第33話


「シロウお兄ちゃん、しさつのひとこないね」

「うん。来ないねー」


 遅くとも今日中には視察の人が町にくる、と聞いていたんだけど……。


「しさつのひと、道にまよっちゃったのかな?」

「隣町までは一本道らしいんだけどね。道草でも食ってるのかな?」

「早くくるといいね」

「そうだねー」


 まるでやってくる気配がなかったのだ。

 遅れている理由なんて、二つしか思いつかない。


 アクシデントがあったか、もしくは視察の人が時間にルーズなだけかだ。

 ライヤーさんたちの話を聞く限り、悪名高い冒険者ギルドって話だから、時間にルーズ説が有力だけどね。


 すでに日は傾きはじめ、山の向こうに消えようとしている。 

 いつでも歓待できるようにと、昨日から町の入口で待機しているカレンさんが不憫でならないぞ。


「あ、かねのおとだ」


 アイナちゃんが首を傾けて耳を澄ます。

 町の中心部から、「カラン、カラン、カラン」と鐘の音が聴こえてきた。

 この鐘は一日に何度か鳴り、住民に時刻を知らせるものなんだそうだ。

 いま鳴っている鐘は、夕方を知らせるためのもの。つまり、もう日が落ちるから家に帰れというサインなのだ。


「こりゃ今日もきそうにないな。よし。上がっていいよアイナちゃん。今日もありがとう。お疲れさま」

「シロウお兄ちゃんもおつかれさまでした」


 アイナちゃんはそう言い、にっこりと笑う。


「暗くなる前にお家に帰りな」

「うん。シロウお兄ちゃんは?」

「んー、視察の人がギリギリで到着するかも知れないし、俺はもうちょっとだけ残ってようかな」

「じゃあアイナものこるよ?」

「それはダメだよ。アイナちゃんのお母さんが心配しちゃうからね。でしょ?」

「……うん。わかった」


 俺に諭され、こくりと頷くアイナちゃん。

 一度も訊いたことはないけど、アイナちゃんにとってお母さんはとても大切な存在なんだろう。

 まだ八歳なのに働いているのだって、お母さんのためなんだろうしね。


「シロウお兄ちゃん、またあしたね」


 アイナちゃんは、名残惜しそうな顔をして店から出ていく。

 俺も見送るために店から出る。


「シロウおにーちゃーん。バイバーーーーイ!」


 アイナちゃんは何度も何度も振り返っては、ぶんぶんと手を振っていた。

 俺は負けてなるものかと振り返し、アイナちゃんの姿が見えなくなったあと店へと戻った。


 結局、一時間たっても視察の人はやってこなかった。

 太陽は沈み、街灯がないニノリッチの町は真っ暗。

 その上酒場もないから辺りはしーんと静まりかえっている。

 さすがにもういいか。

 そう思い、店の扉に鍵をかけようと椅子から立ち上がったときのことだった。


「おじゃましますわ」


 突然、小柄な女性が店に入ってきた。

 格好からして冒険者かな? 初めて見る顔だ。


「もし、『シロウの店』というのは、こちらのお店のことかしら?」


 俺はそういえば店の名前決めてなかったなと思いつつも、「そうですよ」と答える。

 女性はほっとしたような顔をした。


「よかった……。間に合いましたわ」

「見たところ冒険者の方のようですけど、何かお求めですか?」


 お客の半分以上は冒険者。だもんだから、冒険者相手の接客にはもう慣れっこだった。

 冒険者体験を経て、なんなら軽いジョークを交えた談笑だってできちゃうぐらいだ。


「いえ、大したことではありませんの。知人からこちらのお店には、冒険者向けのアイテムが数多く揃っていると教えていただきまして。どのようなアイテムがあるのかを見にきたのですわ」

「なるほど。そうでしたか」

「こんな遅い時間に押しかけてしまい申し訳ありません。ご迷惑でなければ、こちらのお店にあるアイテムを拝見させていただいてもよろしかしら?」

「どうぞどうぞ。俺のことは気にしないで好きなだけ見てってください。あ、アイテムについてわからないことがあったら何でも訊いてくださいね」

「ありがとうございます。では、お言葉に甘えさせていただきますわ」


 女性が店内をぐるりと見渡す。

 陳列棚には冒険者向けのアイテム商品が並べられていて、アイナちゃんが書いてくれた手書きの説明書が貼られている。

 ちょっと説明したら誰でも使えるアイテムばかりだけど、こういった気遣いが地味に好評だった。


「これが……噂の『まっち』というものかしら?」

「そうです。試してみますか?」

「お願いいたします」


 うちの主力商品マッチ。

 いまじゃニノリッチの町どころか、隣町でも持っていない人を探す方が難しいとまで言われている。


「ここをこうして……はい。火が点きましたよ」

「……話には聞いておりましたが、この目で見ても信じらませんわ。わたくしにも試させていただけますかしら?」

「もちろんですよ。どうぞ」


 女性がマッチをしゅっとして、ぼっと火が点く。

「…………すばらしいアイテムですわ」


 感極まったように言う女性。

 次いで、陳列棚にあるアイテムに目をやる。


「こちらの銀色のものはなんですの?」

「ああ、それはですね」


 俺はカウンターから、女性が指さしたアイテムのサンプルを引っ張り出す。


「これは『サバイバルシート』といって、持ち運びに便利な防寒アイテムです。いま広げますから見ててください」


 そう言って俺は手に持っていたサバイバルシートを広げた。

 サバイバルシートとは、薄いアルミで作られた保温シートのことだ。

 体に巻き付けることによって体温を維持し、お手軽に暖めることができる。


 実用性はバツグンで、もしもの時に備えて荷物に加えている登山家も多い。

 大きさは縦210センチ。横130センチで、しっかり折りたためばポケットに入るぐらい小さくなる。


 これさえあれば、わざわざ毛布を持ち運ばなくなくて済むという、冒険者から大変ご好評いただいているアイテムだ。

 そして先日、カレンさんに見せたときに、びっくりされたアイテムの一つだったりする。


「っ……!? これが防寒アイテムなんですの?」

「見た目はちょっと派手ですけどね。説明するより体験してもらった方が早いです。これに包まってみてください」

「……はい」


 女性がサバイバルシートに包まる。

 すると、表情が驚きに変わっていった。


「凄いですわ。こんなに薄いのに、とても暖かい」

「でしょ? このサバイバルシートがあれば、いままで毛布で占めていた分を食料や水に変えることだってできるんですよ」

「店主様のおっしゃる通りですわね。このアイテムは冒険者にとって革新的ともいえますもの」


 心底驚いたとばかりに頷く女性。


「そちらにあるアイテムはなんですの?」

「あ、それはですね――――……」


 アイナちゃんが帰ってから一時間。

 店を閉めようとしたタイミングで冒険者の女性が来店し、更に二時間。

 俺は店にあるアイテムの全てを、実演を交えて彼女に説明した。


「ご説明感謝いたします。では、わたくしは少々急いでおりますので、これで失礼させていただきますわ」


 頑張って説明したんだけど、女性は驚くばかりで、結局なにも買わずに店から出ていってしまった。

 俺は夜の闇に消えていく女性を見送りながら、ぽつりと漏らす。


「急いでるって、いったい何を急いでいたんだろう?」

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