第35話

「失礼しまーす。士郎入りまーす」


 銀月の扉をノックしてから中に入る。


「し、しつれいしま……す」


 俺の背中に、ぴったりとくっついたアイナちゃんも一緒だ。

 中に入ると、


「シロウ、来たか」


 すでにカレンさんが待っていた。

 いつもよりも胸元が広い服を着ているのはこちらの文化ゆえか、はたまた接待だからか。


 ギルド内にはカレンさんの他にも青い閃光の面々に、「ふしゃー」と威嚇のポーズをしているエミーユさん。それと、見慣れぬ中年男性の姿もあった。

 おそらく、このちょっとだらしないお腹をした中年男性こそが、件の『視察の人』なのだろう。

 中年男性はギルドホームを見回していて、俺には気づいていない様子。


「シロウ、さっそくだが君を視察の方に紹介してもいいだろうか?」


 カレンさんが訊いてくる。


「ええ。構いませんよ。マッチをはじめとしたアイテム類も持ってきていますしね」


 俺はそう言い、リュックをぽんと叩く。

 カレンさんは一度頷くと、俺の耳元に顔を近づけ、


「ありがとう。その……どうやら少し気難しい方のようだ。すまないが不愉快なことを言われてもどうか堪えてほしい」


 と小声で言ってきた。

 まだ紹介されてないけど、このやり取りだけでめんどくさい相手なのがわかっちゃうよね。


「安心してください。理不尽な暴言には慣れてるんで大丈夫ですよ」


 俺も小声でそう返す。

 前に働いていたブラックな会社じゃ、罵詈雑言が当たり前のように飛び交っていた。幾度となく被弾してたから暴言には慣れっこ。

 ときには理不尽な暴力実弾に、撃たれることだってあったしね。


「それより……どうして銀月ここで? 予定では俺の店にくるはずでしたよね?」

「なに、彼の希望に沿ったまでだ」


 と、カレンさんは太っちょ中年男性をチラリ。


「なるほど」

「エミーユに嫌われているわたしとしては、ここにきたくはなかったし、エミーユもわたしにきてほしくなかっただろうがね」


 カレンさんの言葉通り、銀月でギルドマスター代理をやっているエミーユさんはずっと威嚇のポーズをしていた。

 商売敵になるかもしれない中年男性に「ふしゃー!」とすれば、カレンさんには「ぎょあー!」とする。

 ただ、二人ともエミーユさんを無視しているからか、ちょっとだけ切ない光景がそこにはあった。


「なに、交渉事に予想外の出来事はつきものですよ」

「そういうこうとだ。では、いいか? ……オホン! ガブス殿」


 カレンさんがわざとらしく咳払い。

 太っちょな中年男性の名を呼ぶ。


「紹介しよう、こちらが我が町が誇る商人のシロウだ」


 カレンさんが俺を紹介した。

 ガブスと呼ばれた太っちょ中年男性が、俺に顔を向ける。


「はじめましてガブスさん。この町で商店を営んでいる士郎といいます」


 自己紹介して軽く頭を下げると、


「店員のアイナです」


 アイナちゃんも真似して自己紹介。

 もう立派な店員さんだ。


「……」


 俺とアイナちゃんの自己紹介を受けても、太っちょな中年男性――ガブスさんは無言のままスルー。

 というか、これ無視してない? 無視してるよね?


「……そこの町長から珍しいアイテムを扱っている腕利きの商人がいると聞いて期待していたが……なんだ、ずいぶんと青臭い小僧が出てきたな。お前、本当に商人か?」


 いきなり「お前」呼ばわりときましたか。

 気難しいどころじゃないぞこれは。エミーユさんとは別タイプのめんどくさい人だ。


「青臭いことは否定しませんが、いちおう商人をやっています」

「フンッ。ガキしか雇えんような小僧が商人を名乗るとはな。田舎ではずいぶんと『商人』の肩書が軽いらしい」


 隣りにいるアイナちゃんが傷つくのがわかった。ちらりと横目で見ると、目に涙が溜まりはじめている。

 くっ……我慢だ。我慢だ士郎。心の上に刃を置いて忍ぶんだ士郎。


「それにこのギルドホームはなんだ? 受付には汚らわしい亜人が立ち、そこら中ホコリだらけ。ちゃんと掃除はしているのか?」


 この言葉に、エミーユさんがカチンとこないわけがなかった。

 エミーユさんが、カウンター越しにガブスさんを睨みつける。

 そして――


「ちゃんとお掃除しまてますぅー。毎日してますぅー。暇だからそれしかすることないんですぅー」


 女の捨てたあっかんべーをした。

 他ギルドの人にヒマ宣言って……。そんなん負けを認めたようなものじゃんね。


「ハッ、これでか? ……驚いたな。辺境の亜人は掃除もロクにできんらしい。中央の亜人とて掃除ぐらいはできるぞ? 王都と辺境でこうも違うとは……まったく、私には辺境に住む者の考えが理解できんよ」


