第49話
「いやー、今日もいい一日だったなぁ」
俺はいま、ばーちゃんの家から持ってきたロッキングチェアに揺られていた。
時刻は太陽が山向に沈みゆく午後六時。場所は店の裏側にある広い庭。
ロッキンチェアに揺られながら、大好きなクラフトビールをちびちびと。
「っぷはー。仕事後に夕日を眺めながらビールを飲めちゃうなんて、なんて贅沢なんだろ」
夕日が沈みきると、こんどは夜空に星々が煌めくのだ。
「東京じゃこんなキレイな夕日は見えないもんなぁ」
ポテチをぽりぽり。ビールをごくん。
「…………こっちにくるようになってまだ二ヶ月もたってないけど、いろいろあったもんだ」
ビタミン剤のおかげで、ステラさんはすっかり元気になった。
アイナちゃんから聞いた話では、毎晩一緒に寝ているそうで、
「おかーさんと話してるとね、アイナうれしくて楽しくて……なかなかねれないんだぁ」
とのことだった。
それだけじゃない。
「シロウお兄ちゃんきいてきいて! アイナね、きのうおかーさんとおりょーりしたんだよ!」
「おかーさんとにらめっこしたらね、こーんなかおしてたのっ」
「このお花おかーさんとつんできたんだよ。きれいでしょ?」
アイナちゃんと会話をすると。ここ最近はステラさんの話題ばかり。
大好きな
俺には、それがすっごく嬉しかった。
大切な娘のことばかり想っていたステラさん。
大好きな母親のために一生懸命がんばってきたアイナちゃん。
あの優しくて暖かな母娘が、ずっと幸せでいてくれるといいな。
「そういえばエミーユさん、めっちゃ忙しそうだったな。はじめて会ったときはあんなヒマそうだったのにさ」
へっぽこ冒険者ギルドだった『銀月』は、正式に冒険者ギルド『妖精の祝福』に加盟し、ニノリッチ支部となった。
それに伴い、ライヤーさんたち『青い閃光』は、妖精の祝福所属の冒険者へ。
他所からも続々と屈強な冒険者が集まり、大森林の探索に精をだしているんだとか。
エミーユさんはギルドマスター代理という責任ある立場から開放され、ただの受付嬢に戻り、お金持ちな冒険者がくるのを日々待っているそうだ。
きっとお金持ちな冒険者がきたら、また制服のボタンを外しはじめることだろう。
そうそ。おカネといえば、この二ヶ月で俺は五〇〇〇万円近くも稼いでいたんだっけ。
マジで一年間きっちり働いたら、もうゴールしていいのかもしれない。
「あっという間に五〇〇〇万円か……。俺がニートになる日も近いな」
と一人呟いたときだった。
「なにが近いのだシロウ?」
「おわぁっ!?」
急に後ろから声をかけられた。
ロッキンチェアからずり落ちそうになりながらも振り返ると、
「こんばんはシロウ。静かでいい夜だな」
カレンさんが立っていた。
「……カレンさんでしたか。はぁー……。ビックリさせないでくださいよ。心臓が止まるかと思いました」
「フフ。すまないな。夜の散歩中に君の店の前を通ったら、裏から君の声が聞こえてな。試しに覗いてみれば、一人で楽しそうにしているじゃないか。それでつい、な。君をからかいたくなったのさ」
「ひどいなー」
口ではそう言いつつも、悪い気はしない。
むしろ、カレンさんのお茶目な一面が見れて嬉しいぐらいだ。
「なにを飲んでいるのだ?」
「俺の故郷のお酒です。よかったら一緒に飲みます?」
「せっかくのお誘いだ。いただくとしよう」
俺はクーラーボックスに入れてある、新しい瓶ビールを掴む。
蓋を開け、瓶ごとカレンさんに渡す。
「ほう。硝子の容器とは豪勢だな。高価なものか?」
「いえ、ぜんぜん高くないものですよ。味はピカイチですけどね」
「楽しみだ。……んく……んく……ふぅ。確かに美味い酒だな」
「でしょ? 俺のお気に入りなんです」
「そうか。シロウは酒の趣味もいいのだな」
「あはは、褒めたってお酒しかでませんよ?」
「それはいい。ならもっと褒めなくてはならないな」
「じゃんじゃん褒めていいですよ。俺、実は褒められて伸びるタイプなんです」
「ほう。なら頭も撫でてやろうか?」
カレンさんがわざとらしく俺の頭に手を伸ばしてくる。
「ちょっ、やめてくださいよ」
「ン? 君は褒められて成長するのだろう? ならば素直に撫でられておけ」
そう言うとカレンさんは、俺の頭を楽しそうに撫ではじめた。
かなーり恥ずかしいけれど、ちょっとだけ心地いい。
頭を撫でられるのなんて、いつ以来だろ?
最後に撫でてくれたのはばーちゃんだったかな?
