第92話 一方通行

 バル様の魂を、ちりひとつ残さず集め直せばいい?

 ……可能?


 言うのは簡単だけど、頭の中で繰り返すほどに、それは途方も無いことのようで……。


「リリニアさん、何かおっしゃってくださいよ! 可能性があるからこそ、教えてくださったんでしょう?」


 リリニアさんは天井を睨みつけながら、膝の上でくるくると霊水エーテル入りの小瓶をもてあそんだ。

 彼女がもう一度口を開くまでのほんの数秒が、とても長い沈黙のように感じた。


「……マコ。まず言っておくが、アタシはそんなことやったことないし、前例も無い。これはあくまで机上論きじょうろんだ。もっと言や、アタシにはとても難しくて、やれそうもないことだ」


「待ってください! リリニアさんにできないなら、ボク──」


「言うな、それ以上は!」


「んぐ!?」

 ボクのほおは、リリニアさんの手で両側から押しつぶされた。


「……言うな、マコ。心ん中で”無理だ”って思っちまったらねェ、無理なんだよ? だからアタシは……お前にたくすしか……無いんだよ」


 それは彼女の口からは聞いたこともない、信じられないほど弱々しい声だった。

 ボクのやる気を引き出すために、わざとそう見せているんじゃないかと思うほどに。


「なぜですか……。リリニアさんはすごい魔法使いじゃないですか。何でも知ってるし、ボクがかなうところなんて……」


「アタシはね。ながく生きた分、色々知りすぎた分、り固まってんだ。ツノだってねじれてぐるぐるだ。あーッ、んなるねェ……!」


「素敵なツノだと思いますけど」


 リリニアさんは目をぎゅっと細めて、口を斜めに開けた。

 何か憎まれ口を叩こうとしている顔だ。


「……はン、まったく。夢魔サキュバスらしくないんだ目するよな、お前。……ま、純真で無垢だからこそ、可能性があるってこった。まったく素晴らしいじゃないか。針の穴ほどの望みでも、追いかけるものがあるなんて」


「そうでしょうか」


「マコ。お前はまだ自分の限界を知らないだろ? それがお前の、最大の武器だ」


「ですけど、魂を集めるって言いましても。何から手をつけたらいいんですか? バル様の……”波動”っていうんでしょうか、感じなくなっちゃいましたし」


「そりゃ、アタシも今考えてるところだ」


「えっ」


 リリニアさんは立ち上がってボクに背中を向け、ぼんやりと窓の外に目をやった。

 外はすっかり暗くなって、窓はただの黒い枠にしか見えない。


「言っただろ、前例が無いって。……ハァ。どこまでも世話のやけるヤツだよねェ」


「す、すみません」


「アアッ、ちがう! お前に言ったんじゃないよ。……チッ、こんないじらしい娘を置いていきやがって、なんてヤツだ。くそ、燃えマユゲめ……」


 彼女は悪態をつきながら窓枠をドンと叩き、いらちを抑えきれない様子でうろうろと歩きだした。

 隣の部屋へ行こうとしては引き返し、どこを目指すともなく足踏みしている。


「あの、リリニアさん?」


「……アタシは一旦帰る。ベリオが待っているからな」


「わ、わかりました。また色々教えてくださいね」


「ああ。……それと、この霊水エーテルはお前にやる。練習して泥兵士ゴーレムを造ってみろ。ここにあるもんは好きに使え」


 ボクの手に、光る小瓶が押し付けられた。


「は、はい」


「気をつけな。霊水エーテルの膜は、魔素マナを込めすぎると"破裂"するぞ」


 そう言い残すと、リリニアさんはギュウンと音を立てて空間をゆがめ、ものの数秒で姿を消してしまった。



「……」


 部屋は、しんと静まり返った。

 ひとりきりになると、急に寂しさがこみあげてくる。

 