 ガブスさんはそう言うと、やれやれとばかりに肩をすくめた。

 俺には初対面で嫌味を言ってくるあなたが理解できないよ。

 ガブスさんの暴言は止まらない。


「掃除もできない亜人など、生きる価値もないだろうに」


 瞬間、エミーユさんの表情に陰が落ち、壁際に立つキルファさんの指先から爪がシャキンと伸びる。

 この発言に慌てたのはカレンさんだ。


「も、申し訳ないなガブス殿。ニノリッチは畑と森に囲まれているため、どうしても土埃が入ってきてしまうのだ」


 とフォローを入れてきた。


「そんなことよりガブス殿、シロウが売っているアイテムを見てはもらえないだろうか?」


 カレンさんに視線で促され、俺はリュックからマッチを取り出す。

 それをカレンさんが受け取り、そのままカブスさんに手渡す。


「ガブス殿、これが先ほど話した『マッチ』だ。火種として非常に有効で、シロウの店でしか買うことができないアイテムだ」

「ほほう。これが噂の……どれ、ひとつ試してみるか」


 ガブスさんはそう言うと、手慣れた感じ・・・・・・でマッチ棒を取り出し、火をつける。


「……なるほど。アイテムだけは良いものを扱っているようだな。町長がこの小僧を推す気持ちもわかるというものだ」

「わかってもらえるかガブス殿。この店はきっと貴方のギルドに所属する冒険者たちの役に立つだろう。町長の名の賭けて保証する」

「フッ。辺境の町長如きに保証されてもな」

「っ……」

「しかし、この『マッチ』は、我がギルドの冒険者たちに役立ちそうだ。となれば……ふぅむ。まあ、いいだろう。総ギルドマスターから全権を預かる者として、冒険者ギルド『迷宮の略奪者』の支部をこの町に置いてやってもいい」


 これもマッチ効果か、いきなり交渉がまとまりそうな予感。

 ガブスさんの言葉を聞き、カレンさんはびっくり。

 すぐに喜びの表情を浮かべた。


「ほ、本当かガブス殿? 本当にニノリッチに支部を置いてもらえるのだろうかっ?」

「ああ。本当だとも」

「ならすぐに――」

「ただし! ……ただし、いくつか条件がある」

「条件? それはどういったものだろうか?」


 ガブスさんはにんまりといやらしい笑みを浮かべ、待ってましたとばかりに口を開いた。


「なぁに、町長の立場なら簡単なことだ。まずこの町に置く冒険者ギルドは――」


 癇に障る笑みを浮かべたガブスさんは、冒険者ギルド『銀月』の代表であるエミーユさんを一瞥し。


「我々『迷宮の略奪者』のみにしてもらおうか。そういえばなんといったか? この弱小冒険者ギルドは?」

「……銀月、ですよ」


 俺が教えると、ガブスさんはバカにしたように鼻を鳴らす。

 その背後では、エミーユさんがギリギリと歯を食いしばっていた。


「ああ、そんな名だったな。そのなんとかといった冒険者ギルドなんぞ即刻潰してしまえ。私たち『迷宮の略奪者』が支部を置く以上、他のギルドなど不要だ」


 ガブスさんは続ける。


「次に税の免除。これは辺境に支部を置いても利益を出すことが難しいから当然だな。それと支部の建設費用はこの町で負担してもらおうか。最後に……」


 すっと目を細め、ガブスさんは俺を見る。

 そしてこんなことを言ってきた。


「この『マッチ』の優先販売権も頂こうか」

「……え?」


 ガブスさんの口から飛び出してきた、「優先販売権を頂く」なる言葉。

 まさかの発言に俺も言葉を失ってしまう。

 なのにガブスさんったら、溜息をついて首を振り振り。


「理解の遅い男だな。それでも本当に商人か? 残念な頭しか持たないお前のために、もう一度だけ言ってやろう」


 ガブスさんは、今度はもっとはっきりと。


「お前の店が扱っているこの『マッチ』を、私たち『迷宮の略奪者』が全て買い上げてやろう、と言っているのだ」

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