第55話

 アイナちゃんに事情を話し、ついでに二日ばかり店を休みにすると伝えた。

 蒼い閃光と共に森へ入り、歩くこと半日ばかり。


「なるどほ。聞いてた以上に咲いてますね」


「だろ?」


 俺はいま、川のほとりにできた花畑に立っていた。


「きれいな花ですね」


 薄い桃色をしたお花たち。

 アイナちゃんが見たら喜ぶだろうな。


「…………この花は名はアプサラ。澄んだ水の近くでしか咲かないの」


 ネスカさんの説明によると、このアプサラの花は地中に広く根を張るタイプの花で、そのせいで鉢に植え替えて持って帰ることも難しいそうだ。

 広く根を張ると聞くとタンポポを連想しちゃうけど、タンポポとは違い繊細で、ちょっとしたことですぐ枯れてしまうんだとか。


「日が暮れる前に摘んじゃうにゃ」


 キルファさんがそう言い、みんなで花を摘むことに。

 背負っていたリュックを下ろし、花畑にしゃがみ込む。


「ほいあんちゃん」


「はい、受け取りました」


「シロウこれー」


「はいはーい」


「………………これお願い」


「シロウ殿、こちらもお願いできますか?」


 蒼い閃光の四人がプチプチと摘んでは、俺にパス。

 そんな感じにどんどん摘んでいるときそれは起こった。


 ――――ヴヴッ。ヴヴヴヴウウゥゥゥッ。


 どこからか羽音が聞こえる。

 それも、プゥ~ンという蚊みたいな小さなものではなく、車のエンジン音みたいな大きな音が。


「みんな、静かにしてくれ」


 ライヤーさんが指示を出す。

 しばらくして、体長が一メートルぐらいありそうな巨大な虫が、川の対岸を飛んでいるのが見えた。

 その数、ひのふの……一七匹。


「……飛甲蟲か。やっかいだなヤツだが、この場合はまだマシか。あんちゃん、動くなよ。あの蟲はこっちから手を出さなきゃ、まず襲いかかってくることはない」


 ライヤーさんの指示を受け、全員が動きを止める。

 飛甲蟲は、昆虫の羽が生えたザリガニみたいな姿をしていた。

 空飛ぶザリガニたちが、ブンブンブンと威勢のいい羽音を響かせ川向うを飛んでいる。


 川を超えようとしているのか、だんだんとこちらに近づいてきた。

 おのずとその姿もハッキリと見えてくる。

 前肢がカニのようなハサミをしていて、残りは昆虫のような関節肢をしていた。

 はて? 脚が何本か欠損してるように見えるけど、元からそういう仕様なのだろうか。


「ライヤーさん」


「なんだあんちゃん?」


「あのモンスターにクマよけスプレーは効きますかね?」


 思い起こすのは、冒険者体験中に遭遇したマーダーグリズリーだ。

 あのときは、俺が使ったクマ撃退スプレーでマーダーグリズリーを行動不能にできたのだが……。


「たぶん……効かないだろうな」


 ライヤーさんが首を振る。


「あんちゃんからもらって何度か試したけどよ、あのアイテムは獣系モンスターにゃめっぽう効くが、蟲系モンスターにはまるで効いちゃいなかったんだ」


 クマ撃退スプレーの主成分は、刺激物のカプサイシンだ。

 顔に吹きかけると眼や鼻の粘膜に作用し、激しい痛みで行動不能することができる。

 逆に言えば、対象モンスターに粘膜がなければ通用しにくいのだ。


「もう一個質問させてください。……あのモンスター、傷を負ってるように見えるのは俺だけですかね?」