 いや、正確には……隣の部屋にバル様が寝ているけど。



 立ち上がって、もう一度彼の顔を見に行った。

 その身体は当然ぴくりとも動いた形跡はない。


 ここにあるのは、バル様の形をしたれ物でしかないんだ。

 がどこかへ行ってしまっただけ。きっと、ただそれだけ。


 ボクは、今はもう何もない彼の首筋にそっと触れようとして……伸ばした指を引っ込めた。


 その身体の冷たさを確かめたくなかったから。



「バル様。あなたのこと、きっと救けてみせますから」



 ──返事はない。


 やっぱり、この部屋にはボクしかいないみたいだ。



 * * * * * * *



 外に出ると、夜の闇にそよそよと涼しい風が吹いていた。

 さっきまで獣人たちがたむろしていた広場には静かに揺れる篝火かがりびだけが残り、辺りを照らしている。


 ボクはリリニアさんの倉庫からぼんやりと光る小石を拝借はいしゃくして、操魂術そうこんじゅつの練習をしてみることにした。


 右手で掲げた石に、自らの一部を注ぎ込むイメージで──。ふぅぅ、と息を吹きかける。


大気たいきねむ精霊せいれいよ……こえに、こたえよ……』


 この石を”かく”に、二本の足で歩く生き物を頭の中で想像する。

 手の中で渦が回転して、振動とともにぎゅるぎゅると周囲の魔素マナを巻き込む。


 緑色の輝きが、どんどん強くなっていく──今だっ!

 左手に持った小瓶から慎重に霊水エーテルを垂らし、しずくを石にまとわせた。


 ──ギュウゥゥン……!

 

「はっ、はぁっ……! ふぅ……」


 どうやら想像以上に魔力を使う作業みたいだ。魔法を使ってこんなに疲れを感じたのは初めてだ……。

 

 ボクの手の中で、石だったものはあざやかな若葉色に輝く水晶体すいしょうたいに変化した。

 淡い光を生み出し続ける、いびつなガラス玉のようにも見える。


 うまくいった……のかな?

 成果物の見かけは、リリニアさんが生成したものとよく似ている。



「……えいっ」

 ボクは出来立ての”かく”を地面に置いて、指でぐいぐいと押し埋めてみた。


 ──ずず、ずりゅりゅりゅ……。

 小石の周りの土が、うぞりうぞりとひとりでに集まりだし、”かく”を包み込んでいく──。


「う、うわあ」


 ボクの”泥兵士ゴーレム”は、ぐにぐにと形を変えながらどんどん成長していき──人間の下半身かはんしんをそっくり切り取ってきたような、不気味な形状になって変化を止めた。


 ……土の色をした筋肉質な"腰から下の身体"だけが、そこに立っている。

 まるで美術館にある彫像のように美しい筋肉だけど、下半分だけだ。腰から上はスッパリと何もない。


「ええ~……」


 ううん……。

 かなり異様な光景だ。股間部分はつるんとしていて何もないのが救いだけど。

 もしもそこもリアルに作られていたら、ボクは今すぐこの像を砕いていたかもしれない。


 これは、泥兵士ゴーレム……と、呼んでいいものでしょうか、リリニアさん。


 その”下半身かはんしん”は物言わぬままどこへ行くでもなく、行儀良く待機している。

 こ、この子は……ボクの命令を待ってるのかな? なんだか気まずい……。


 ボクは息を整えつつ草の上に腰掛けて、もう一回チャレンジするべきか迷った。

 もしも、もう一回やっても同じ下半身が更に一体完成しちゃったら……何回やっても同じだったらどうしよう。

 そうなったら、ボクは下半身を販売するお店を開かなければならないかも。


 

 しばらくして、暗がりから親しみある声が聞こえてきた。


「おーい、マコ。少しは落ち着いた?」


「あ、ミナミ。……うん。そっちこそ、酔いは醒めた?」


 彼女は疲れた様子でふらふらと近づいてきて、ボクの横へ座ろうとした、が──


「まあね……って、うわっ! なな、なにその──何!? キモッ!?」


 ミナミは暗闇に溶けるように静かにたたずむ”下半身の泥兵士ゴーレム”を見るやいなや、ギョッとして飛び退いた。


「ひどいよ……ボクの子なのに……」


「あの、ちょっと待って? 理解が追いつかないんだけど」


「リリニアさんに言われて、泥兵士ゴーレムを造る練習をしてるんだ」


 ミナミはずと、虫でも触るかのように土でできた下半身像を指でつついた。

 泥兵士ゴーレムは微動だにしない。


「まっ……マコがつくったの? これを……? へ……へえ。マコにこんな……芸術センスがあったとはね」


「あ、ありがとう」


「全然ほめてない」


「えっ?」


 ミナミは下半身像を油断なくジロジロ見ながら、ボクの隣に……泥兵士ゴーレムの反対側に座った。



「……それで、どうだったの。リリニアさんと話したんでしょ」


「あっ、うん。道は険しいけど、まだ希望はありそうだよ」


「そう。よかった」


「バル様の魂さえ見つかれば、理論上は元に戻るって……リリニアさんが言ってた」


「理論上って……勝算はあるの、それ?」


「1パーセントでもあるなら、やるしかないよ」


「……へへ、なんだ、少しは元気でたみたいだね。マコがあんなに暗い顔してるの、見てられなかったもん」

 

