第20話

 冒険者ギルド銀月は、町の東側にあった。


「ここか」


 目の前にある大きな平屋の建物。

 入口に掲げられた、『銀月』と書かれた看板。


「うん。間違いないな。ここが冒険者ギルド銀月だ。……緊張するなぁ」


 冒険者ギルドというからには、常に喧騒に包まれ、併設された酒場ではムキムキな男たちが昼間から酒を酌み交わし、新人冒険者の足をひっかけ転ばせてはギャハハと笑う。

 もちろん文句を言おうものなら逆切れされ、因縁をふっかけられるとこまでがワンセット。

 俺は冒険者ギルドと聞くと、どうしてもそんな想像をしてしまうのだ。


「大丈夫、俺は冒険者じゃない。商人だ。足はひっかけられない。そもそもカレンさんの手紙もあるしね。だから大丈夫。絶対に大丈夫。おっし! 入るぞ」


 気合を入れ、いざ冒険者ギルドへ。


「失礼しまーす。ここのギルドマスター代理の方はいます……って、あれ?」


 中は薄暗く、喧騒に包まれるどころか閑古鳥が鳴いていた。


「これはまた見事に……誰もいないな」


 そこには酒を飲むムキムキマッチョも、足をのばしてひっかけくる輩も、誰もいない。

 そう思ったときだった。 


 ――しくしくしくしくしくしくしくしく……。


 どこからか女性のすすり泣く声が聞こえてきた。


「んなっ!? だ、誰だ!?」


 俺はあたりをきょろきょろと。

 まさかのホラー現象か?

 ここは異世界なんだ。十分にあり得る。


 ――しくしくしくしくしくしくしくしく……。


 泣き声のする方を見る。

 受付らしきカウンターの奥。そこに、女の子がいた。

 女の子は両手で顔を覆い、ただただ、


 ――しくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしく……。


 すすり泣いていた。

 制服っぽいものを着ているってことは、このギルドの関係者なんだろう。

 ギルドマスターが夜逃げして破産寸前て話だから、そりゃ泣きたくもなっちゃうよね。

 ともあれ、まずは話しかけないとだな。


「あ、あのー……」


「しくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしく……」


「俺は町長の紹介できた――」


「しくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくしくし……」


「……ダメだこりゃ」


 女の子は一向に泣き止まない。それどころか顔を上げようともしない。

 この様子じゃ、俺がいることにも気づいていないだろう。


「仕方がない。ちょっと失礼しますよ」


 俺はカウンター越しに彼女の肩へと手を伸ばし、


「すいませーん。ちょっといいですかー」


 その肩を揺する。


「…………はぇ?」


 やっと気づいてくれたらしい。

 女の子が顔を上げる。

 頭の上にぴょこんと生えているのはウサギの耳か。

 どうやら彼女はウサ耳の獣人みたいだ。


「…………」

「すみません。ちょっと話をしてもいいですか?」

「…………」


 ウサ耳娘は、まず俺を見て、次に肩に置かれた手を見て、再び俺を見る。

 そして――


「はわわわわわわわ~~~~~っ!?」


 やっと俺の存在に気づいた。


「落ち着いてください。まずは俺のはな――」

「だ、だれですかアナタっ? いつの間に現れたんですかっ!? 何しにきたんですかっ!? なんでアタシに触ってるんですかっ!? というかアタシのこと好きなんですかっ!?」


 女の子は俺の手を振り払い、ずささっと後ずさり。


「ここは冒険者ギルド銀月ですよ! 看板娘のアタシがひと声かけるだけで屈強な冒険者が一〇〇〇人は集まるんですからね!!」

「その割には誰もいませんよ?」


 俺は後ろを振り返る。


「ね?」

「っ……。た、たまたまですぅ。たまたまいないだけですぅ!」


 なんだよその言い訳。

 子供かよ。 


「それにアタシだって戦えるんですからねぇ」


 ウサ耳娘は拳を握り、宙にしゅっしゅとパンチしてシャドーボクシング。


「アタシの拳は岩だって砕くんですぅ。甘く見ないでくださーい」


 うん。

 この人、ひと言で言うとめんどくさい人だな。


「勝手に触ってすみません。でも声をかけても返事がなかったので、しかたなくだったんですよ」

「……ぇ?」


 ウサ耳娘の動きがピタリと止まる。


「それと、ここには用があってきました。少し俺の話を聞いてもらえますか?」

「……用?」

「はい。用件です」


 俺はこくりと頷く。

 ウサ耳娘は、そこではじめて俺のことをじーっと、上から下までじーっと見る。


「若い只人族ヒュームの男……あっ! ひょっとして冒険者志望の方ですか?」

「へえ? ちが――」

「アナタ運がいいですよー。実はいまですね、『と、く、べ、つ』なキャンペーン中でして……。通常なら銀貨一枚払って試験を受けてもらうところを、なななんと! たった銀貨五枚払うだけで無試験で冒険者になれちゃうんです!」

「……」

「しかもそれだけじゃありません。更に銀貨一〇枚を払えば、いきなり青銅級からスタートできちゃいます! 青銅級ですよ? 凄くないですか? 同期を一気に引き離しちゃう快感……アナタにも味わってほしいなぁ」


 ウサ耳娘は体をくねらせ、チラッチラッとこっちを見てくる。


「…………じゃあ銀貨二〇枚なら?」

「に、にじゅうぅぅ――そ、そんなに? ひょっとしておカネ持ち? えとっ、じゃ、じゃあ……ぎ、銀等級からスタートさせてあげちゃいます!」


 ウサ耳娘はカウンターから身を乗り出し、俺の肩をぐわしと掴む。

 鼻と鼻が触れ合うぐらいまで顔を寄せ、


「どうですお兄さん? 銀等級といえば上から四つ目の等級ですよぉ。冒険者になりたくなったでしょう? なったよねぇ? だったらはやくおカネを――銀貨二〇枚払ってくださぁぁぁぁぁいぃぃ!!」


 目を見開く。もうそれは必死な形相で。

 亡者だ。亡者がいる。俺をも凌ぐカネの亡者がここにいるぞ。


「冗談ですよ。冒険者になんてなりません」


 こんどは俺が手を振り払う番だった。


「あ……」


 手を振り払われ、ウサ耳娘が哀しい声を出す。


「俺は冒険者志望じゃありません。ギルドマスター代理に用があってここにきたんです。ですので、ギルドマスター代理を呼んできてもらえますか?」

「…………ですよ」

「はい?」


 訊き返すと、ウサ耳娘がぽつり。

「……ギルドマスター代理って、アタシのことですよ」

「はぁぁぁぁっ!?」


 人がいないせいも相まって、俺の叫びはギルド内に響き渡るのだった。


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