「……シロウ、この町にきてくれてありがとう。アイナの母を救ってくれたことも含め、シロウには感謝してもしきれない。報酬というわけではないが、なにかわたしにできることがあったら遠慮なく言って欲しい」
と頭を撫でながらカレンさん、
「やだなー。報酬とかいりませんって。俺は自分にできることをしただけです。それにステラさんが元気になって、それでアイナちゃんも元気になって、アイナちゃんと親しい人たちも笑顔になって……うん、俺はそれが嬉しいんですよ」
「君という男は……欲というモノがないのだな」
カレンさんは手を止め、呆れと尊敬が入り混じった目を俺に向ける。
「いやいや、俺は欲深い男ですよ。おカネを稼ぐのが大好きですから」
「そう言う癖に君は稼ぎ方が他の商人とは違うな。奴らはもっとガメツイ。わたしは聖人のような商人など、見たことも聞いたこともないぞ」
「
「例えばわたしの目の前に、とかか?」
「え、どこですか?」
俺がわざとらしくキョロキョロしていると、急にカレンさんが噴き出した。
「っぷは。くく……あははははっ。もぅっ、そんなに笑わせないでくれ」
堪え切れないとばかりに笑い続けるカレンさん。
その姿を見て、俺もあははと笑う。
「ふぅ……。こんなに笑ったのは久しぶりだ」
「笑顔は健康の素ですよ。アイナちゃんもたくさん笑ってますしね」
「あの子を笑顔にさせたのは間違いなくシロウの力だよ。アイナだけじゃなく、わたしやエミィもね」
カレンさんは優しく微笑み、続ける。
「シロウには町に住む多くの者が助けられている。こんなにも多くの者を救うなんて、シロウはまるで吟遊詩人が歌う英雄や勇者のようだな」
「ちょっ、やめてください。大袈裟ですって。俺は自分の手が届く人たちに、ほんの少しだけ手を貸しただけですよ。だって、困ったときはお互い様じゃないですか」
「それを簡単に言え、言葉通り行動できるのが君の凄いところだよ」
「んー、だとしたら育ててくれたばーちゃんのおかげかな?」
「君のお婆様の?」
「はい」
俺はそこで一度区切り、ばーちゃんの言葉を思い浮かべる。
「士郎、自分の手が届くところで困っている人がいたら、出来る限り助けておやり。そうすればいつか士郎が困ったとき、いままで助けてきた人たちが士郎のことを助けてくれるからね、って。ばーちゃんからそう教わって育ったんですよ」
「……。素晴らしいお婆様だな。名を訊いても?」
「構いませんよ。ばーちゃんの名前は、有栖川澪っていいます」
ばーちゃんの名前を言った瞬間のことだった。
カレンさんが驚きで目を見開いた。
「アリス・ガワミオ!? シロウ、
「…………へ?」
しばし思考が停止。
数秒かけて、ばーちゃんの手紙に書かれていた文面を思い出す。
『いままで黙っててすまないね。実は婆ちゃんな、八〇年前にルファルティオという世界から日本にやってきた魔女なんじゃよ』
いやいや、待ってよ。
ちょっと待ってくれって。
「カレンさんが……ばーちゃんを知っている?」
俺は呆然と訊き、カレンさんはこくりと頷く。
「知っているとも。知らぬものなどこの大陸にはおるまい」
マジかよ。
ばーちゃん異世界じゃ有名人だったのかよ。
驚く俺に、カレンさんは更にたたみかけてきた。
「まあ、わたしのように直接会ったことがある者は少ないだろうがな」
「……え?」
「わたしが魔女アリスに会ったのは去年のことだった。この町に縁があるらしくてな。突然、収穫祭の日に現れては……フフッ、酒を飲んで楽しそうに踊っていたよ」
「……去年?」
ちょっと何言ってるんですか。
だってばーちゃんは七年前に行方不明になって……あ、でも偶然に、奇跡的に名前が一致したってことも――
「ああ、去年だ。あの時のことはいまでも覚えている。不滅の魔女アリスが、星の欠片を集めて作った魔皇剣メルキプソンをわたしに見せてくれてな。あの伝説のメルキプソンをだぞ?」
カレンさんの言葉で、俺はその『不滅の魔女』が間違いなくばーちゃん本人だと確信した。
なぜなら、『メルキプソン』は、ばーちゃんが生涯に渡って一推しのアクションスターの名前だったからだ。
「魔皇剣メルキプソン振るう不滅の魔女アリス。まさか彼の魔女がシロウのお婆様だったとはな。だが……驚くと同時に納得してしまったよ。シロウが見たこともない薬やアイテムを持っている理由にね」
カレンさんがやれやれとばかりに肩をすくめる。
「お婆様とは会っているのか?」
「もう七年会ってません。でも……その前にちょっとだけ時間をもらっていいですか?」
「ン? 別に構わないが……どうかしたのか?」
「いえ、まあ少し。じゃあちょっとだけ失礼して……」
俺はロッキンチェアから立ち上がり、庭の真ん中まで歩いていく。
思いきりを空気を吸い込み肺を酸素で満たすと、
「ってか、ばーちゃん生きてたのかよおおおぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
陽の沈んだニノリッチの町に、俺の絶叫がこだまするのだった。
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