003:メテオちゃん


 夕飯はカツ丼だった。

 

 その献立に母さんの他意があったのかなかったのかは知る由もないけれど、中学最後の大会を一週間後に控えた僕にとって、そしてリアリストを自負する僕にとって、あまり嬉しいメニューではなかったのは確かだ。


「つーか、で頭がこんがらがって味わう余裕なんてなかったし……」


 母さんとの夕飯を終えた僕は、呟きながら二階の自室へと向かう。

 

 心なしか階段を登る足が重い。


 その原因は肉体的疲労から来るものではなく、もっと別の──


「おう、カケル! お前を待つ間、暇だったからお先にお風呂をいただいたぜ!」


 この子による精神的疲労から来るものであることは明らかだ。


「……メテオちゃん」


 部屋のドアを開けると、濡れた紅い髪をタオルに包む彼女がいた。


 隕石少女のメテオちゃん。


 自身をそう名乗った正体不明の女の子は、僕の趣味でレイアウトされた自慢の部屋をさもあたしのものだと言わんばかりの様子でくつろいでいる。


 とりあえず僕の部屋に身を潜めてくれとは確かに言ったけれど、それはその場しのぎ的な意味合いだし、客人みたく好きにしてくれということではない──つーか、勝手に風呂に入っている時点で言いつけすら守れていない。


「この際、もう細かいことは言わないけどさぁ」


 呆れた僕は、メテオちゃんに正対するように腰を下ろす。


「そろそろ教えてくれない? メテオちゃん、君が何者なのかを。そして──」


 彼女を直視して僕は言う。

 

 先ほどの、玄関先での出来事を脳裏に思い返しながら。


「母さんに君の姿が見えていない理由をさ」


 そう、メテオちゃんは僕以外の人に見えていなかった。


 彼女のおかげ(?)で門限ギリギリに帰ってこれた僕たちは、偶然、郵便ポストの確認で外に出てきていた母さんに見つかってしまったのだが、あろうことか僕の隣にいたメテオちゃんに母さんが気づくことはなかった。


 それどころか、堂々と飛石家の敷居をまたぐ彼女に対して母さんは何も言わず、いつも通り僕だけをリビングへ案内した。


 その理解しがたい一連の出来事に僕は平常心を装うことで精一杯だった訳だが、やはり食事中も母さんからメテオちゃんについて言及されることはなかったのだ。


「初めからただの女の子とは思っていなかったけれど、それでもはっきり言って異常だ」


「…………」


「光り輝きながら超スピードで空を飛べる人間や、隠れもせず目の前にいながら相手に気づかれない人間なんて聞いたことがないよ。僕は」


「…………」


「それこそ僕の嫌いな都市伝説の類じゃないか」


「…………」


「僕の話を聞いてるの? なんでさっきから黙ってるだよ、メテオちゃん!」


 現状の理解が追いつかず、とうとうしびれを切らした僕は少し声を荒げた。


 すると髪を乾かし終えたのか、メテオちゃんは無造作にタオルを床に置いて言う。


「さっき言ったろ、カケル? あたしの正体を知りたかったら、あたしとの鬼ごっこに勝ってからだって」


「なっ!?」


 驚いた。

 

 まさかそのルールがまだ適用されているとは。


「いや、いい加減ここまできたんだから教えてくれよ」


「ダメだね、約束は約束さ。こんな約束も守れないようじゃあ、ろくな大人になれないぜ」


 あまりにも因果関係から飛躍しすぎな言い分だ──しかし、空を飛べる彼女にとってはその飛躍も仕方ないのか?


 愚かなことにもここ数時間での出来事で頭がパンク寸前メダパニ状態にあった僕は、彼女の言っていることも一理あると思ってしまう。


「でもさっきの鬼ごっこ中、僕はメテオちゃんにタッチしたじゃないか」


 ところが切れ者だった僕は、すぐさま彼女に切り返した。


「え?」


「よく思い出してくれよ、メテオちゃん。僕は君が休戦宣言をする前に、耳打ちをすることでタッチしているはずだろう?」


「そ、そんなのありかよ!?」


「形はどうあれ、タッチはタッチだ。間違いなくあの鬼ごっこは僕の勝ちだよ」


 僕も僕で、彼女に負けず劣らず無理やりな言い分だ。


 せこい、卑怯、屁理屈だと罵られてしまえば返す言葉もないが、それでも少し顔を歪めた挙句、煮え切らない表情で口をむにむにしながらもメテオちゃんが納得してくれたのは儲けものだった。


 今風に言えば、チョロインとでも形容するのだろう。

 

「っち! 仕方ねえから教えてやるよ。あたしはな──」


 メテオちゃんは言う。

 

 無い胸をこれでもかと張りながら。


「隕石少女のメテオちゃん。その正体は妖怪で怪物でまやかしで、そしてモノノだ」


「も、モノノ怪……?」


 誰よりも現実主義を語る僕にとってそれは信じたくなかったけれど、やっぱりメテオちゃんは尋常ならざる存在とでも言うのか?


