第29話

「もう少しだけ……ら、来月にはなんとかしますからっ!」


 土下座したまま懇願するエミーユさん。


「ありゃ素材商人だな」


 ライヤーさんがボソッと言う。


「っていうと、あのおじさんが冒険者ギルドから素材を買い取る商人ですか?」

「ああ。何度か顔を見たことがあるから間違いないぜ」

「なるほど」


 土下座をキメられたおじさんは、素材を買い取る商人とのこと。

 おじさんは腕を組み、土下座ってるエミーユさんを冷めた目で見下ろしている。


「来月来月とおっしゃいますがね、そもそも来月までこのギルドが存続している保証があるのですかな?」

「そ、それはぁ――」

「もう半年も返済を待ったんです。金貨一〇枚。今日こそ返してもらいますぞ」

「でもぉ、ちょっといまギルドがバタバタしてましてぇ……」

「そちらの都合など知りません。そもそもエミーユ嬢、貴女と話していても意味がありませんでしたね。ギルドマスターのブロット氏はどこですか? 呼んできてください。私が直接話をします」


 ぴしゃりと言い放つ素材商人のおじさん。

 エミーユさんはここまでかと諦め顔になる。


「…………げました」

「ん、いまなんと?」

「夜逃げしました」

「……………………はぁ?」

「だからぁ、逃げちゃったんですよぅ、あのジジイ。ギルドのおカネ持ってドロンしちゃったんですぅ!」

「……」


 おじさんはしばし呆然。

 うんうん。わかるよその気持。

 俺もカレンさんから話を聞いたときは、他人事とはいえびっくりしたからね。

 数秒の間を経て、おじさんはハッと我に返る。


「つまり……返せるカネがない、ということですかな?」

「は、はい。いまギルドには銅貨一枚だってないんですぅ」

「銅貨すら……ええいっ。おカネがなくてもモンスターの素材はありますよね? 貸付金の代りにそれらをもらいましょうか。金貨一〇枚相当の素材を出してください!」

「それもないんですよぅ……」

「ウソをつくならもう少しましなウソをついてください。冒険者ギルドに素材がないなんてことは――」

「エミーユさんが言ってることは本当ですよ」


 気づくと俺は二人の会話に割って入っていた。

 だって事情を知る者としては、知らんぷりもできないじゃんね。


「……どなたですかな?」

「このギルドに依頼を出した者です」

「ほう。このギルドに依頼を」


 おじさんは俺を見定めるように目を細める。


「依頼人でしかない貴方が、なぜギルドの内情を知っているのですかな?」


 答えたのはライヤーさんだった。


「そりゃ町の連中ならみんな知ってることだからだよ。『銀月にゃカネがない』ってな。この町じゃ有名な話だ。依頼をこなしても報酬が払えないもんだからよ、ここに所属している連中は報酬の代りに素材をみんな持ってっちまったんだよ。ありったけな」

「そんなことが……」


 愕然とするおじさん。


「申し遅れました。俺はこの町で商人をやっている士郎といいます。よかったら話を聞かせてもらえませんか? まあ、なにがあったかはだいたい想像できますけどね」


 名を告げ、共感を示しつつそう訊いてみる。

 《ご同業商人》だとわかったからか、おじさんの警戒心がいくらか弱まった。


「……いいでしょう。誤解をされ私の悪評を広められても困りますからな」


 おじさんは夜逃げしたギルドマスターとは長い付き合いがある素材商人で、ゲラルドと名乗った。

 一時期、運営資金が足りなくなった銀月に対し、ギルドホームを担保に金貨一〇枚を貸し付けていたそうだ。


 なるほど。エミーユさんがカレンさんに金貨一〇枚貸してくれ、って頼み込んだのは借金が理由だったのか。


「返済期限はもう半年も前に過ぎているんです。半年ですぞ?」


 お怒り気味にゲラルドさん。


「ふわぁーんっ。すみませぇん!」 

「カネもなければ素材もない、あるのは土下座する兎獣人だけというわけですか。なんなんですかこのギルドは! 素材商の私をバカにしているんですかっ」

「ごめんなさいですぅ!」

「謝罪など結構! 代わりにここの権利書を頂きましょうか。これを見てください」


 おじさんが懐から一枚の羊皮紙を取り出す。


「これは、このギルドホームが金貨一〇枚の担保になっていることを示す契約書です。所有者であるブロット氏のサインもここに書かれています。わかりますか? 金貨一〇枚を返して貰えない以上、このギルドホームは私の所有物件になるんです」

