第52話

 店を閉めた俺は、その足で冒険者ギルドへ向かった。

 冒険者ギルド『妖精の祝福』、ニノリッチ支部。


 ニノリッチの町にある唯一の冒険者ギルドで、この国で一番の規模と勢いのある冒険者ギルドだ。

 といっても、妖精の祝福として本格的に活動がはじまってまだ二ヵ月も経ってないんだけどね。


 もともとニノリッチにあったポンコツ冒険者ギルド『銀月』が、妖精の祝福に好条件で吸収合併されいまの形となった。

 これもすべて、ニノリッチの東に広がる大森林を攻略――より正確には、大森林のどこかにある古代魔法文明時代の遺跡を探しだし、遺跡に眠る財宝を見つけるためだという。


「こんにちはー」


 冒険者ギルドの扉を開ける。

 はじめてこの扉を開けたときはギルドに誰もいなくて、エミーユさんのすすり泣く声だけが響いていたっけ。

 だけどいまは――


「北東の探索を終えてきたぜっ。ま、残念ながらあっちにゃ遺跡らしきものはなかったけどな!」


「南東を探ってきたわ。どこまで進んでも森ばかりよ。念のため遭遇したモンスターの情報をまとめておいたわ。コレよ」

「フォレストウルフとポイズンサーペントを狩ってきた。素材の買い取りを頼む」

「東ヘ三日進ンダ所デ川ヲ見ツケタ。水モ澄ンデイテ飲ム事ガ出来ル。野営ニ適シテイル場所トイエルダロウ」

「それはいいこと聞いたっス。森の奥に行けば行くほどモンスターがわんさか出るから困っていたから、どっか野営地を探してたんスよね~」


 冒険者が溢れ、ワイワイガヤガヤと非常に騒がしかった。

 閑古鳥が鳴いていたのは、もう遠い彼方。


 ギルド内は正面に受付カウンター、右手には鍛冶屋とアイテム屋(俺も商品を卸している)。左側には酒場があって、建物の裏側は修練場となっている。

 しばらく騒がしい光景を眺めていると、


「おやおや? そこにいるのはお兄さんじゃないですかぁ」


 俺に気づいた受付嬢が顔を上げ、声をかけてきた。


「ど、どうもエミーユさん。今日もここは賑やかですね」


「こんな時間にどうしたんですかぁ? 今日は納品もありませんよねぇ? あ! もしかしてアタシに会いに来ちゃいました? わけもなく高価な贈り物を持ってアタシに会いに来ちゃいました?」


 声をかけてきたのは、おカネが大好きな兎獣人のエミーユさん。

 以前は潰れかかった冒険者ギルド『銀月』でギルドマスター代理をやっていた彼女は、『妖精の祝福』の受付嬢へと転職し、上がったお給金で散財したり、お金持ちのイケメン冒険者に色目を使ったりと、忙しくも充実した日々を送っているそうだ。


 妖精の祝福に商品を卸すようになり、俺の商売はずっと右肩上がり。

 それを知っているからか、彼女は俺がギルドに顔を出すたびにやたらとアピールしてくる困ったさんとなっていた。


「面白いジョークですね。もしかしてもひょっとしなくてもエミーユさんに会いに来たわけじゃないんで、そこは安心してください。俺は人とやくそ――」


「もう、強がりはよくないですよ? お兄さんがアタシを何不自由なく生涯に渡ってあり得ないほど贅沢な暮らしをさせてくれるなら、アタシはいつでもお兄さんのお嫁さんになる覚悟はできてるんですからね♡」


