第88話 魂の行方
ノージェさんの顔色は、だんだんよくなってきた。
出血は既に止まっている。
魔法による治療でどの程度回復できるかはわからないけど……効果はあるはずだ。
ボクは、ノージェさんに治癒魔法をかけている間、何度も何度もバル様へと視線を移していた。
無駄だとしても、やめることはできなかった。
いくら時間が経っても彼は微動だにしない。
眠っているかのように、傷一つない身体なのに。
"絆の魔法"でいつも感じていたはずの彼の存在感は、どこにもない。
目では姿が見えているはずなのに、そこに"いない"ことがハッキリとわかってしまう。
ボクはどうしようもない無力感に
何分経っただろう。ふいに路地の端から怒号が飛んできた。
「……どいて──どきなさいッ!」
「ぐわッ!」
「この女……ぎゃッ!?」
女性が
「──
兵士たちをかき分けて、というより強引に押し
彼女は崩れ落ちるようにバル様の
「ロゼッタさん、あの……。バル様は……」
「あぁ──ッ! まさか、恐れていたことが……なんてこと──
ボクにとってだけじゃない。もちろんロゼッタさんにとっても大切な人だったんだ。
自分の瞳からも、彼女につられて涙があふれてくる……。
だけど、誰が泣いても、誰が揺さぶっても、彼は息を吹き返さない。
「ロゼッタさん、あの魔法で首輪を元に戻すことは……できないんですか?」
彼女の返事は、そこにいる者全員を凍りつかせる
「……。……無理よ、もう」
そう言うとがっくりと
これは──詠唱? もしかして、バル様を救う魔法じゃ──?
『
──ギシッ。ギギシ、ギギィ……!
この世のあらゆる不吉を圧縮したような、
空間が歪み、
現れたのは、死神が持つような黒い
それがロゼッタさんの手の内に握られると、ぎしりと空気がひしゃげる音がした。
「……え?」
「なんてことないわ。これは”
「ロゼッタさん?」
彼女は涙を流したまま、狂気的に
「さあ、教えて
「──ッ!」
周囲の兵士たちがどよめき、我に返ったように一斉に武器を構えた。
がちゃがちゃと金属音が鳴り、その切っ先が全てロゼッタさんに向けられる。
しかし、彼女は見逃さなかったようだ。
問いかけに対し、ミナミとジュリアスが
「……そう、よくわかったわ。……マコちゃん。そこをどきなさい?」
「いっ! ……い、いやです──ひぃッ!?」
ボクが拒否の意思を示したのとほぼ同時にロゼッタさんが大鎌を振りかぶったので、思わず悲鳴をあげてしまった。
──ガギィンッ!!
ミナミが動くよりも一瞬速く大鎌の刃を受け止めたのは、護衛騎士のジュリアスだ。
ロゼッタさんの声は、冷気を含んでいた。
「やはり、あなただったのね。私たちが来た翌日、
二人の間で交差する刃物が、ギリギリと激しい音を立てている。
「……何故だろうな。
「わからないなら、邪魔しないでくれないかしらね」
「お前こそ落ち着け。
ジュリアスは、ロゼッタさんの大鎌を受け止めながら一歩退がった。
彼は隠していたとはいえバル様の部下なんだ。当然、ロゼッタさんとも面識があったみたいだ。
「……私、フウメイさんに叩き起こされたんですよ? 旅館の前に
「ぬっ……!?」
「隙ありッ!」
──どがしゃッ!!
ロゼッタさんのまっすぐに伸びた蹴り足が見事にジュリアスの腹部に命中し、彼は数メートル後方へ吹き飛んだ。
「ああッ、そんな……!」
ボクはもう、誰を応援していいのかわからなかった。
兵士たちは彼女の気迫に圧倒され、ジュリアスが押し負けたこともあってか士気を失くしてしまったみたいだ。
顔面蒼白な者や武器を取り落とした者など、一様に及び腰になっている。
「ふぅ、ふぅ……さあ
ノージェさんは仰向けに倒れたまま、からからと
「……
うう、あんなに強気だったノージェさんすら投げやりになっている。
ボクがなんとかしないと……!