「奇遇だなあんちゃん。おれもいま同じ事考えてたんだ」


「ねぇねぇライヤー、あの飛甲蟲、他のモンスターと一戦交えたあとじゃないかにゃ? だってほら、血がたくさん出てるんだにゃ」


 前方のザリガニの腹部から、体液のようなものが流れ落ちていた。

 他のザリガニにも切り傷のようなものが多数見受けられる。


「…………ウィンドカッターの痕に似ている」


「体液の固まり具合から予想すると、つい先ほどまで戦闘していたようですね」


 ネスカさんとロルフさんも同意見の様子。

 隣にいるライヤーさんの舌打ちする音が聞こえた。


「やべぇな」


 ザリガニたちがこちらの存在に気づいた。

 ガチガチと牙を鳴らし、威嚇の構え。

 こちらが手を出さずとも、向こうは既に戦闘モードだったようだ。

 同時にライヤーさんが剣を抜き、叫ぶ。


「ロルフ、あんちゃんを護れ! ネスカは魔法の詠唱だ!」


「承知」


 ロルフさんが俺を庇うように立つ。


『ギキィィィギギギイイイィイイッッ!!』


 耳障りな鳴き声を上げ、ザリガニたちが一斉に襲いかかってきた。


「…………ファイアアロー」


 ネスカさんが先頭の一匹を魔法で倒す。

 仲間が倒されたのを気にも留めず、ザリガニたちは向かってくる。


『『『ギイイィィィィッ!!』』』


 空飛ぶ巨大ザリガニの群れ。

 最早、恐怖以外の何者でもない。


「シロウ殿! 私の後ろに!」


 ロルフさんが盾をメイスを構える。

 顔が険しいのは、それだけやり辛いモンスターだからだろう。


「うぅ~。飛甲蟲は硬いからキライにゃ」


 キルファさんが文句を言いつつもショートソードを抜き放つ。


「ボクが引きつけるから、ネスカはまほーでやっつけて!」


 キルファさんがダガーを投擲する。

 一本。二本。三本。

 しかしダガーはザリガニの外皮によって弾かれる。

 ザリガニが空中で静止した。

 頭部をキルファさんに向ける。

 瞬間――


「…………ファイアボルト」


 詠唱を終えたネスカさんの手から火球が放たれた。


『キィィィィ……』


 直撃。

 ザリガニが炎に包まれ川に落ちる。


「なるほど、あのザリガニは火に弱いわけか。なら――」


 俺は空間収納からスプレー缶を取り出す。


「シロウ殿、そのアイテムは飛行蟲には効きませんよ」


 スプレー缶を握る俺を見て、注意喚起するロルフさん。

 形が一緒だから、クマ避けスプレーと思ったようだ。


「大丈夫です。これ・・はアレと別物ですから」


「別?」


「ええ。こうやって使うんですよ!」


 スプレー缶をザリガニに向ける。

 ポケットからライターを取り出し火をつけ、右手でスプレー缶のボタンを押し込んだ。

 可燃性のスプレー剤を噴射し、火に近づけるとどうなるか?

 答え、火炎放射器になる。


 ――ボオオオォォォォッ!!


 スプレー缶から炎が放射状に放たれた。

 まるで魔法だ。


『ギイイイィィィィィッッッ』


 即席火炎放射器を喰らったザリガニが地面に落ち、バタバタともがく。


「ロルフさんいまです!」


「承知!」


 ロルフさんが裂帛の気合いを以てメイスを振り下ろた。

 グシャリと音を立てザリガニが潰れる。

 なかなかいいコンビネーションなんじゃないのこれ?