「っ……」


 エミーユさんが言葉に詰まる。

 恐れていた事態が起こってしまったって顔だ。


「辺境の町とはいえ、このギルドホームは土地含めかなりの広さがあります。売れば多少は借金の足しになるでしょう。長い付き合いだからと信頼して貸したのに……。こんな辺境に来るのだって、タダではないんですからね? まったく、関所を通るのにいくら払ったと思っているんですか。さあエミーユ嬢、ここの権利書を持ってきなさい」

「うぅ……権利書だけは許してくださいよぅ」


「貴女に拒否する権利はありません。それに貴女だってブロット氏に見捨てられたのでしょう? このギルドと一緒に」

「っ……」

「私には貴女がなぜそこまでブロット氏に義理立てしているのか理解できませんね。行き詰まったギルドなど放り出し、新たな職を探したほうがよっぽど建設的ではありませんか」


 エミーユさんとはじめて会ったときに、俺がした質問と似ている。

 あのときのエミーユさんは、『乙女心』なんてとぼけていたけど……こんなシリアスな状況だ。

 俺のときと違ってごまかしなんか通用しない。

 数秒の迷いのあと、


「そんなの……思い出の詰まった場所を失いたくないからに決まってるじゃないですかぁ」


 エミーユさんは、胸に秘めていた想いを吐露しはじめた。

 声がかすれているのは、泣くのを堪えているからか。


「思い出の場所? エミーユ嬢、貴女はそんな感傷的な理由で私に権利書を渡したくないと?」

「アタシだってあのクソオヤジは嫌いでしたよぅ。でも……ここは兎獣人のアタシがやっと見つけた場所なんです。獣人ってだけで蔑まれてきたアタシが、はじめて見つけた居場所なんですよぅ。ずっとここで働いてきたんです。楽しいことも……辛いこともいっぱいあったけど、やっぱり楽しいことの方がちょっとだけと多くて。だから……ここが――このギルドが好きなんですよぅ。失くしたくないんですよぅ」


