キミは彼女を殺すんだろう?

「アイツがそうじゃなかったのか」

 地上十五メートルに設置された広告看板の上に立ちながら、白髪と赤い瞳の青年、渡良瀬わたらせかおるは不満そうに訴えた。彼の眼下では、遠里小野日和が大通りに向けて駆けている。薫の周囲には誰もいない。そうかといって彼が通信機器の類を使っている様子はない。

「遠里小野日和はるかず。彼で間違いない。いや、今は彼女で日和ひよりだったか」

 少年のような甘ったるい声が響く。次いで、敢えて表すならば『無』のみが存在していた空間が旋転し、全長40センチ余りの狐に似た生物が姿を現した。

「その姿で喋るな」

「何だよ、話しかけてきたのは薫くんじゃないか。それはあんまりってものだよ」

「うるさい。解剖するぞ」

「そんなことする技術はないくせに」

「あいにく、首を落とすくらいはできる」

「手厳しいね。動物が言葉を話すくらいで驚くなんて、人間もつまらなくなったものだ」

 狐は呆れ返った風に首を傾げ、すると、その小さな体が眩いばかりの紫光に包まれた。光が収まる頃には、怪しげな生物は人間の姿をなしていた。梔子の花にも勝るほどの純白と鮮やかな緋色で彩られた装束に、男とも女とも見分けの付かない中性的な容姿が包まれている。頭頂部には柔らかな毛に覆われた耳が乗せられ、人間と獣の中間体といった様相だ。

「これなら文句はないだろう?」

「構わないが耳は隠せ」

 試すように訊ねた『狐人間』を忌々しそうに眇め、薫は短く返答した。

「それで、どうなんだ、幸音ゆきね。遠里小野日和は契約者ではないのか?」

「あんなにも魔力を迸らせておいて、そうでないという方が不自然だよ」

 幸音の言葉に促され、眼下の少女に注目する。一瞥するだけで存在が認識できるほど鮮烈に、濃厚に、魔力の澱みが鳩羽色の靄となって彼女の肢体を包み込んでいた。

「……気持ち悪い」

「そう言ってやるなよ。薫くんだって似たような状態なんだから」

「寒気がするね」

 言葉のみならず、嫌悪を思わせる手付きで、彼は粟立った肌を擦った。

「だが、アイツは刻印を知らないようだったぞ」

「彼女がまだ接触していないだけかもしれないね。どちらにせよ、利益にならないと判断すれば、キミは彼女を殺すんだろう?」

 愉快そうに、幸音の眦が歪む。それに動じる様子は見せず、青年は前を見据えた。

「全ては悲願を成就するためだ」

「ならば無関心でいることだ。殺しづらくなるよ、心を通わせてしまうとね」

 なおさら醜悪な表情を浮かべ、少年は喉を引き攣らせた。

「愉しみだよ。薫くんの歩む道が、どんな色に染まるのか」

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