第87話 凶刃と代償

 

 どうして?



 ……どうして、どうして──何故、こんなこと……ッ!


「…………」

 ボクは、もう動かない彼のがらをそっと抱き寄せた。


 何のぬくもりも感じない。



「マコくん、彼は……何があったんだ? この爆弾は、人体には無害だった……はずだ」

 目の前にいる、皇子おうじの声。


「マコ……。バルフラムの首輪が……砕けたってことは、まさか──」

 後ろにいる、親友の声。


 ボクは返事をしなかった。

 どちらも、曇りガラスの向こうから聞こえる、ただのくぐもった音でしかないから。



 彼のほおを、ボクの瞳からこぼれたしずくがぽたぽたと濡らして。


 止めることはできず、ただただ沈黙が流れ落ちていく。

 時を巻いて戻すすべがないことを暗示しているかのように。



 ──理不尽りふじん


 理不尽、だ。

 

 彼が何をしたっていうんだ?


 バル様はずっと、ずっと……本当は平和が欲しいと願っていたのに。


 ノージェさん、あなたよりも、ずっと──!



「……ノージェ、さん……。あなたが、やったんですよ? あなたが……バル様を……ッ! うっ……うう──ッ!」


 心の内側から感情がぐちゃぐちゃとあふれて、勝手に口から飛び出していく。

 考えがまとまらない。まとまるはずがない。


「なんだって……?」


 立ち上がり、憎き皇子おうじの顔を見据みすえる。

 自らの行いを自覚せず、冤罪えんざいだと言わんばかりに戸惑とまどう表情を見た瞬間──体内で血液が沸騰ふっとうするのを感じた。


「知らなかったじゃ、済まされない……ッ! 済まされないんだ、あなたは──あなたがッ!」


 自分の手の中でバチバチと魔力がぜる。

 頰を伝った涙が、熱に巻かれて蒸発じょうはつしていく。


 おさえきれない。

 今すぐ全てを燃やし尽くさないと。

 行き場を失ったエネルギーが、ボク自身の身体をきつくす前に──!



「マコ、だめっ! 抑えて──」


 ミナミに後ろから羽交はがめにされて初めて、ボクはノージェさんに向かって腕を振り上げていることに気がついた。


「だって、この人が、バル様をッ……! 何がッ新たな時代ですか! あなたは、うそを──嘘ばかり……ッ!」

 

「マコくん……! 申し訳が立たない──いや、言葉ではつぐないにすらならないだろう。私は……何も知らなかったんだな。バルフラムさんのことを」



 その時、ノージェさんの背後にゆらりと立ち上がる人影ひとかげが見えた。

 兵士たちはボクの瞳術で寝入っているはずなのに。


 それは”鉄の仮面”で顔を隠した護衛騎士だった。

 たしかジュリアスという名前の、ノージェさんの側近。


 ──いや。

 その仮面には、見覚えがあった。

 ボクは、仮面の男が宵星よいぼしの門から出てくる所を目撃したことがある……!



 混乱で動きが止まった一瞬。

 騎士は、岩のように重く落ち着いた声で言い放った。


「そうとも、無知とは最大の罪の一つ。……少女よ、お前が手をけがす必要はない。人間の罪は、人間が背負おう」


 ギラリと銀色の長剣がさやから引き抜かれ、不吉に光るやいばが振り降ろされる──


「あぶないッ!!」


 どうしてか、咄嗟とっさにそう叫んだ。


「ッ!?」


 ──シュガッ!!

 ノージェさんは素早く反応し、すんでの所で彼の斬撃をかわして転がった。


 さきが地面に深いみぞを掘って、土埃つちぼこりが舞いあがる。

 この太刀筋たちすじは……やいばせられた"殺意"を示していた。


「ジュリ、アス……!?」


最早もはやあがなすべはこうするほかないのだ、殿下でんか


 これまでとはまるで別人のような雰囲気だ。

 彼のことは、影のようにたたず寡黙かもくな護衛騎士としか思っていなかった。

 