 ――このギルドが好きだから。


 質問の答えは、とてもシンプルなものだった。


「……この場所が好き、か」


 俺にはその気持ちがわかってしまった。

 ばーちゃんが行方不明になった数年後、両親が残った家をどうするかで話し合っていた。


 親戚一同が集まり、家ごと売り払おうって話がまとまりかけたところで俺が大反対したのだ。当時はまだ親に養ってもらっていた学生だったってのに。


 俺は両親に向かって土下座をして、ばーちゃんとの思い出が詰まった家を売らないでくれと頼んだ。必死になって頼んだ。

 その甲斐あってかばーちゃんの家は残り、いまは俺が住んでいる。

 だからエミーユさんの気持ちが、俺には痛いほどわかってしまったのだ。


「貴女の都合など私には関係ありません。さあ、はやく権利書を持ってくるのです」

「…………わかりましたよぅ」


 現実は非常だ。どうにもならないことも多い。

 エミーユさんはゆっくりと立ち上がると、重い足取りでカウンターの奥へと消える。

 そして戻ってきたときには、手に書類を持っていた。


「これです……」

 エミーユさんは目に涙をため、書類の束を素材商のおじさんに渡そうとして――

「あー、もうっ! しょうがないな。ちょっと失礼しますよ。エミーユさん、書類の受け渡しは少しだけ待ってください」

「お兄さん……?」


 不思議そうな顔をするエミーユさんをそのままに、俺は一度外へと出る。

 あたりに人がいないことを確認し、空間収納からマーダーグリズリーの素材ワンセットを取り出す。

 毛皮をはじめとした、価値が高い素材を持てるだけもって中に戻る。


「エミーユさん、この毛皮とか牙とか爪とかをギルドで買い取ってもらえませんか?」


 俺が抱える素材を見て、「はぇ?」とエミーユさん。

 その隣では、ゲラルドさんが信じられないと言わんばかりの顔でマーダーグリズリーの毛皮を見ている。


「そ、そんな……これはまさか……マーダーグリズリーの?」

「ええ。マーダーグリズリーから剥ぎ取った素材です」

「しかもこの色は亜種……。か、買います! シロウさん、そのマーダーグリズリーの素材を私に売ってはくれませんか?」

「すみませんゲラルドさん。せっかくの申し出ですが、この素材は銀月に買い取ってもらいたいんですよね」


 俺はエミーユさんに向き直る。


「ということです。エミーユさん、買い取ってくれますか?」

「ほぇ? お兄さんなにを言って……。だってギルドにはおカネが……」

「このギルドに買取資金がないことは知っています。だから――」


 俺はちょっとだけカッコつける。


「おカネは都合がついたときで構いませんよ」

「……お兄さん」


 意図が通じたのか、エミーユさんの目がうるうるしはじめた。


「じゃ、そゆことなので。都合がついたら教えてくださいね。おカネを受け取りにくるんで」

「え、エミーユ嬢! その素材は全て私に買い取らせてください! 金貨一五――いや、金貨一六枚出しますぞ!」


 こんどはゲラルドさんが慌てる番だった。

 ゲラルドさんは懐から金貨を取り出し、テーブルにどんと置く。

 エミーユさんはぐしぐしと目元を拭いながら、


「金貨一八枚ですぅ」


 と言った。

 意趣返しのつもりなんだろうけど、しっかりしてるよね。


「くっ……な、ならそれで構いませんぞ!」


 ゲラルドさんは金貨を八枚取り出す。


「このギルドに貸し付けていた一〇枚を差し引いて、残りは八枚。買取金額はこれでよろしいですな?」

「もちろんですぅ」


 エミーユさんが金貨を受け取る。

 ギルドホームこの場所を守れたのが嬉しいのか、安堵の表情を浮かべていた。


「ったく、あんちゃん人が良すぎるぜ。そんなカッコイイとこ見せられちゃよ、おれたちも黙ってられねぇぞ」


 やれやれとばかりにライヤーさん。


「なあエミィ、おれらもマーダーグリズリーの素材を持ってんだ。買い取ってくれるか?」


 言われたエミーユさんは、隣のゲラルドさんをチラリ。

 ゲラルドさんは無言で頷く。


「買い取らせていただきますぅ!」

「よっしゃ。いま持ってくる。あんちゃん、運ぶの手ぇ貸してくれ」

「はい」


 一度外へ出てマーダーグリズリーの素材を取り出し、再び中へ。


「おれはあんちゃんみたく都合がいいときだなんて言わないぞ。エミィ、カネはいま払ってもらうぜ」

「わかってますよぅ」


 エミーユさんはライヤーさんから受け取った素材を、金貨二〇枚でゲラルドさんに売った。

 俺より買取金額が金貨二枚分多いのは、マーダーベアのタマタマ――キルファさんの言葉を借りるなら、『キンタマ』の分が上乗せされたからだ。

 ギルドの取り分は二割が基本なので、ライヤーさんは金貨一八枚を受け取った。


「ウオッホン。……では私はこれで失礼しますかね。まさかマーダーグリズリーの素材を買い取れるとは思ってもみませんでしたぞ。エミーユ嬢、シロウさん、冒険者の方々も。次も素晴らしい取引ができることを期待しておりますぞ」


