善心と悪心

「アスモデウスが破られた」

 水晶球を覗き込み、マリアは淡々と告げる。

「冷静ですね。一昔前のあなたなら、慌てふためいていたでしょうに」

「根が切り取られたくらいで花が枯れてはならないと説いたのはあなたでしょう」

「そういえば、そんなことも申し上げましたか」

 同じ七大罪に列せられる者が破られたというのにルシファーの胸中は波風ひとつ立たない。それは無情なのではなく、憤怒サタンがいない現在に於いて魔族の第二位に身を置いている自覚のためだった。戸惑ってはならない。それはある種の強迫観念となって彼に圧し掛かる。

色欲アスモデウスは死にましたか?」

「確かめなさい」

 投げ渡された水晶球を受け取り、ルシファーは内部に目を注ぐ。即座に目に付いたのは地に伏せったアスモデウスと、その前で満身創痍となった末裔の片割れであった。

「私達は不死ではない」

 決して悠久ではない彼等にとって、遠からず訪れるであろう未来がそこには映し出される。黙祷を経てマリアは開口する。その頃には水晶球の光景は切り替わり、四つの人影を捉える。神々の末裔である救済と、白髪赤目の青年。そして、

「あれは誰? 前にいたのは、瑠璃色の髪の女だったでしょう?」

「新しい契約者かと。瑠璃色の代替品として用意されたのでは」

 四人目を見るのは初めてだったが、マリアの興味はその四人目にこそ注がれる。

「面白いわね、この子。混ざっているわ」

 限界まで絞られた水晶球に映るのは、流麗な黒髪の少女だった。神々と人間であれば、見えるものは外面までか、個々の人間が保有する魔力まで。だが、人間の悪意を食い物にする魔族の目には、人間の持つ善心と悪心が映る。善心の多い人間は神々から加護を受けているので手を出さず、悪心に満ちた人間はこちらに踏み込んでいるので喰らう。そして、そこに映る少女は神々の末裔と契約を結んでいるにもかかわらず、善心と悪心の量に大差がなかった。

「ねぇ、ルシファー。私、この子に会ってみたいわ」

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