 心配かけて、ごめん──。

 口から出掛かった謝罪の言葉を、ボクは引っ込めた。


「……ミナミこそ、無理してない?」


 彼女はボクと目を合わせようとしなかった。

 ぼうっと、暗がりの底に揺れる草を見つめているだけだ。


「……わたしが無理してるように見える?」


「すこしね。それにボク、ミナミに頼ってばっかりだから……わるいなって」


「マコ、忘れたの? あなたが求めてくれるなら、なんだっていい。わたしはそう言ったはずだよ」


 ……やっぱり、こっちを見てくれない。


 何か言い辛いことがある。だけど、聞いて欲しくもある。

 ミナミがボクの傍に来て黙るのは、決まってそういう時だ。


「……ミナミさ。さっき、泣いてたでしょ」


「なっ!? そんなわけ──! ……見てたの?」


「ほら、やっぱり」


 咄嗟とっさに顔を隠そうとする彼女の手首を掴むと、ようやく視線がぶつかった。


「ずるいよ、マコ」


「だって、おかしいよ。なんだっていいなんて……そんなはずない。ボクはミナミにたくさん助けてもらってる。そのぶんボクだって……ミナミにお返ししたいよ。お返し、させてよ」


 これは本心だ。

 ミナミがいなかったら、ボクはとっくに心が折れていた。

 だけど、ミナミ自身の心は?

 

 彼女はボクの手をぎゅっと握り返すと、風にかき消されそうなほど小さな声でささやいた。


「……あのね。わたしが欲しいものは、欲しがっちゃいけないものなんだ……」


「ミナミは、何が欲しいの?」


「言わない」


「言ってくれないと、いけないものかどうかわからないよ」


 ミナミは、ふるふると首を振った。

 それとは逆に──ぎゅうう、と。ボクの手を握り返す力はますます強くなっていく。


「マコ、わたしはね」


「うん」


「バルフラムはきっと戻ってくるって……。あなたが本気で頑張れば、きっとあいつを取り戻せるって。今は信じたいんだ」


「それは、ボクだってそう願ってるよ。けど、今はミナミの話をしてるんじゃなかったの?」


 もはや、痛いくらいに──ボクの指はミナミの手でぎちぎちと締め付けられている。


「わたしの話だよ。……もしもだよ。逆に、あいつがいなかったら……だなんて。そんなことを考える自分が居たら……許せ、なくて……っ! わたしのこと、嫌いになるでしょ……」


「落ち着いて。ボクがキミのことをキライになったりなんか、するわけないでしょ」


「でも、あいつにマコを取られたらって思うと。ああ、もう──! こんな考え……どうしたらいいのか、わかんないよ……!」

 

 ボクは彼女に負けないくらい、その指を強く握り返した。

 

「ミナミ。もっとボクに頼ってくれてもいいんだよ。こう見えてボク、むかしは男の子だったんだからさ」


「……知ってる。ぜんぜん説得力ないけど」


「それにさ、ボクはまだ……バル様とどうともなってないってば」


 ボクがそう言うと彼女はばっと手を離して、はじかれたように立ち上がった。


「……うう、うるさい! そんなもん、こしらえてさ! どう見てもそれ……バルフラムの下半身じゃん!」


「ええっ!? ち、ちが──」


「違くない! この筋肉感といい脚の長さといい。いつもあいつのことジロジロ見てるから……だろが! マコのえっち!」


「あうっ、あぁ……。ほんとだ、よく似てる……」


 言われてみれば、土色の下半身像はそうとしか見えなくなってしまった。

 ボクが無意識のうちにこの形を造ってしまったのだとしたら……。 

 リリニアさんにこれを見せることすら躊躇ためらわれる。


 しかし、これは。ああ──


「やめてよ、そんなうっとり顔で見惚れるのは。マコってもしかしなくても、ちょっと変態?」


「ご、ごめん。バル様の脚はかっこいいなって思って」


「ほんとに頭だいじょうぶ?」


「けど……この子は、バル様じゃない」


「そうだね、ニセモノだ。比べるのもどうかと思うけどさ……あっ」


 ボクたちの会話を聞いたからか、下半身像ゴーレムは急にくるりと向きを変え、お尻を向けた。

 そして無言のままのっしのっしと歩いて、暗闇の中に消えていった……。


「あ、ああ〜……」


「何アレ、こわッ!? 夜道じゃ出会いたくないね」


「ボクがあんなこと言っちゃったからかなぁ。わるいことしちゃったな」


「かもね。……やるせないんだよね。相手が求める形と自分の理想の形が違うって、気づいちゃったらさ。……だから、せめて。どんな形だっていいから、求めてもらえるほうを選びたいんだ」