「待って! いつもの優しいロゼッタさんに戻ってください! あなたがノージェさんを傷付けたら、魔人と人間の和解どころか、リリニアさんが結んだ
「ふ、ふふ。
鬼神の如く大鎌を振り上げたロゼッタさんは、突然口をあけたまま動かなくなった。
「ロゼッタさん?」
「そう……そうだわっ!」
「ええと、大丈夫でしょうか」
──ゴトン。
大鎌の刃先が地面にぶつかる、鈍い音だ。
そこに害意はこもっていなかったけど、ボクは驚いて飛び退きそうになった。
「……マコちゃん、聞いて。リリニアさんの所へ行くのよ、いますぐに」
「リリニアさん? なぜ……?」
「
「じゃ、じゃあリリニアさんなら、バル様を生き──元に戻せるん……ですか!?」
もちろん信じたいけど、そう聞き返しながらも半信半疑だった。
「──わからないわよッ!! でも行きなさい!」
彼女の叫びは、涙で
ロゼッタさん自身も不安で一杯なんだ……。
そこへ、しわがれた声が飛んで来た。
「ま、まてい……ッ!」
路地の奥から姿を見せたのは、ぐったりと
彼はノージェさんが爆弾を使う直前に魔法で姿を消していたけど……どうやら歩いて戻って来たみたいだ。
その手には杖を持っておらず、よろよろと足元がおぼつかない。
「……おじいさん、今さら何をしに来たのかしら?」
「これ以上、この王国の領土で暴れまわる事は……
老魔術師は、ふうふうと息を吐きながら両腕に
バチバチと空気が
兵士たちは
「暴れてなんかいないわ。素振りしているだけよ」
──ブゥンッ!
ロゼッタさんが虚空に向かって大鎌を振るうと、刃の先から衝撃波が広がった。
ヘイムダールさんの手の中に圧縮された稲光が吹き飛び、霧散していく。
「ぐッ!? あらゆる魔法を斬り伏せるという漆黒の大鎌──か。噂には聞いていたが、まさかお主がその
「あら、よくご存知ね。この鎌は、振るえば周囲の
「心配せずとも、今の
辺りに、ぴりぴりとした緊張感が戻ってきた。
ロゼッタさんと老魔術師の間に、見えない火花が散っている。
「……さあ行って、マコちゃん、ミナミちゃん。私の事はいいから」
「はっ、はい!」
ボクが返事をすると、ロゼッタさんはもう一度大鎌で空を切って人の波を押しのけた。
「どうするの、マコ? 行くって言っても……」
「ミナミ、バル様の首輪を拾い集めてくれる?」
「……わ、わかった。でもこいつの体はどうやって運ぶつもり?」
「ボクが担いでいくよ」
「ええ?」
ミナミがせっせと手を動かして黒い破片を拾うのを横目に、ボクは息を吸い込んだ。
『……
──ググ、グググ……!
唱えたのは、バル様が使ってくれたことがある”筋力強化”の魔法だ。
血液を通じて彼の
バル様の胴体の下に腕を差し入れると、赤子を抱き上げるようにひょいと巨体が持ち上がった。
「うわぁマコ、もう何でもアリだね」
「……そんなことないよ」
彼の胴体から四肢が力無くだらりと垂れ下がるのを見て、ボクはまた悲しみが込み上げてきた。
だけど、諦めちゃだめだ。
バル様はきっと大丈夫だって。息を吹き返してくれるって。
ボクだけは絶対に信じ続けなきゃ。
「バルフラムの首輪、拾い終わったよ。落ちていたものだけだけど」
「ありがとう、ミナミ。……少し、
──だんっ!
地面を踏みしめて、ボクは彼を抱えたまま喧騒の反対側へと路地を駆けた。
行く手を
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