめた。


「ネスカは細かいな。ぜんぶ里でまとめればいいのにさ」


「名称によって規模がわかるから便利なんだけどね。それより親分、」


 俺は背負っていたリュックの紐を解き、口を開ける。


「町に入る前に隠れてもらっていい?」


「お、そうだったなっ」


 ぽんと手を叩いてから、パティが俺のリュックに入った。


「……隠れたぞ」


 妖精族は希少な種族。

 その存在が明るみになると面倒なことになる、と言ったのはネスカさん。

 曰く、希少な種族でランキングを作るのなら、幻獣の次ぐらいに珍しいとのこと。

 俺にはさっぱりわからないけれど、めちゃくちゃ珍しい種族ということだけはわかった。


 過去には、希少種の存在に起因する事件がいくつもあったそうだ。

 面倒事を避けるためにも、人がいる場所ではカバンの中に隠れてもらうことにしたのだった。


「親分、他の人に見つからないようにしてよ?」


「わかってるよっ。それより早く里に行くぞっ。ほら早く!」


「…………町」


 ネスカさんがぼそっと言う。


「マ、マチにいくぞっ。マチに!」


 パティがリュックから頭を出し急かしてきた。

 俺の頭を後ろからぺちぺちと。


「ほら行けシロウ!」


「だっはっは。子分は辛いなあんちゃん」


「まったくですよ」


「あ、あたいは恩人だからいいんだぞっ」


「厚かましい恩人なんだにゃ」


「きぃーーーーっ」


 こうして俺たちは、ワイワイしながら森を抜けるのだった。


 ◇◆◇◆◇


 夕日に照らされたニノリッチ。

 町の入口に着くと、思いがけないことが待っていた。


「シ……ウ……おぃ……ちゃん?」


「アイナちゃん?」


 そうなのだ。

 町の入口でアイナちゃんがいたのだ。

 その隣には、ステラさんの姿も。


「アイナちゃん、なんで――」


 ここにいるの? そう訊くよりも早く、アイナちゃんが胸に飛び込んできた。

 アイナちゃんの頭蓋骨が俺の胸骨にあたり、ゴスっと音がする。まるでタックルだ。


「ア、アイナちゃ――」


「ん……くふぅ……ううぅ……おにいちゃぁん……んっく……おにいちゃあん……」


「……アイナちゃん」


 俺の胸のなかで、アイナちゃんは顔をくしゃくしゃにして泣いていた。


 ――どうしてここにいるの?


 そんなの、訊くまでもなかったな。

 アイナちゃんのことだ。きっと――いや、間違いなく俺を待ってたに決まってる。

 予定日になっても帰ってこない俺を心配して、ずっと――ずっと俺のことを待っていてくれたんだろう。ステラさんと一緒に。


「シロウさん、やっと帰って来てくれましたね」


 隣まで来たステラさんが言う。

 胸を撫で下ろしたように見えたのは、気のせいではないだろう。


「ステラさん……えと、戻ってくるのが遅れてすみませんでした」


「その言葉はアイナに言ってあげてください」


「……はい」


 俺は頷き、泣きじゃくるアイナちゃんの背中をさする。


「アイナちゃん、帰ってくるのが遅くなってごめんね」


「……」


 アイナちゃんはぶんぶんと首を振った。

 まだ八歳の子供。けれど、アイナちゃんは俺なんかよりもずっと察しがいい。

 言われずとも、俺が危ない目に遭ったことに気づいているのだ。


「心配させちゃったね。ホントごめん」


「ちが……うよ。シロ……ちゃん」


「違う?」


 アイナちゃんは涙を拭い、こくりと頷く。


「ごめ、……んね……じゃ、なくて、ね、んっく……アイナ……はね、」


 しゃくりあげ、途切れとぎれになにながらも何かを言おうとするアイナちゃん。

 俺は、アイナちゃんがなにを言おうとしているかわかった。

 だから――


「アイナちゃん、ただいま」


 笑顔でそう言うと、アイナちゃんは、


「……うん!」


 と、泣きながら微笑むのだった。

 頭の後ろから、「子供を泣かすなよな―」と声がした。

  

