第83話 夢の続きを求めて

でてって、言っただけですよ? そのくらい、いいじゃないですか」

 ボクはもう一度、吐息で彼の脇腹をくすぐった。

 

「ちょッ、ちょっとマテ! マコ、オマエ……。いつもより、とてつもなくカワイイ、けど──なんか……なんだ!?」


 彼は明らかに動揺している。

 ボクの魅力に、たじたじ? ふふふ、ああ──おもしろい。


「ねぇってば……早くしてくださいよ」


「ウグ、むむゥ……ッ?!」


 おそるおそる、今にも崩れそうな硝子がらす細工ざいくに触れるかのように。

 彼の手がボクの頭にぎこちなく乗っかった。


「あの。変なうめき声あげながらじゃなくて、ちゃんとしてくれませんか」


「……なんだ、その──俺は今、わからなくなってしまったのだ。な──でる、とは?」


「ふふっ、変なバル様。こんな風にが……いいです」


 すり、すりと。

 しっぽを動かして、彼の太ももを円をえがくようにさすった。

 徐々に内側を攻めるように、なまめかしく。


「アッ。……ああ、こうだろうか」


 分厚くごつごつした手が、太い指が頭を包み込んできた。

 ゆっくり、ゆっくりとボクの真珠色の髪をかき分けて、じんわりと熱を伝えてくる。


「ん……」


 はぁ……。とても、心地ここちいい……。

 彼が心から、ボクのことを大事に扱ってくれているのがわかる。

 

 

「マコ……」


「……んー」


 このまま時間を止めて、眠ってしまえたら──。


「マコ、満足したか?」


「……え~?」


「オマエがごほうびをくれと、言ったのだろう」


「ふふ。言いましたねぇ」


「……まあいい」


 会話をわざとらしく引き延ばしている間も、彼はボクの頭を撫で続けてくれた。


 瞳を紅く光らせ、上目づかいで見つめても──バル様は少し困った顔をこちらに向けるだけだ。


 ……やっぱり、あなたには効かないんですね。ボクの催眠の力は。


 だけど、構わない。

 効かないなら効かないで。……ううん、だからこそ。


「──ごめんなさい、バル様。ボク、撫でてもらうだけじゃ満足できないみたいです」


「お、おい?」


「もっと、バル様が欲しいんです……」


 彼の手を押し返すように体を持ち上げて、顔を近づける。

 今にもくちびるが触れそうなくらいに──。



「ちょッ……マ──ちょっと待てーーッ!?」


 しかし彼は寸前で首をひねり、ボクの顔が着地したのは彼の肩の上だった。


「……避けること、ないじゃないですか」


「俺はッ! 俺は……ニブチンと言われたことがあるが、流石さすがにわかるぞマコ。これは……そ、なのか!?」


「なにがですか。ハッキリ言ってくださらないと、わからないです」


「いや待ていや落ち着け! こ、こういうことはなマコ。あれだ。け、結婚してからだって……異界の漫画にかいてあったぞッ!」


 ボクを撫でていた彼の指は、いつのまにか行く手をはばむ壁に変わっていた。


「なっ。なんで……なんで、そんなとこだけ律儀りちぎなんですかっ!?」


「でもだってホラそれはマズイだろオマエ。なァ?」


「でもとか、だってとか……もう、バル様はッ! そんな言葉、あなたに使ってほしく、なかった……」


 自分の頭が、かっと熱くなるのを感じた。


 せっかく勇気を出したのに。

 あと少しで彼を──とりこにできると思ったのに。


 急に恥ずかしくたまれない気持ちが湧きあがってくる。


 うう、いやだ……部屋に帰りたい──もう知らないっ。



 けれど、立ち上がって背を向けようとしたボクの腕を、彼の手が掴んで引き止めた。


「待て! 待ってくれマコ、違うんだ」


「なにがですか、なんなんですか!」


「俺はなァ、オマエのことを……ますますいとしくおもっている」


「……えっ」


 バル様が、まっすぐ見つめ返してくる。

 他者を魅了するはずのボクの紅い視線が、彼の真剣な眼差しに逆に捕らえられてしまった。


 今度は、頭ではなく……顔と耳の先までが熱くなった気がした。


「本当はもう一度、オマエの事を抱きしめたかった」


「なら、どうして」


「すまない。俺は……オマエのことがいとおしくなるほど、怖くなったのだ。失うことも、のこすことも」


「……のこす?」


「俺はな。あの祭壇さいだんを見るたび、昔を思い出す……」


「それは……百年前の話ですよね」

 

