巣と騎士

魔女の巣

 地震という現象は得てして恐怖の対象となるが、それが子供の砂場遊びと大差ないように感じられるほど、眼前で繰り広げられる光景は猛威的だった。大地に深く根を下ろした大樹がメキメキと引き剥がされ、リソスフェアそのものを刳り貫いて束ねたのではないかと錯覚するほどに大地が隆起して、山脈と化す。縦横無尽に走った裂け目からはおどろおどろしいマグマが噴き出し、灼熱の炎が大気を焦がす。世界の破壊と再生を一幕に見ているようだった。

 しかし、私は興奮歓喜な見世物を前にした観客ではなく、燃え盛る火の輪を前にした獅子だった。火は気紛れに揺らめき、獅子の体を焼こうとする。その不安と懸念の高まりようといえば、心臓を鉄窯で煮溶かされたとしてもそうはならないだろう。

「まずいな」

 呟くや否や、薫さんは私の腰に手を回して肩に担ぎ上げた。ぞんざいな扱いに文句を言う暇もなく、彼は跳躍する。予想外の衝撃に舌を噛みそうになる。

「ちょっと! 何⁉」

「呑み込まれたら死ぬぞ」

「呑み込まれるって、何に」

 そこで言葉は途切れる。先程まで語らっていた草原が、火砕流に呑み込まれた。摂氏六百度。触れれば一瞬で体内の血液が沸騰して死に至る。

「薫さん、あれはヤバいんじゃないの⁉」

「だから逃げている!」

 それでもこのままでは火砕流の海に飛び込むことになる。彼は垂直に跳躍することで火砕流を避けたが、それ故に、海の外側に辿り着くことはできない。

「これからどうするの⁉」

「飛ぶ」

 端的に返された言葉は突拍子のないもので、実現できるとは思えなかった。なぜなら彼の背中には翼がない。されど、その瞳に迷いはない。

《私はここにいる――》

 息もつかせぬ速さで詠唱を始め、僅か二秒足らずで唱え終わる。

「舌を噛むなよ」

 忠告の声もそぞろにライフルが火を噴く。プロメテウスの炎。前に見せてもらった小さな礫としてではなく、絶え間なく放射される炎に押されて上空へと昇っていく。大地が遠ざかり、世界の全貌を見渡せるほどに上り詰めたとき、ライフルは火を吐かなくなった。惰性で放り投げられる。横を向けば薫さんと目が合い、彼は魔法を解いていた。

 落ちるしかないのだと覚悟を固めたとき、手首を掴まれ、宙吊りになる。鳩羽色の太陽を纏った、巨大な白翼を視界に捉える。翼が上下するたびに空を舞う火の粉が巻き上げられていく。

「ごめんなさい、なかなか危なかったようね」

 高千穂さんの声音に安堵して、それから、私は「遅い」と叫んだ。

「許してちょうだい。これでも全速力で飛ばしてきたんだから。それに、今夜の魔女はせっかちなようね。まだ陽が出ているうちから巣作りを始めるなんて」

「巣作り?」

「繭といってもいいかもね。ほら、そろそろよ」

 指示された方角に目を凝らす。水をかけられたわけでもないだろうに、マグマが同心円状に凝固していく。鮮やかな紅海に浮かび上がった灰黒の円は、どこか目玉を想起させた。風がやみ、同時にマグマの流動が停滞する。火砕流は凍り付き、耳が痛くなるほどの静寂が世界を覆い、目玉が音もなく上空へとせり上がった。それは塔だった。岩とも鉄とも、鋼とも判別の付かない素材で構成された、呆れるほどに高い塔だった。その頂は雲海に没していて見えない。

「あれが魔女の巣、その頂で魔女は眠っているそうよ」

「もしかして、一度も見たことない?」

「恥ずかしながら。巣は一日しか現れないうえに、内部には魔女を守る騎士がいる。それが手強くてね。厄介な話よ。たったの四人で挑まなければならないにしては、笑えない冗談よ」

 でも、と彼女は続けた。

「それは、諦めてもいい理由にはならないわ」

「どうかな。充分すぎる気もするけど」

 茶化しておきながら、それが彼の本意でないことは明らかだった。彼等はみな、その瞳の中に焔を宿している。全くもって面倒だ。かくいう私はどのような目をしていたのだろう。怯えていただろうか、震えていただろうか、果敢であっただろうか。それは分からない。私のことなのに私が知らない。それは、私のことだからこそでもあったのだろう。

「不親切なことに、入り口は一番下」

「このまま空を飛んでいくことはできないの?」

「無理ね。ほら、もう蔓延ってる」

 塔の頂上を仰げば、そこでは魔獣の群れが犇めき合い、壁を成していた。

「それに、塔には魔力殺しの呪術がかけられている。魔力を介したものならば、如何なる攻撃も掻き消されてしまう。正規の入り口に頼るしかないのさ」

「…………理解したわ、いろいろと」

 下方へと目を向ける。

「行こう、ちいちゃん。時間がもったいない」

「そうね。時間は無情だから」

 私達は互いに顔を見合わせ、入り口へと下っていく。

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