「そう、モノノ怪。カケルら人間に馴染みのある言葉で言うとだけどな」


「モノノ怪ってもののけ姫とかのモノノ怪だろ?」


「そうだけど、なんだかややこしいな。そりよりもベムとかベロみたいな、って言った方がわかりやすくねーか?」


「なんでベラを仲間外れにした!」


 人間ではないと言うくせに、やけに僕たちの文化には詳しいようだ。


「ともかく! あたしは隕石少女っていうモノノ怪だぜ」


「その言い方だと、他にもモノノ怪に種類があるってこと?」


「ああ。例えば有名どころで言えば吸血鬼とか狼男にフランケンシュタイン」


「なんで怪物くんよりなんだ……」


「あとは鬼太郎とかもだな!」


「鬼太郎もそのくくりに入るのかよ!?」


 それがメテオちゃんなりのジョークだったのかはさておき。


 仮説に仮説を重ねることでなんとか僕は彼女の話を理解しようとする。


「でも今言った吸血鬼なんかは聞いたことがあるけれど、メテオちゃん、隕石少女なんて噂話でも聞いたことがないよ」


「それはあたしの知名度の問題だな。そもそもあたし、つまり隕石少女は流れ星という現象として人間に捉えられている」


「う、うん」


「流れ星ってそう滅多に見るものでもないだろ? だから他のメジャーなモノノ怪と違って、あたしらマイナーなモノノ怪は注目される機会が少ねーんだよ」


 要するに大抵の無知な人間は知らないだけで、他にもモノノ怪はいるということか……?


「まあ、だいたいそういう解釈で間違いねーぜ」


 理解が早くて助かるぜ。


 メテオちゃんはそう言ってくれるけれど、正直、もう僕の情報処理能力は限界だ。


「そんでよ、カケル。お前があたしに足が速くなりたいっていう願いごとをしたから、こうしてわざわざお前の元にやってきたってわけなんだぜ!」


 だから誰にも言ってない僕の本心をメテオちゃんは知っていたのか。


 なんとなくだけれど、辻褄があったような気がした。


「でもその口ぶりだとメテオちゃんは僕の足を速くしてくれるってことだけど、本当にそんなことできるの?」


「ふっ、愚問だぜ。隕石少女は願い事を叶えるモノノ怪なんだからよ」


「〜〜〜〜っ!」


 メテオちゃんの話は1から100まで科学的根拠に欠けるが、そもそもその科学の枠外に位置する彼女の前ではその判断も意味をなさない。


 ともすれば、本当に彼女の超人的な力によって僕の足は速くなるかもしれない!


「ちなみに徳川家康もあたしに願って天下統一の夢を果たしたんだぜ」


「マジかよ!?」


「もちろんあたしだけの力じゃなく、家康本人も頑張ったおかげだけどな。だからカケルもあたしに頼り切るんじゃなくて、自分の努力も欠かすなよ」


「えっ……」


 なんだ、メテオちゃんに願ったからって無条件で願いが叶うわけではないのか。


 まあ、現実がそんな甘いはずもない。


 それはリアリスティックな僕が一番知っていることだ。


「あたしは自分のキャリアに傷がつくことは許さねー。だから万が一にも期限までに結果が出ない──願い事が叶わなかった場合は相手を殺すことにしてるからよろしくな」


「へ?」


「そいつを殺しちまえば、あたしの隕石少女としての失敗も消えるだろ? でも安心してくれよ、殺すときは必殺の『めてお⭐︎ぱんち!』で痛みを感じることなく楽にしてやるからよ」


「ええっ!?」


「織田信長はその最たる例だな。家康同様あいつもあたしに天下統一を願ったが、奴の努力不足で叶わなかったから殺したんだ」


 史実では家臣の裏切りよって死んだってことになってるけどな。


 そう語るメテオちゃんに罪悪感は全く感じられず、むしろ生き生きとしていた。


 殺し。


 メテオちゃんはそれを悪だと捉えていない──人間でない彼女に僕らの倫理観を無理強いするのもズレた話かもしれないが。


「言っとくけど、今更やめるなんて無しだからな、カケル。お前はあたしに魅入られたんだからよ」


 メテオちゃんの紅い髪の毛が、燃え盛る炎のように逆立つ。


 僕は依然として愕然としていた。


「さぁ、もう後戻りはできねーぜ。今日から大会までの一週間、死ぬ気で死なないために特訓しろよ!」


 かくして僕とメテオちゃんによる、一週間限りの猛練習が始まった。

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