 そう言ってゲラルドさんはギルドから出ていった。

 エミーユさんが小さくガッツポーズする。

 次も・・ということは、ゲラルドさんはまたここに――銀月にくると言ったのだ。

 それはつまり、銀月が存続することを願っての言葉だ。エミーユさんにはそれがすっごく嬉しかったのだろう。


「お兄さん……それに青い閃光のみんな……ありがとうございましたぁ!」

「礼ならあんちゃんに言いな。おれたちは冒険者としてギルドと当たり前の取引をしただけだ」

「…………そう。わたしたちは冒険者として素材を売っただけ」

「そうにゃそうにゃ」

「私たちはシロウ殿と違い義務を果たしただけですからね。称賛されるべきはシロウ殿でしょう」

「それでも……アタシは嬉しいんですよぅ。ありがとうなんですよぅ」 

「やめろやめろ。らしくないぜエミィ。それよりよ、依頼完了の手続きを頼むぜ」

「はいですっ…………え? い、いま・・ですか?」

「おう。もともとそのつもりでここに顔だしたわけだしな。さっさとやっちまおうぜ」


 さっきまでニコニコしていたエミーユさんの顔が、急に凍りつく。


「お、お兄さんもいっしょにですかぁ?」

「へ? 俺いちゃダメでした?」

「ダメです! だってここは冒険者ギルドなんですよ? もう用事が済んだお兄さんがいるのはどうかと思うんですよねぇ」


 眉根を寄せて、しっしと犬猫を追い払うようにエミーユさん。

 まるで俺がここにいちゃ都合が悪いって感じだ。


「おいおいエミィ、あんちゃんはおれたちの依頼者なんだ。いちゃ悪いってことはないだろ。それに護衛依頼だぜ? あんちゃんが無事なとこ見せなきゃよ、依頼を達成できたかわからないじゃねぇか」

「そ、それはそうですけどぉ……。もうお兄さんが無事なのは確認しましたし、いいかなーって……ねぇ?」


 俺の顔を見て、なぜがソワソワするエミーユさん。

 いったいどうしたんだろ?


「だろ? ってことで見ての通りあんちゃんはピンピンしてる。おれたちが守ってたから傷一つついちゃいない」

「うんうん。ずっこけてヒザを擦りむいてたぐらいにゃ」

「…………キルファ、そういうことは査定に響くから言わない。それに転んだのはシロウの自業自得」

「あはは、あのときは回復魔法ありがとうございましたロルフさん」

「仲間の傷を治癒するのは当然のことですから、礼など不要ですよ」


 さらっと言ってるけど、『仲間』って言われて嬉しい俺がいる。


「そーゆーわけだエミィ。報酬の支払い手続きをしてくれ」


 ライヤーさんが催促する。

 しかし、頼まれたエミーユさんは渋い顔。


「あー……うぅ………そ、それは……ねぇ」


 なぜかカウンターの奥でウロウロと。


「……エミィ、まさかお前、あんちゃんから預かったおれたちの報酬に手をつけちゃいないだろうな? そんなことされたら、いくらお前と腐れ縁のおれたちでも銀月ここを出ていくぞ?」

「ししし、してないですよそんなこと! ほ、報酬はちゃんとありますぅ!」

「ならさっさち払ってくれ。三日間で銀貨三〇枚。耳揃えて用意しな」

「え? 三〇枚?」

「なんだあんちゃん? いまさら安くしてくれってのはナシだぜ」

「いえ、そうではなくてですね……」


 俺はエミーユさんにジト目を向ける。

 エミーユさんさんは顔をささっと背ける。


「ぁん? どうしんだあんちゃん?」

「俺、エミーユさんに依頼料として銀貨一〇〇枚渡しているんですよね。なのに三〇枚が報酬ってことは……残りの七〇枚が手数料、つまりギルドの取り分ということですか?」

「「「「……」」」」


 蒼い閃光の四人が絶句し、無言のままエミーユさんを睨みつける。

 エミーユさんは右往左往。

 この場をなんとか取り繕うとしてるみたいだけど、上手い言葉がでてこないんだろうな。

 立ったり座ったり、手を伸ばしたり引っ込めたりと、挙動不審が極まり珍妙な踊りを踊っていた。


「おいエミィ! どういうことかおれたちに説明しろーーー!!」

「ふええぇぇぇーーーーん! ごめんなさいですぅぅぅ!!」

「こんどというこんどは許さねぇ!」

「だってお兄さんが銀貨一〇〇枚だすってゆーからぁ! ゆーからぁっ!!」

「…………このウサギ、焼却する」

「んちょっ、ネスカ! 待って! 待ってくださいぃ! まほーはやめてぇぇぇ!」

「ボクもちょっと頭にきたにゃ。こう……カチンって」

「神は言っております。この者に裁きを与えるべきだと」

「ぎゃぼぉぉぉぉぉーーーーーー!! もうしませぇぇぇぇぇん!」

「…………赦さない。断罪する」


 このあと、蒼い閃光の四人によってエミーユさんは見るに堪えない姿へと変わった。

 アイナちゃんを連れてこなくてよかった。

 その光景を眺めながら、俺は心底そう思うのだった。


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