「あ……」


「やっとわかった? わたしの言ってること」


「……いや。ますますわかんないよ。ミナミは泥兵士ゴーレムじゃなくて親友だもん。同じには考えられないし、比べられない。ミナミが本当に望む形って、なに?」


 ミナミは黙ったまま、悲しげな眼差しで下半身像ゴーレムが歩いていった先の闇を見つめた。

 あの姿に自分を重ねたのか、バル様を重ねたのかはわからなかったけど。


「わたしは……こっちの世界でマコと再会できてからずっと、楽しかったよ。マコと毎日笑いあって、時には服を買いに行ったり、カフェでお茶したり、いつも一緒でさ。それだけで、幸せだった」


「本当に?」


「本当だよ。それ以上の幸せを望もうとしたら、誰かから奪わないと手に入らない。……わかっちゃったんだよね。そんな形の幸せなんて、欲しくないって」


「……」

 ボクには、言葉がみつからなかった。

 彼女の表情に一種の”あきらめ”が含まれているように感じたから。


「だけど、あいつがこんなことになって……。また、わかんなくなったよ。何を、願えばいいのか」


 ミナミはボクの隣に座り直して、鞄の中からバラバラの黒い破片を取り出した。

 かつてバル様の首輪だった、霊水エーテルの結晶だ。


「ボクたちのあの日常の中には、いつもバル様がいたよね」


「……うん。マコにとってだけじゃなく、実のところあいつは、わたしにとっても必要な存在だったんだね、きっと。……へへ、気がつくのがちょっと遅かったかな」


「遅くなんてない! これから取り戻すんだよ、バル様の魂を」


「魂って……それは探せば見つかるもんなの?」


「う、ううん──」


 ボクは背中を丸めて考え込んだ。


 バル様の”魂”は、消えてなくなったわけじゃない。

 知覚できないほど細かくなって、今もどこかを漂っているだけ。


 大気に含まれる魔素マナを採取するなりして……顕微鏡けんびきょうで拡大してみたら、ちっちゃなバル様を見つけることができるだろうか。

 いや、そういうことじゃない気がする。

 

 頭の中で、魔素マナに呼びかけてはどうか。

 バル様、居たら返事をしてって。


 これも違う。彼がまだ意識を保っているなら、向こうから来てくれるはず。

 魂を呼び起こす方法があるなら、まだしも。

 

 三角大陸トライネントの端から端まで、魔素マナの力がいっぺんに活性化しない限りは──。


「あっ……!!」


 ふいに頭の中で全てが繋がったような衝撃が走って、ボクはがばっと飛び起きた。


「な、なに? どしたの」



 思い出したのは、いつかのロゼッタさんの言葉。


『マコちゃん、あの祭壇はね。世界に膨大な魔素マナもたらす、力の源泉と言われているの』



 ……まさか。いや、もしかして。


 祭壇を起動すれば、大気中の魔素マナの力が増幅される?

 あるいは、そうすれば彼の魂を見つけることができるかもしれない。


「そうだ、これしかない……! 天弓てんきゅう祭壇さいだんだ」


「ええっ?」



 祭壇さいだんを起動できるのは、ボクだけ。

 前例がない方法。だからこそ、希望はある……!


 だけど。

 ボクにはどうしても引っかかっていることがあった。


 次元の狭間はざまで聞いた、彼女の声だ。

 

『それに、後悔もしている。あれが何をする装置か、オマエさんは本当に知っているのか? あれは、何もないところから魔法のようにエネルギーが供給される夢の装置なんかじゃない』

 


 ……頭の中に、期待と不安がいっぺんにやってきた。


 近づけば近づくほど大きくそびえ立ち、天辺てっぺんは雲の中に隠れて見えないあの塔のように。

 見えているけど正体が掴めない、巨大な焦燥感しょうそうかんだ。



「ミナミ、どうしよう。ボクは……あれを起動することになるかも、しれない」


「あいつのために?」


「……そうだよ。他に方法は……みつからないから」


 一度起動してしまえば、おそらく後戻りはできない。

 ここで間違えれば取り返しのつかないことになる。


 ボクは今度の今度こそ向き合わなければならないんだ、あの祭壇さいだんと。

 天弓てんきゅう巫女みことして──。

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