「なんの罰ゲームだそれは!」


「ひどいな~。どう考えてもご褒美じゃないですかぁ。このエミィちゃんを自由にできるんですよ? こー見えてアタシ、尽くすタイプなんですからね♡」


 言い終わるやいなや、なぜか胸元のボタンを外しはじめるエミーユさん。

 この突然の奇行にごく一部の冒険者たちがざわつきはじめ、大半の冒険者たちは見慣れた光景として視線を戻す。


「ちょっとちょっとっ。ボタンを外さない! というか仕事しろ仕事!」


「偶然にもいまから休憩するところだったんですよぅ。そこにお兄さんがやってきたわけですから、これはもう運命だと思うんですよねぇ。お兄さんもそう思いません?」


 受付カウンターをよいしょと乗り越えてきたエミーユさんが、指をわきわきしながら近づいてくる。

 背中に怖気が走り、俺は数歩後ずさり。

 なんだか今日は、いつもよりもリアルに身の危険を感じるぞ。


「さぁさお兄さん、アタシとお酒でも飲みながら暗がりにでも行きましょう♡」


「断固拒否する! 暗がりと酒癖の悪い女性にだけは近づくなってのがばーちゃんの遺言なんだ! 最近ばーちゃんが生きてるって知ったけども」


「なに言ってるかアタシにはわからないんですよぅ。そんなことより……」


 エミーユさんの手が迫る。

 俺は捕まってなるものかと、逆にエミーユさんの手首を自らキャッチした。


「んぐぐっ……お兄さん、観念するんですよぅ。観念してアタシと暗がりに行くんですよぅ!」


「くのっ……あ、あいにくと明るいところの方が好きなもんでね!」


 真正面から迫りくるエミーユさん。

 肩と肩がぶつかり合い、押されては押し返し、互いに手を払い払われ、いつの間にやら指と指が絡み合う。


 俺の右手がエミーユさんの左手を。エミーユさんの右手は俺の左手を。

 プロレスで言うところの、ロックアップから手四つの状態。


「そ、そんなに情熱的に指を絡めてくれるなんて……んぐっ、う、嬉しいんですよぅ!」


「手を掴まなきゃアンタが強引に俺を暗がりへと連れてくからでしょーが!」


「イヤよイヤよも……こんのぅっ! す、す、好きのうちなんですよう!!」


「ぐおぉぉぉ~~ッッッ!! やばいやばいやばい! 近い近い近いっ!!」


 女性とは言え、獣人だけあって力が凄い。

 日本育ちの文明の利器に甘えまくった俺の力では歯が立たず、あっという間に壁際まで押し込まれてしまった。

 全力で押し戻そうとするも、鼻息を荒くしたエミーユさんの顔がどんどん近づいてくる。


「う、うふっ。うふふふふふふふっ。お兄さん……か、観念するんですよぅ」


 タコのようになったエミーユさんの唇が迫ってきて――


「なにバカなことやってるにゃ」


「イタッ!?」


 誰かがエミーユさんの頭をぽかりと叩く。


「イタタタ……。んもうっ。叩くなんてひどいんですよぅ」


 涙目になったエミーユさんが振り返る。

 そこには――


「シロウ無事かにゃ? エミィに変なことされてない?」

「キルファさん!」


 猫獣人ケットシーの冒険者、キルファさんの姿が。

 窮地にいた俺には、キルファさんがヒーローに見えた。


「ありがとうございます! ありがとうございますキルファさん! 俺……俺、もう少しで汚されてしまうところでした。俺という青い果実が無遠慮に収穫されてしまうところでしたっ」


 俺は大げさに泣き真似をする。

 そんな俺の頭をキルファさんがぽんぽんと。


「よしよし、怖かったね~。満月が近づくと兎獣人族はエッチになるから油断しちゃダメなんだにゃ」


「え、エッチになんかなってませんよぅ! 友だちだからって言っていいことと悪いことがあるんですからねっ。ヘ、ヘンなこと言わないでください~っだ!」


 エミーユさんが、お手本のようなあっかんべーを披露する。

 以前にもまして女の捨てたあっかんべーだった。


「変なことしよーとしてたのはエミィのほうなんだにゃ。ダメだよ? シロウはこれからボクたちとご飯食べるんだから」


「む? ボクたち・・ってことは……まさかっ!?」


 キルファさんの言葉を聞き、エミーユさんがハッとした顔をする。


「そーゆーこった。あんちゃんはおれたちと先約があんだよ。悪ぃなエミィ、あんちゃんといい雰囲気なとこジャマしちまってよ」


「…………シロウは困ってた。男女における健全な関係とはいえない」


「ネスカ殿に同意します。シロウ殿、危ないところでしたな」


 やってきたのは俺と親しい冒険者たちだった。

 イケメン剣士のライヤーさん。

 のんびり屋さんなハーフエルフの魔法使い、ネスカさん。


 温厚だけど怒るとメイスが降って来る、武闘神官のロルフさん。

 そこにさっき助けてくれた斥候のキルファさんを加えた四人が、冒険者パーティ『蒼い閃光』だ。 


「待たせたみたいだなあんちゃん。んじゃま、さっそく飯でも食おうぜ」


 俺が冒険者ギルドへ来た理由。

 それは、蒼い閃光のみんなとご飯を食べる約束をしていたからだった。

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