「……フフ、やはり君は……何か腹に一物いちもつもっていると思っていたよ。バルフラムさんの味方だったんだね」


 ノージェさんは後退あとずさりしながら脚をガクガクと震わせた。顔色が見る見る青くなっていく。


「そうとも。おれはこの機会を何年も待ち続けた。……が、”あやつられた振り”ももうしまいだ」


「バル様の……? あなたは──何者ですか!?」


 そう言いながら、ボクはいつのまにか怒りのり場を失っていた。

 騎士ジュリアスはこちらを一瞥いちべつし、皇子おうじへと向けた長剣を動かさずに答えた。


「……おれの名は、ジュリアス・Rルナール・メルクリウス。王国の近衛このえ騎士きしは仮の姿。──おれは、魔王直属四天王が一人だ」


「し、四天王……? あなたが?」


 つまり、フウメイさんやダイダロスさんと同じ、バル様の部下だったということ?


 確かに彼は……ノージェさんの屋敷ではバル様の監視役だったし、氷のかせをつけた張本人でもあった。

 バル様が拘束を受けても余裕を残していたのは、彼の存在があったから……?


「そう、おれ陛下へいか密命みつめいを受け、スパイとして王国の中枢ちゅうすうに潜り込んでいた。人間の罪をきわめんが為に」


「ハハハ……これはよく喋るスパイだ。──う……がはッ!?」


 ──ぼたたッ……。

 ノージェさんが口から血を吐き、地面に点々と痕を作った。特に斬られた様子はないのに。


「む……!」


「ハァ……ハァ……残念ながら、ジュリアス。君が手を下すまでもなさそうだ」


「そうか、”魔素マナ代償だいしょう”をったか。だが……罪は罪だ。おれがこの手で介錯かいしゃくしてやろう」


「……フフ。あくまでも魔王の部下ということかい。この命ひとつで全てをあがなえるとは思わないが……ちょうど手札を切らしたところだ。君がそれで満足できるなら、甘んじて受けるのも……いいかもしれないね」


 ノージェさんは息もえながら、にやりと笑いかけた。

 流血は止まらず、その足元には血だまりが広がりはじめている。

 


「貴方に、魔王が受けた痛みのわずかでも理解できればよいが」


「……君には理解できたのかい?」



 ジュリアスはしばし沈黙してから、鎮痛ちんつうな声をしぼり出した。


「……我々人間には、はかり知れない。だからこそ住み分けが必要なのだ」



 ──ボクはどうして、事の成り行きを見守っているんだろう。

 このまま彼が、ボクの代わりに皇子おうじ断罪だんざいするのに任せれば、全てが解決する?


 そんなはず、ないのに。


 

 ミナミの祈るようなささやきが聞こえた。


「やだ、やだよ、マコ……! ノージェが……あんなに苦しそうで、消えてしまいそうで……マコ、あなたが事故にった時と同じみたいで。わたし、どうしたら? 見てられない──!」



 ボクは我に返った。


 ジュリアスがもう一度、ゆっくりと長剣を振りかぶる。

 ノージェさんはそれを見上げ、動こうとしないどころか──満足そうに目をつむった。


 ……だめだ!

 やっぱり、こんなこと!



「やめてッ!!」


 ボクは大きく手を広げて、血濡ちぬれの皇子おうじ叛逆はんぎゃくの騎士の間に割って入った。

 ジュリアスはピタリと動きを止めたが、振り上げた剣は降ろしていない。


「……少女よ、何故める? お前は殿下でんかにくかろう」


「わかんないですよ……! だけど、こうしなきゃ……ノージェさんが、死んじゃうじゃないですかっ!」


「お前がかばわなくとも失血死するだろう、数刻後すうこくごには。それが”魔素マナ代償だいしょう”だ」


「代償……!?」


 背後から答えたのは、ノージェさんだ。

「……身の丈に合わない魔力を扱おうとしたむくいさ。人間が許容量きょようりょう以上の魔素マナを、たとえ一時的にでも体内に取り込もうとすれば……破滅はめつしかない」

 

 振り向くと……たしかに様子がおかしい。何か致命的な異変が起きているのを感じる。


 まるで身体に見えない穴が空いて、そこから魂が漏れ出ていっているような。

 空気を入れすぎた風船が、破裂してしまったかのような。

 とにかく、尋常じんじょうではない出血量だ。


「……だけどっ! なんとかしないと!」


 ノージェさんの身体に、両手をかざした。

 大丈夫だ、ボクは……魔法が使えるんだ。それも恵まれた魔力を持ってるんだ──バル様のおかげで。

 やったことないけど、他人の傷を治すことだってできるはず。ううん、できる……やるんだ!