「どんどんいきますよ!」


 ザリガニをロックオンして、即席火炎放射器で撃墜していく。

 川に落ちたものはそのまま流されていき、地面に落ちたものは、


「おらよっ」


「ふんにゃ!」


 ライヤーさんとキルファさんがトドメを刺していった。


「シロウこっちもお願いするにゃ!」


「はい!」


 スプレー缶をザリガニに向け、火炎放射。

 日本だったら通報不可避な禁断の必殺技により、ザリガニはその数をどんどん減らしていく。


「もう少しだ!」


 ライヤーさんがみんなを鼓舞する。

 残り六匹。

 一匹はキルファさんで二匹がロルフさん。

 ライヤーさんも二匹を相手取り、残りの一匹が魔法を放って隙だらけのネスカさんに迫る。


「…………っ」


 ネスカさんがの表情が強ばった。

 不意を突かれたのだ。

 俺は即席感放射器を使おうとするが――ダメだ。近すぎる。

 このまま使ったらネスカさんまで巻き込んでしまう。


「ネスカ! くっ、邪魔だどけ!」


「ふにゃ!? ネスカそこから離れるにゃ!」


 みんなザリガニと戦っているため、ネスカさんを助けに行くことができない。


 ――隙だらけのネスカさんにザリガニが迫る。


 いま自由に動けるのは俺だけ。


 ――ネスカさんがぎゅっと目をつぶる。


「クソッ!」


 気づけば俺は走り出していた。

 ライターとスプレー缶を投げ捨てる。

 ザリガニの脇をすり抜け、


「ネスカさん危なーーーい!!」


「っ!?」


 思い切りネスカさんを突き飛ばした。

 ゴロゴロと花畑を転がるネスカさん。

 ザリガニが俺を標的に切り替えるのがわかった。

 腕を十字にして防御姿勢を取る。


『ギギィッ!!』


 間髪入れずにザリガニが俺に覆い被さってきた。


「くっ!?」


 ワサワサした脚が俺の上体に絡みつく。

 耳元でガチガチ、ギチギチと気味悪い音が発せられる。

 カパッと顎を開けたザリガニが俺に噛みつこうとして――


「あんちゃん川に飛び込め!」


 ライヤーさんの声が聞こえた。

 聞き返す時間も考える時間もない。

 ただライヤーさんの言葉を信じて川に飛び込む。


『ギィ!?』


 水に驚いたのか、ザリガニが俺を放した。

 バシャバシャと暴れているが、水に浸かった羽では飛び上がることができず流されていく。

 でも流されたのはザリガニだけじゃなかった。


「くっ……流れが――早い」


 俺は流されまいと川岸に手を伸ばすが――――届かない。

 しかも川の流れが早い。めっちゃ早い。その上深い。


「ヤバ……」


『…………水の精霊よ。彼の者に水の理をわけあたえ賜え』


 ネスカさんが呪文を唱え、なにかの魔法を俺にかけた。

 ぽうっと体が光を帯びる。


「あんちゃん! なんとかして川岸まで辿り着くんだ! 絶対に――絶対に見つけてやるからな! 待っててくれ!!」


「シロウーーーーッ!!」


「シロウ殿!」


 俺を呼ぶ仲間たち。

 その声を聞きながら、俺は川を流されていくのでした。


 尼田士郎二五歳。

 人生でも最大級のピンチです。


 ◇◆◇◆◇


 川で流され続ける俺氏。

 結論から言えば、俺は川に流されていたけれど溺れてはいなかった。

 どうやらネスカさんが俺にかけた魔法は、水の中でも呼吸ができるたぐいのものだったようだ。


 川幅はどんどん広くなり、流れもどんどこ早くなっていった。

 川に落ちて数十秒か。それとも数分だったか。

 水の中でもがき続ける俺の手を、不意に『誰か』が掴む感触があった。


 ――蒼い閃光が助けに来てくれたのか!?


 沈みかけていた俺の手が引っ張り上げられる。


「っぷはぁ!」


 水面から頭が、次いで上半身が。

 そのまま川岸まで引上げられ、


「ゲホッ、ゲホッ――おえぇぇっ」


 しこたま飲み込んでしまった水を吐き出した。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 呼吸を落ち着かせてから顔を上げた。

 そこには――


「お、よかったよかった。しっかり生きてるみたいだな只人族ヒューム


「……」


「ん? なに呆けてんだ? おーい。しっかりしろー。あたいの声が聞こえるかー」


 ぺちぺちと、俺の頬を叩く小さな・・・女の子。

 ここがファンタジーな世界だと、全身で語っている存在。

 すなわち、


「き、君……は? まさか――」


「なんだその顔。お前、妖精族を知らないのか?」


 物語の中でしか見たことのない『妖精』が、目の前でホバリングしていた。

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