第5話

 2ヶ月ほど前。春休みの終わる前日のこと。


「うーん。ダメか……」


 管理棟2階にある視聴覚室で、吹雪と真莉愛は、すばるの表情を取り戻すきっかけになれば、と、宇宙人の船とイージス艦や戦艦が戦うSF映画を見せた。

 だが、爆発音に少し驚いた程度で、特に大きな影響は与えられなかった。


 意気消沈、といった様子でそう言った吹雪は、視聴覚室のドアに鍵をかけた。


「ごめんなさい。期待に応えられなくて」


 斜めに並ぶ形になっている2人へ向けて、少し手前にいるすばるはそう言って頭を下げる。


「謝らなくて良いよ。君が悪いわけじゃ無いんだ」

「そうよー。多分吹雪さんのチョイスの問題だから」


 2人がそうフォローすると、なら良いのだけど、と言ったすばるは、廊下の突き当たりにある階段へと歩き始め、2人もその後に続く。


「うーん。やっぱりサメ映画の方が良かったのかな」

「吹雪さん。まず、映画は大衆向けから入るべきだと思うの」

 

 ゲテモノ映画マニアな吹雪は、真莉愛の的確な指摘に、ピンときていない様子で、そうなのかい? と返した。


 とはいえ、芸術作品は中高4年間で大概めぼしい物を見せ尽くしていて、真莉愛も芸術に造詣が深い吹雪でも、もうその手の物しか思いつかないのだが。


「一体、どうすれば良いんだろうか……」

「そうねえ……。どうしようかしらねえ」

 

 そう言いながら頭をひねる2人が、1階まで降りたところで、


「失礼しました」


 すぐ左にある職員室の戸が開いて、中から高等部の制服でも、中等部のそれでも無いブレザー姿の女子生徒――雲雀が姿を見せる。

 室内に居る職員へそう言いながら、彼女は頭を下げて戸を閉めた。


「――ぁ」


 ボンヤリと雲雀の方を見ていたすばると、くるり、と振り返った雲雀の目が合った。

 すぐにうつむき加減になってしまったが、すばるはひどかなしげに潤んだ彼女の瞳を、スローモーションではっきりと捉えていた。

 3人の脇を通って、雲雀は来客用の靴箱の前へと進む。

 


「おっと。どうしたんだい、すばる君」


 ピタリ、と動かなくなったすばるにぶつかりそうになり、吹雪は慌てて急停止する。


「おーい、すば――おや?」

「あらあらまあ……!」


 反応が無い彼女の正面に回り込み、その顔をのぞき込んだ吹雪と真莉愛は、ほぼ同時に目を見開いた。


 その理由は、雲雀を見つめるすばるの目に、2人が今まで1度たりとも見たことが無い、強い意志が宿っていたからだった。


「そ、そこのあなた。ちょっと待って」


 スリッパをしまって靴に履き替えようとしている雲雀に、すばるは吸い寄せられる様に近づいて行ってそう話しかける。


「はい……っ?」


 振り向くとすぐ目の前にすばるがいて、雲雀はビクッ身体を震わせて驚いた。


「ええっと、何か、あったの?」

「あ……。いえ……、特には……」


 緊張で表情が硬くなっているすばるからそう訊かれ、やや困惑気味にそう答えた雲雀は、急いで立ち去ろうとする。


「じゃあなぜ、そんな哀しそうな表情をしているの?」


 その腕を両手でつかんで引き留め、すばるはさらに雲雀へ訊ねる。


「あ、あなたには関係ありませんっ!」


 すばるの手を振り払おうとしながらそう言う雲雀だが、すばるは必死にしがみついて放そうとしない。


「真田さん、本当にこれで良いんで――、……何をしているんですか。あなたたち」


 そうこうしていると、職員室から書類を手にした教頭先生が足早に出てきて、そんな4人を見て不思議そうな顔をする。


 振り返ったすばるは、教頭の持つ書類が入学辞退届で、その名前欄に「真田雲雀」と書いてあることに気がついた。


「関係あるじゃない……っ。なんで辞めてしまうの……ッ!」


 今まで一度も発した事の無い大声で、一度も見せたことの無い必死さですばるは雲雀へそう言う。


 初めてそんな行為をしたすばるに、教頭も吹雪も真莉愛も唖然していた。


「いや、無いじゃないですか。そもそも初対面ですし」

「あなたと私は、先輩と後輩、という関係にあるわ」

「いや、もう出しましたし……」

「教頭先生、受理されました?」

「いや。まだですよ」

「ならまだ継続中ね」


 理由だけでも教えてちょうだい、と、息を切らせてまで食い下がるすばるに、


「何なんですか、いったい……」


 雲雀は何故そこまでするのか分からない、といった表情でそう言う。


「私もそうして貰えると助かる。どんな事情があっても、なるべく生徒の望む通りの進路を歩ませてあげたいんだ」


 私はそれが教育者としてのポリシーでね、と言った教頭は、一旦職員室に引っ込んで小会議室の鍵を持ってきた。


 そんな2人に根負けした雲雀は、分かりました。理由だけはお伝えします、とため息交じりにそう言って、すばるを振り払おうとするのを止めた。


 吹雪と真莉愛を除いた3人が小会議室に入ると、雲雀とすばるは教頭と向き合う形で座る。

 雲雀は少し、逡巡しゅんじゅんする様子を見せてから口を開いた。


「私の家は、それなりの大きさの町工場で、それなりに大きな仕事を受けてました。

 ですけど、公立の入試が終わった後ぐらいに、従業員の人のミスで大損害を出してしまって。……それで入学金も学費もお支払い出来ないので、入学を辞退しようと思うんです」


 やや俯き加減にそう言った雲雀は、沈痛な面持ちでスカートを握りしめる。


「なるほど……」


 金銭面は流石にどうしようも無く、教頭は苦々しい表情でそう言う。


「で、どのくらいなの? その損害額は」


 その一方、特に動揺した様子を見せず、すばるは雲雀へそう訊ねる。


「1億……、だったと思います」

「1億ね」


 額を聞いたすばるは、ちょっと失礼するわね、と教頭に言ってスマートフォンを取り出した。


「私がなんとかするわ」

「はい?」

 

 ジュースをおごる位の気軽さで言うと、すばるはどこかに電話をかけ、


「突然で悪いのだけど、食品部門を買ってくれる会社探してちょうだい。額は1億で。大至急」


 相手にそう大ざっぱな指示を出して切った。


「えっ、どういうことですか?」

「どうって、言った通り以上の意味はないわよ」

「えっでも、あなたに何でそんな権限が……」

「私が代表取締役社長やってる会社だもの。当たり前でしょう?」

「えっ、ええっ!?」


 誇るでもなく平然とそうすばるに言われて、雲雀は理解がついていかない様子で仰天する。


 それから数十分後、すばるへ折り返し電話がかかってきて、部門の買い手が付いた事を知らせた。


「というわけで調達したわよ」

「……」

「これで問題ないでしょう?」

「どうして、そこまで……?」

「簡単な事よ。私、あなたが気に入ったの」


 なんなら、あなたの入学金から何から私が全部払うわ、と、自身の行動力に唖然あぜんとしている雲雀を見つめ、微笑みながら言う。


 彼女のそんな様子を戸の隙間からのぞき見ていた、廊下の吹雪と真莉愛も、


「こいつは驚いた……」

「ええ……」


 初対面の雲雀によって、実にあっさりとすばるの表情が取り戻された事に驚いていた。


「これからよろしくお願いするわ。雲雀さん」


 すばるは愛おしそうな表情で、いまだ驚いたままの雲雀の名前を呼んだ。

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