第6話

「ただいまー」

 

 比鹿島神社でのひと騒動を終え家に帰り着くと、玄関で哀果が三つ指をついて平伏……つまりは土下座をしていた。


「今日は遅かったわね。あたしにする?お姉ちゃんにする? それとも、き・ん・し・ん・そ・う・か・ん?」

「ぜんぶ意味いっしょだから」


 靴を脱いで、一歩。今日は床がいつもより柔らかい。


「どうしてお姉ちゃんを踏むのかしら。執筆で疲労が溜まっているのだけど」

「最後、俯いたままの姿勢で器用に音程変えて発音してきたのが癪だった」

「……え、そこなの? そんなんじゃお笑い芸人になれないわよ」

「俺の将来を勝手に決めないでよ。ああ、それとこれ、目を通しておいて」


 あらかじめインタビュー用紙に目を通してもらっておけば、スムーズに終わるだろう。

 今日は疲れたし、やる事はさっさと済ましておきたい。

 適当に哀果をあしらって風呂場へ。ちなみに、浴槽の中を確認したし鍵も閉めた。


「見た感じ異変はなさそうだ」


 アスモウラとの契約の際に、哀斗の心臓に溶け込んだ紅色の鱗。

 服越しだったため地肌がどうなっているかわからなかったが、裸になった今でも所在がつかめない。一体化したのか、皮膚の内側にあるのか。後者を想像すると、温かいお湯を浴びているにも関わらず身震いをしてしまう。

 一通り体を洗ってから、湯船につかる。

 シャワー派の哀斗だったが、帰る時間が時間だっただけに哀果が入浴を済ました後らしく、浴槽に湯が張ってあった。あれば浸かる、そういうスタンスだ。

 疲れを取りたいという気持ちよりも、ゆっくりと頭の中を整理したいという気持ちの方が強い。


「夢じゃないよな」


 比鹿島神社で起きたことは全部夢だったというオチでも全く違和感は無い。現に鱗は見当たらないし、『主人公になりたい』という望みについても何一つ体感していない。

 更には、契約の代償として捧げる寿命についても抜け出ている感覚が無い。ひょっとすると、第6感的なものが無いと感じ取れないとか、悪魔にしか認識できないものなのかもしれないけど……というか、そのセンが強いだろう。


「こう、ふにゃふにゃとしたオーラみたいなのが光ってたりするのかなあ……」


 久しぶりの体全体を包み込むような温かさに、肩まで水面に沈む。


「(疲れてるからかな、なんだか眠い――)」



 アスモウラが悪魔であると名乗りを挙げてから。

 驚かなかったと言えば嘘になるが、納得はできた。

 見返りに『寿命』を要求、つまりは、命を一部差し出せと言うこと。様々な創作物で出てくるような悪魔の像と酷似している。

 といっても悪魔にしばらくお世話になることに多少の不安は否めないが……。

なんとなく、恐怖感はある。悪魔の逸話で良い話を聞かないし……。しかし、契約してしまった以上目を瞑るしかない。

 気持ちを切り替えて、願いを叶えてもらう以上はある程度の補足説明が欲しいと、アスモウラに求めた。寿命をやるのだから、それくらいの礼儀はあって当然だと見越して。


「契約の代償として、願いを叶えている間だけ寿命をもらうって言ってたけど、線引きはどこにあるの?」


 対価が寿命であることを承知だが、それでも安いものではない。もう払いたくないと言ってあっさりと解消されるのかどうか、それともアスモウラの判断によるところなのか。

 できれば前者であってほしい、と哀斗は思う。


「哀斗の主観だな。対価事態、哀斗からオレへと流れる仕組みだしな。供給側がストップを掛ければ止まるのは当然だぜ。つうか、オレがそんな詐欺師みたいに見えるか?」


 一見、年下か妹キャラを想起させるような身長でありながらも、なぜか発育のよすぎる胸が共存している不思議な女の子。

可愛らしくもあり、蠱惑的な雰囲気も兼ね備えた彼女が何を考えているのかはまるで見当がつかない。


「哀斗って、オレの胸結構見るよな。そんなに好きか?」

「気のせいだよ」


 素面でハリボテの虚勢を張る。

 目の前で胸を揉み始めたりされると、流石に意識もしてしまう。それに、姉ちゃんと比べものにならないくらい大きいし……。うん、気をつけよう。


「それとさ、願いを叶えるって言ったって具体的にはどうするんだ?」


 哀斗の願いは抽象的で、具体性がない。アスモウラがそれを正しい形で理解してくれていないと、望み通りの生活は送れないだろう。


「心配すんなよ。オレは最近の娯楽にも精通してるからな。哀斗の好きなギャルゲの知識だってしっかりあるぜ」

「やっぱり聞かれてたんだ……」

「そりゃあ声に出してたからな。ああいうの、ふっつーは目を閉じて頭の中で祈るもんだぜ? まあ、そういう奴がいてくれるから、オレも仕事ができて助かってるんだけどな」

「……そ、それで結局のところどんな風に変わるんだよ」


 もう羞恥心は捨てよう、そう思った。

 死んだ魚のような目をした哀斗に、アスモウラが意気揚々と言う。


「まーまー。オレのサブカル力なめんなって」

「(自分でサブカル語るやつはだいたい糞って〇ちゃん民が言ってた)」

「とりあえず、そうだな……」


 短い時間アスモウラは思案してから、ひらめいたとばかりに弾む声を出す。


「明日の放課後。図書室に行けば、美少女とお近づきになれるぜ」

 オタク心をくすぐる提案に、哀斗は胸の高鳴りを感じた。



「哀斗!哀斗!」


 どんどんどん! と扉を叩く音がする。

 びくりと体が震え、水音が鳴って理解。湯船につかりながら寝ていたらしい。


「ごめん姉ちゃん。寝ちゃってた!」

「よがっだあ……。哀斗が死んだらあたじい……」


 風呂場の曇りガラス越しに、哀果の涙声が聞こえてくる。


「大袈裟だよ、姉ちゃん」

「大丈夫? 寒かったりしない?」

「大丈夫だから、先にリビングに行っといて。すぐ上がるよ」

「お姉ちゃんが着替えさせなくても大丈夫……?」

「そんな年じゃない」

「すん……」


 すすり泣きがやまない哀果の姿勢に、哀斗も無下にはできないなと思い、


「……ありがと。心配してくれて」


 気恥ずかしさを感じながらも、しっかりとお礼を伝えた。


「……お姉ちゃんだから当然よ」


 小走りで脱衣所から出て行く足音。その音が止むのを待ってから哀斗は浴室を後にした。

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