 ──コオォオ……!

 麻酔で痛みを和らげるイメージ、離れた細胞同士が手を繋ぐイメージ、癒しの光のイメージ。

 それら両手に込めて、魔素マナを練る。


「マコ、くん……」


「……黙っててください」


「……」


 膝下がノージェさんの血でじわりと赤く染まった。

 思えばこの世界ニームアースに来てから、こんなに他人の血をの当たりにするのは初めてだった。


 今までずっと、バル様が守っていてくれたからだ。

 争いや血の流れることのない、平和だけを見せてくれていた。


 ボクがこの世界を好きになれるように。


 彼が好きになりたかった、この世界を。



 ……ノージェさんは、すくわなきゃならない。

 たとえ、どんな仕打ちを受けていたとしても。


 でないと、ボクは全てを嫌いになってしまいそうだから。



「──やめたまえ、少女よ。この罪人を生かしておいては、人間と魔人の今後の為にならない」

 岩のようにどっしりとした声が、まるでとがめるように言った。


「どうしてそんなことが言えますか? ボクはそうは思いません!」


「……ならば、無理にでもどいて頂こう」


 ジュリアスが、振り上げた刃をこちらに向かって降ろそうとする。


 ボクはそれを避けなかった。

 ミナミが素早く剣を抜いて、ボクの元へ駆けてくるのが見えたから。


 ──ガギィン! ギリリィ……ッ!


 彼女の剣がジュリアスの刃を受け止めた。つばいだ──!


「わたしに勇気をくれてありがとう、お姫さま」

 ミナミの声には、元どおり力強さが戻っている。

 

「……お互い様だよ。勇者さま」


 ギリギリと刃物がこすれる不協和音ふきょうわおんが、肌を震わせる。

 ミナミとジュリアスの間で交差した二本の剣は、拮抗きっこうしているみたいだ。


「何者だ、お前は。この怪力……ただの小娘こむすめではないな?」


「名乗るほどのもんじゃないよ。ただの、一途いちずな女の子さッ!」


「馬鹿な──ッ」


 ──ギャリィッ!

 ミナミがジュリアスの長剣を押しのけると、彼はバランスを崩して数歩後ろに下がっていった。



 激しい衝突音に反応してか、周囲で昏倒こんとうしていた兵士たちがもぞもぞと動きだす。


「ううん──」

「わ、おれ……眠っちまった!」

「おい、起きろ!」

「見ろ、血が──!」


 これは……まずい。

 ボクは今、ノージェさんの治療で手が動かせない──!


 ──スゥ……カチン。

 ジュリアスは長剣を隠すようにさやへしまい込み、さらに後ろに下がっていった。


 その間に、起き上がったばかりの戸惑とまどい顔の兵士たちがボクたちを取り囲み始めた。


 血まみれのノージェさんを抱きかかえるボク。

 そばにはバル様が倒れていて、剣を構えたミナミが周囲をけん制している。


 兵士たちが、ジュリアスに声をかけた。


「騎士長、申し訳ありません! 術にはまり、昏倒こんとうしておりました!」

「ご指示をたまわりたく……殿下でんかが、その……魔人の手中しゅちゅうにとらわれておりますが……」


 どうやら彼らは、護衛騎士の凶行の瞬間を目撃していなかったらしい。


 ジュリアスは兵士のほうを向かずに、誰へともない返事をした。

「……お前らの目には、どう映る?」


「は、はい?」


殿下でんか献身的けんしんてきに介抱している少女は、悪魔か? それとも巫女みこか?」


「わ、私には判断できかねますが──」


「……木偶でくがッ!」


「ヒッ!?」


 ジュリアスの一喝いっかつで、兵士たちが硬直した。

 彼らの手に握られた武器が、ひとつまたひとつと刃先を地面に降ろしていく。


「……そうか。これが……貴方が連れてきた少女の力か」

 

 

 数分の間、周囲の兵士たちはジュリアスを含め一言も口を開かなかった。

 ただ、ボクの手から発せられる癒しの魔法の光を眺めて。


 いつのまにか、ボクをぐるりと取り囲む敵意の壁は消えてなくなっていた。

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