「我々魔人の生命いのちは、ながい。だからこそ、悲しみはながのこり続ける。……マコ。優しいオマエには、俺のようにゆがんでほしくないのだ……」

 

 ──ふわりと、バル様の腕がボクを抱き包んだ。

 いつかのめつけるような抱擁ほうようではなく……やさしく、いつくしむように。


 彼のかすかに早くなった鼓動が、ボクの頰を揺らす。

 汗の香りを嗅ぐと、何かが溢れそうになってくる。


「……バル様は、ゆがんでなんかいません。ちょっと意地っ張りなだけです」


「クハハ。マコがそう言うなら……そう思いたいなァ」


「そうですよ。あなたはきっと、自分がゆがんでるって思いこんでるだけ」


「……そんな事を言ったのは、オマエが初めてだ」


「だってバル様、最初は取っつきにくかったですもん」


「言うようになったなァ、オマエも」


 気がつけば、さっきよりももっと密着している。

 ボクの後頭部が彼の手のひらに包まれて、ああ……自然とまぶたが落ちてくる。


「……けど、バル様?」


「なんだ」


「ボクの前でくらい、意地を張らないでくださっても、いいんじゃないですか……?」


 彼の少し高い体温を、全身で感じて。

 自分も同じくらいに熱くなりたい。そう思った。


 意を決して──腕を彼の胴体にわせ、しっぽを彼の太腿ふとももにしゅるりと巻きつける。


「……マコ?」


「心が向くままに身をゆだねても、いいと思いませんか……?」


 獲物を逃さない蛇の視線で、次こそ彼の瞳を捉えて──。


「マ……お、俺はァっ!」



 ──ぐいっ。

 べりべりと引き剥がすように、彼の両手がボクの口元と肩を抑えて遠ざけた。


「うあぅ……!?」


「今日のオマエは、やはり何かおかしいッ! マコ、リリニアに何か吹き込まれたか? まさか、そこで見てるんじゃないだろうなァ……!」

 

 そう言いながら、きょろきょろと部屋の何もない場所を細目で見回し始めた。

 まるで、お互いの間に高まる熱を振り払おうとしているみたいに。



 ……に及んで、彼は──もう! 我慢ならない!


「バル様の、バル様の……へっぴりごしっ!」


 ──がぶっ!!


「なァッ!?」


 渾身の力を込めて、彼の指に噛み付いた。

 口の中にじんわりとバル様の血液が広がる──。

 

「ふぅ、ふぅ……リリニアさんもよく言いましたよね、ニブチンだなんて。……ボクにも、その気持ち、わかった気がします」


「な、なぜ言ったのがリリニアだと……?」


「そりゃわかりますよっ! うう、もう──もうっ! ……はぁ。ボク、寝ますから。部屋に帰りますね、それじゃ」


「なんだと、待て待て!?」


「じゅる……ごちそうさまでした。おやすみなさい、ニブチンでへっぴりのバル様」


 火照ほてった身体が、引き返せと叫ぶのを抑え込んで──

 口元を拭いながら、すたすたと部屋を横切った。



「マコ、待て! なんだったんだッ! どういうことなんだァーッ!」



 ──しゅたんっ!

 個室のふすまを勢いよく閉めて、廊下を逃げ帰る。



 ……今になって、ようやく自分の心臓が鼓動を取り戻したような気がする。

 

 本当は、わかってた。

 ボクを見つめながら、どこか影を宿していた彼の瞳。


 その心の中にはずっと、マリアさんの存在があるのかもしれないって。


 わかってた。彼は最後の一線は越えてこないのだろうって。

 だからこそ、たった一人で彼のところへ行けたのだと思う。


 今夜、何が起こってもいいと思っていた。

 彼のためなら──マコトを捨ててもいいとさえ。


 ……だけど、ミナミ。

 今度こそ、うまくやったから。


 もう一度、ゆるして欲しい。


 


 ──庭園の離れの、休憩所。


 こんな夜更けに、彼女がここにいるはずもなく。

 ボクは独り、熱の冷めやらない身体を横たえた。


 どうしてキミは、ここにいないの……?



「……あっ。あぅ……んっ……」


 ううん。キミがここにいなくて、よかった。

 


 口の中で、彼の血がぱちぱちとはじける。

 甘くて辛くて、病みつきになりそうな、バル様の味。



「──あぁ、はは……。……おいしい」



 そして、たのしい。


 もっと、蜜を求めて花から花へ翔ぶ蝶のように──

 夜の闇を飛んで行ってしまいたかった。

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