第17話

「哀斗ってば高校生にもなってまだ頭の中、お菓子ばっかりなのね。あ、ポッキー食べる?」

「なんかもの凄く説得力を感じないんだけど。……食べる」

「じゃあ、あーんして」

「うぇえ?」

「キモイ声出すんじゃないわよ、いいから口開けなさい」

「……ぁーん」

「情けない声出すんじゃないわよ、みっともない」

「恥ずかしいんだよ!」

「い、良い度胸ね。哀果の実の姉である、あたしの目の前で夫婦漫才だなんて」

「え」


 告白イベントを終え、気まずい雰囲気になった哀斗とリミリーは、制服姿のまま零細家――哀斗の自室へと場所を移していた。おおよそ友人の距離間とは言えないような近い距離で座る哀斗とリミリーはベッドによりかかるように、絨毯の敷かれた床に座りこんでいる。夕飯が近い時間帯ということもあって、小腹が空いたと漏らした哀斗にリミリーがポッキーを取り出したのだ。それを、強引にリミリーが哀斗に食べさせている光景を哀果に見つかった、というのが今の現状。


「哀斗」

 

 色素の薄いくせっ毛をめらめらと揺らしながら、静かな声で哀果は実の弟の名前を呼ぶ。


「……はい」

「……この外人、誰?」


 もう夜だからかな、一段と室内が寒いよ。


「アタシは日本籍よ」


 明るい髪色はヒーター機能付きなのか、リミリーは立ち上がって哀果に咆哮。


「ビッチは黙ってなさい」

「なんですってっ⁉」


 うん、間違いなく面倒なことになった、と哀斗は悟った。


「あら、金髪、碧眼に更には巨乳という恵まれた属性を持ち、あろうことか、断りもなくあたしの自慢の童貞弟にあーんをするJK。まともな処女膜がついているとは思えないわね」


 はっ、と吐き捨てるように笑う哀果に、リミリーは目くじらを立てる。


「そんな変なTシャツ着てる人に言われたくないわよっ!」


 指摘された哀果は、白地に黒で『弟を食べたい(えっちく)』と達筆に書かれた自身のTシャツを確認してから、リミリーに冷たい視線を戻す。


「人を見た目で判断するだなんて、つくづく低度の低いJKね」

「アンタそれさっきアタシにやったわよね⁉」


 リミリーの跳ねっ毛がつんと突っ張る。


「(うおぉ……アホ毛が意思を……)」

「先にやられたからやり返す。そんな人ばかりだから戦争は無くならないのかもしれないわね」

「……点で話が通じないわね。哀斗、このお姉さんどうにか……って何やってるのよ」

「え、宿題だけど」

「この状況ほったらかしてやることっ⁉」

「ツッコミ役がいると楽だなあと思って」


 毎日のように哀果のもざがらみの対応をしているのだ。たまにはいいじゃないか、というかとても火花が散ってて怖いのじゃ、と哀斗は年老いたような瞳で空を仰いだ。


「良い子ね哀斗。宿題は大事よ。かしこくなって損をすることはないわ。もっと励みなさい」

「子ども扱いしないでよ、姉ちゃん」

「なんか、調子狂うわね……」


 零細家の独特な雰囲気に気圧されるリミリーだった。

 

 □


「こちら、同じクラスの星羅リミリーさん。そしてこっちが、零細哀果、俺の姉だよ」


 リミリーの毒気がぬけたこともあって、室内は落ち着きを取り戻していた。


「こちらこそ、変態ブラコンお姉さん」


 ……哀果はまだ一服ある感じだった。


「お願い、静かにいがみ合うのやめて、怖いから」


 胃がキリキリしてきちゃうよ。と哀斗は涙目になる。宿題に逃げてしまうくらいにはメンタルをやられていた。自分の部屋にこっそりとリミリーを連れ込む分にはきっと大丈夫だろう、と高を括った30分前の自分を哀斗は呪った。


「で、どういう関係なのかしら。爛れた関係って言ったら首をはねるわよ」

「爛れた関係」

「よし哀斗。刀もってきなさい」

「星羅さん⁉ なんで火に油を注ぐのかな⁉ それとそんな物騒な物、家にはないよっ」


 どうしてこの二人はここまで反りが合わないのだろうか……。初対面ですよね?

 哀斗が頭を抱える中、哀果とリミリーはお互いにいがみあっていたが、不意にリミリーが少し下を向いて小さく呟いた。


「……リミリー。昔は、下の名前で呼んでたのに」

「……えっと、また昔って……」


 心なしか、アホ毛がしんなりしているリミリー。

告白された時も言っていた、昔。『良かった。昔のまま』と。


「哀斗、このビッチ幼馴染属性まで持ってるっていうの?」

「ちょっと姉ちゃん、言いすぎだからね。あんまり酷いと晩飯抜くよ」

「……わ、悪かったわよ」


 しかし、全く記憶にないのだ。星羅リミリーという名前自体まるで聞き覚えが無い。ここははっきり言った方がいいだろう、と哀斗は決心した。


「リミリー、悪いけど、君のこと覚えてないんだ。……俺、10年以上前の記憶が無いんだ」


 リミリーは翡翠色の瞳を何度かしばたかせてから哀斗を見つめる。それから、観念したかのように「そっか……」と呟くと、哀斗の横に腰を下ろした。


「色々あって辛かった時期だし仕方ない、ことよね」


 リミリーが哀斗の背中へと手を伸ばし――撫でた。優しく、いたわるように。


「(虐待のことも知っている? つまり、当時はそれだけ親しい間柄にあった……?)」


 そんな仕草に、不思議と懐かしさのようなものを感じていると、リミリーはしゅたっと立ち上がり、自身の頬をぱちんと音が鳴るくらい両手で叩いた。


「よしっ! ちょっと、今日は帰るわね」

「ごめん、憶えてなくて……」

「ううん、大丈夫。あんまり、くよくよしててもしょうがないしね。それより、こっちこそ悪かったわね。何も知らずに、ずけずけ立ち回っちゃって」

「いや、それは全然気にしてないよ」


 なら、良かったわ、とリミリーはにっこり笑う。そして、見送りはいらないから、と早々に零細家を後にした。気持ちの整理をつけたかったのだろうか、声を掛ける間も無いまま、玄関の扉が閉まる音が廊下を伝って聞こえた。 

もしも……もしも自分が親しい誰かに忘れられてしまったら、どれ程辛いのだろう、と哀斗には想像できなかった。


「――で、姉ちゃんはなんでむつかしい顔してるの?」


 途中から、だんまりになって考え事をしている風な哀果は、壁に寄りかかるようにして立っている。真剣な顔と、へんてこな服が釣り合っていなかった。


「一言で言えば、自称幼馴染って感じだったけど……あたしもまるで覚えがないのが謎ね。哀斗に近づく素振りのあった女の子は全て把握しているはずなんだけれど」

「ストーカーみたいなこと言うのやめてよ。……まあ、姉ちゃんは俺と違って記憶喪失じゃないもんね」


 冗談はさておき、リミリーの言動を見るに、『ただの知り合い』という線は薄そうだった。虐待の事情を知る限り、関係はむしろ深いそうだ。


「といっても……哀斗の昔馴染みの友達ってこと、否定できないわね」

「背中の傷のことを知っている感じだったから?」

「いえ、それだけじゃないわ」

「ん?」

「どことなく、他人じゃないような気がしてならないのよね」


 それは、哀果にしては珍しい、論理破綻した直感的な一言だった。

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