 ◇◆◇◆◇


 アイナちゃんの背中を擦っていたら、


「すー……すー……」


 いつの間にか眠ってしまっていた。


「この子、昨夜は寝れなかったんですよ」


 そう言うステラさんの目の下にも、黒ぐろと隈が浮かび上がっていた。

 母娘揃って寝不足だったようだ。

 ホント、心配かけてごめんなさい。


「さ、アイナ。お母さんがおんぶしてあげるわ」


「……ン」


 俺の手を借り、ステラさんがアイナちゃんをおんぶする。


「ステラさん、俺が背負いますよ?」


「ふふ。ダメですよシロウさん。これは母親の特権なんですから」


「いやでも……重くないですか?」


「重いですよ。とても重いです。いつの間にかこんなに重くなって……子供の成長は早いですね」


「だったら俺が――」


「……もう少ししたら、わたしじゃアイナを背負えなくなると思います」


「……」


「だから、いまだけは……ね?」


 ステラさんが寂しそうに笑う。

 母親にとって、子供の成長は嬉しさと寂しさが同居しているのかもしれないな。


「そう言われたらなにも言えなくなりますよ。でも限界が来たら教えて下さいね? 俺が代わりますから」


「ダメです。アイナは渡しません」


 ステラさんがつーんとそっぽを向く。


「……頑固ですね」


「アイナの母親ですから」


「そっくりですよ。でもわかりました。辛くてもがんばってくださいね。応援してますから」


「はい。シロウさんの応援なら頑張れそうです」


 ステラさんはよいしょとアイナちゃんを背負い直す。

 会話が一段落したところで、ライヤーさんが話しかけてきた。


「そんじゃあんちゃん、おれたちはギルドに行ってコイツを、」


 ライヤーさんが手に持った袋を持ち上げる。

 ニノリッチ到着前に渡しておいた、アプサラの花が入った採取袋だ。


「売っぱらって来るぜ。いちおう訊いておくけど、あんちゃんも来るか?」


 ライヤーさんに問いに、俺は首を振る。


「今回は遠慮しておきます」


 答えを聞いたライヤーさんが笑う。


「だよな。ならあんちゃんの分はおれが預かっておくよ。それと背中の――」


 ライヤーさんが俺のリュックを指差し、


「荷物のことは黙っとくから心配いらないぜ」


 そのまま指を自分の口元にくっつけて、しーっとした。


「ありがとうございます。ネイさんにもよろしくお伝えください」


「エミィにはヨロシクしないでいいのか?」


「いいです!」


「だっはっは! わかった。そんじゃまたな!」


「はい! お疲れさまでした!」


「シロウばいばーい!」


「…………今晩はゆっくり休んで」


「ではシロウ殿、私達はこれで失礼します」


 蒼い閃光の四人を見送ったあと、俺はステラさんに向き直る。


「じゃあステラさん、俺たちも行きますか」


「はい。……あ、預かっていたお店の鍵どうしましょう?」


 店の商品が必要になった場合に備えて、俺は合鍵をアイナちゃんに預けておいた。

 ステラさんはその鍵のことを言っているんだろう。


「明日でいいですよ。というか明日も休みにするのでぐっすり寝てください」


「ですが――」


「実は、俺も疲れが酷くて明日は働けそうにないんですよね。それに店とは別にやらくちゃいけないことができまして……。というわけで明日まで臨時休業は続きます。これは店主の決定です!」


「うふふ。ありがとうございます、シロウさん」


「それは俺のセリフですよ。俺の帰りを待っててくれてありがとうございました」


 アイナちゃんを背負うステラさんと並んで歩く。

 歩く速度はゆっくりだったけれど、一五分ほどで二人の家に着いた。


「じゃあステラさん、お休みなさい」


「お休みなさい、シロウさん」


「アイナちゃんもね」


 寝息を立てるアイナちゃんにも小声で言い、店に帰ろうとしたら、


「あ、シロウさん」


 ステラさんに呼び止められた。


「ん、なんです?」


「わたし、一つだけシロウさんに言い忘れていたことがありました」

「なんでしょう?」


 ステラさんが優しく微笑む。


「シロウさん、お帰りなさい」


「っ……。た、ただいま!」

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