第4話

「そんじゃ、借りてくね」

「うう……」

「すばる先輩もついてきます?」


 親と別れるのを嫌がる幼稚園児みたいな顔をしているので、雲雀はそう提案するが、すばるは、疲れてるし遠いから、という理由で泣く泣く断った。


 2人が行こうとしている調理室は、寮の隣に建つ寮管理棟にあり、現在地からは校舎の廊下一周分ほど移動しないといけない。


「限界になったら電話して下さい」

 

 しゅん、としてぬいぐるみを抱きしめるすばるに、雲雀は、しょうがないなあ、といった様子で苦笑いしながらそう言った。


「なるべく早く帰らせなさいよ……。吹雪」

「了解」


 吹雪は雑な敬礼と共にウィンクしてそう返し、ゆっくりとドアを閉めた。


 ちなみに、彼女がこれを真莉愛達以外の生徒にやると、確実に何人か失神者が出る。

 


 

 そんな紆余曲折うよきょくせつを経て、雲雀と吹雪は良く日が当たる西向きの廊下を歩く。差し込んでくる光が、フローリングの床に四角形を作っている。


「どうだい、雲雀君。この学校にはもう慣れたかい?」

「はい。なんとか」

「それは良かった」


 ナチュラルに雲雀の肩へ手を回そうとする吹雪だったが、彼女はそれをスッと避けた。


「つれないなあ」


 再度試みたが同じ結果で、吹雪はそう言いながら肩をすくめた。


「それはそうと吹雪先輩。クッキーの件、あれ、半分嘘ですよね?」

「おや、なんでだい?」

「先輩の『妹』の方から、先輩の作るクッキーは絶品だ、と教えていただいたので」


 私も1つ頂きましたけど、先輩に教える事ないと思いますよ、と雲雀は付け足す。


「ありゃ。まさか、良い子達過ぎるのがあだになるとは」


 それを聞いて、ずっこける動きをした吹雪は、実に楽しそうな様子で言う。


「正直に言うと、すばるについて、雲雀君にちょっと知っていて欲しい事があってね」


 すれ違った女子2人へ小さく手を振って、彼女らから黄色い声を浴びつつ、話はキッチンについてからね、と吹雪は言った。




 寮管理棟1階には、寮生に食事を提供するための大きな調理室と、学生が使うための小さいが本格的な調理室が5つある。

 ちなみに、建物の地下はクリーニング店顔負けの設備を誇るランドリー、2階はカフェテリアになっていて、その上の階が寮の職員室になっている。


 そのうちの1つのドアに、使用中のプレートを吊してから、2人は備え付けの茶色いエプロンを着けた。

 使われる度に洗われるそれは、綺麗きれいにアイロン掛けまでされるため、シワや汚れは一切無い。


「吹雪先輩って、案外エプロン似合いますね」

「どうも。君も新妻にいつまって感じで素敵だよ」


 ナチュラルにあごクイしようとする吹雪の手から、スルリと逃げた雲雀は、


「で、話というのは?」


 そう訊きながら、ペンギンのロゴが付いた冷蔵庫から、吹雪が用意した材料を取り出す。


「うん。じゃあまずは、あの子の家庭環境の話なんだけど」

「……えっ、なんで知ってるんですか?」

「いやいや。別に探ったとかじゃなくて、彼女と真莉愛がボクと幼なじみなだけだから」


 やや引き気味な目で見られたので、吹雪はすかさずそう説明した。


「なあんだ」

「おいおい。君はボクを何だと思ってるんだい?」

「すいません」


 そういう趣味があると疑われ、吹雪はちょっとかなしそうな笑みを浮かべた。


 疑惑も晴れたところで、と前置きしてから、吹雪は話を始めた。


「ボク達には全然関係ないんだけど、すばるの家は僕ら3人の中では一番歴史が浅くて、彼女のご両親は、どうやらそれが凄くコンプレックスらしい。

 それで、その穴を埋めるために、経済学からなにから、経営者になるためのありとあらゆる学問を娘のすばるへたたき込んだんだ」


 そう言いながらも、吹雪は手際よく卵を割って、卵白と分離した卵黄とバターをかき混ぜていく。


「いつからだったんですか?」

「すばるが文字を読めるようになってすぐだね。ボクの親の話だと4歳位からだったかな」

「……やけに早いですね」

「うん。早いね。とても」


 生地に練り込むチョコを刻む手を止めて呆れる雲雀に、吹雪はそう言って首を縦に小さく振る。


「普通の子なら、そこでパンクするところなんだけど」

「すばるは出来たんですね」

「そう。出来てんだ。あの子の抜群の頭脳と精神力のおかげでね」

「……しまった? それって良いことなんじゃ無いですか?」

「まあ、道理で行けばそうなんだけどね……」


 いつもは余裕のありげに微笑ほほえんでいる吹雪だが、そう言いよどんだ彼女の表情は、辛そうに曇っていた。


「すばるはね、ご両親の望むように全部やってのけるから、それならあれもこれも、って具合に、ボク達と遊んでる時間すら削って、どんどん増やされてしまったんだ」

「……嫌がらなかったんですか。すばるは」

「多分ね。ご両親の言いつけを守れば喜ばれるんだ、その当時じゃ、嫌がる、なんて選択肢自体がなかっただろうし」


 得てして親から認められたい、と思うのが子どもだからさ、と言いつつ、吹雪はボウルの中に砂糖と振るっておいた小麦粉と、シナモンを香る程度に加える。


「でも、極端にするとしわ寄せは来るものみたいで、小学校に上がるぐらいになると、すばるはお面みたいに表情が変わらなくなっていたよ」


 感情すら無かったかもしれない、と続ける吹雪へ、


「でもすばる、結構いろんな顔しますよ?」


 自身の入寮時から一緒にいるが、そんな彼女に全く心当たりがない雲雀は、怪訝そうな顔をしてそう返す。


「それは君が来てくれたおかげさ」


 一転、元のにこやかな表情に戻ってそう言う吹雪へ、はい? と雲雀は目を丸くしながら言う。


「驚いたよ。ボクらが何年かかっても出来なかった事を、君はたった一瞬でやってのけたんだからね」


 少し自虐的な口振りを混ぜながら、本当にすごい子だ、と吹雪は雲雀を称賛しようさんする。


「運命ってヤツは、なかなか粋なことをしてくれるね」


 ある程度まとまった生地をまな板の上に移しながら、吹雪は男役のような中性的で美しい破顔を見せた。


「そんな話、すばる先輩からは一度も……」

「だろうね。あの子は聞かれない限り、昔のことを言いたがらないし」


 変なところで良い格好しいなんだよね、と苦笑いしながら言う吹雪は、暖めておいたオーブンへ、切り抜いたクッキーの生地を乗せたプレートを入れた。

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