第84話 愛と正義と

 いつだか、バル様はこう言っていた。


『俺が転生術てんせいじゅつを研究している真の目的は、死を克服するためでもある。俺は──いつか自分という存在を失ってしまうのが、恐ろしいのだ……』



 彼が本当に失いたくないのはきっと、マリアさんの思い出なんだと思う。

 彼女の魂を追って転生術てんせいじゅつを研究して、彼女の影を祭壇さいだんの中に見続けて。


 それは、いつしか執念しゅうねんに変わってしまったのかもしれない。

 彼は今も心に空いた穴を埋めるために、存在しないピースを探し続けてるんだ。


 ……果たして、百年の想いを乗り越えることはできるだろうか。

 

 いいや、ボクが忘れさせなきゃ。

 彼の言う"歪み"を。

 そうでないと、彼はいつまでも魔王のままだ。


 だから、ボクはもっと……”マコ”になりたい。




「マコ、どうして。わたしやだよ……」


「な、なに。どうしたのミナミ?」


「マコから、アイツのにおいがするよぉ」


「え、えぇ……」


 いつもの四人部屋で迎えた朝。

 明るく照らされた布団の上で、起きてすぐミナミからかけられた言葉がそれだった。

 

「昨日、消灯してからあなたがこっそり部屋を抜け出したの、やっぱり追っかければよかった……」


「み、みてたの? や、落ち着いてミナミ。なんにもなかったってば」


「うそ! ごまかさないでよ!」


「えと、その……あれ。そ、そういうこと・・・・・・は、シ、シてないから」


「……あーっ!? ふけつ、ふけつ! マコからそんな言葉、聞きたくなかった!」


「ミナミに言われたくないよっ!」


 ──もぞっ。

 部屋の隅で、ロゼッタさんが包まった丸い布団が、不気味に胎動たいどうした。


 ボクとミナミはビクッと会話を打ち切って、ひとまず着替えることにした。



 * * * * * * *



 二人でロビーに行くと、身支度をしたコニーがうずうずと身体をはずませているのが見えた。


「あっ! マコ、ミナミー! おっはよー!」


「おはよう、コニー。早起きだね」


「うんー! 今日が延期されてた個人戦の決勝、あたしの大舞台だから! 優勝したら霊水エーテルもらえるから! 期待して待っててねぇ!」


「えっ、うん。ふふ……そんなに気負わなくてもいいからさ、楽しんできてよ。ボク、応援してる」


「ありがとー! そんじゃ、いってきまーすっ!」



 颯爽さっそうと出発したコニーを見送ると、ロビーはしんと静かになった。

 ボクたちは隅っこになる縁側えんがわに腰掛けて、庭を眺めることにした。


 枯れ葉をつけた木の枝がさらさらと揺れ、小鳥が土をついばんでいる。

 フウメイさんが管理する宵星よいぼしのささやかな庭園には、外とへだてられた平和で穏やかな時間が流れている。


 魔素合戦マナゲーム大会に出た日のことが、もう遠い過去みたいだ。

 ボクのツノはまだ伸びてなくて、たくさんの観戦者に注目されて、思う存分に魔法を操って。


 それが今じゃ、こそこそと荷台に隠れて運んでもらったり、夢魔サキュバスの能力で空を飛んだり血をすすったり……。

 ここ数日の間に、すっかり日陰ひかげものになってしまったみたいだ。

 

 大会で優勝して、認められて副賞の霊水エーテルを勝ち取りたかった。

 そのためにフウメイさんに稽古をつけてもらったのにな──。



「……ミナミ、どうしよ。ボク、リリニアさんに霊水エーテルを探して来いって頼まれてるんだった……。昨日ウルスラさんのところで採取したのって、もう残ってないのかな?」


「へ? ああ、そっか。ちょっとガメておけばよかったのに」


「バル様がピンチだったんだもん……。もう一回、ウルスラさんのところ行けないかなぁ」


 ミナミは頰を膨らませて、ボクの脇腹に頭をぐりぐり押し付けてきた。

 

「はぁ。マコってほんと”バルさま”が好きだよねぇ~」


 彼女の体重を受け止めながら、彼の顔を思い浮かべる。

 昨日あんなに近くまで迫っても、彼はボクに手を出さなかった。


 それでも。


「……うん。好き。昨日、改めてそう思った」


「なんでよぉ~……もお~……」


 ミナミが全体重をかけてきたので、ボクは抵抗をやめて仕方なく縁側に横倒しになった。


「……ミナミ、聞いてほしい。ボクは、ボクが・・・正しいと信じることをしたいんだ」


「マコの信じること、って……いったい何をしたいのさ」


「彼のことを、本当の意味で救いたい」


「あいつを、救う? その為に男女の仲にでもなるってこと?」


「男とか女とか、そんなことは……もういいんだ、どうでも」


「ど、どうでもいいって。あんなにくよくよしてたのに、どうしちゃったの?」


「……気付いたんだ。性別なんて関係なくても、純粋に一人のヒトとして、ボクは彼をいとしく思ってる」


「なんだよ……。やっぱりわたしじゃなくって、あいつがいいんだ?」


「あのね、そういう話をしてるんじゃなくって……。ヒトとヒト同士の繋がりの話をしてるの、ボクは」


「な──なにさ、急に達観たっかんしちゃって! なんかあったでしょ! やっぱりシたんじゃないのっ?」


「ちょっと、落ちついて! 一旦そこから離れよう?」


「いや。わたしは不安なんだよ? ただでさえ普通と違うのに……。形のある繋がりじゃないと、安心して”好き”を確かめられないよ」


 ミナミは、いまも首筋に残るボクの噛み痕を見せるように髪をかきあげた。

 泣きそうな顔で、もう一度求めてほしいと眼差まなざしが訴えている。


「……ミナミ、”普通”なんてないよ。人の数だけ違う価値観がある。そうでしょ?」


「……」


「ボクがいま信じる"正義"は、北の王国に住む多くの人間を豊かにすることじゃなくって……、孤独で意地っ張りなバル様に、笑って楽しく生きられるようになってもらいたいってこと。それだけなんだ」


「……それだけ?」


「それ以上は、いまは考えてないよ」


「なにそれ、ああもう……。わたし、応援していいのかどうかわかんないよ……」


「もちろん、ミナミが応援してくれたら嬉しいよ。ボクはキミのことだって好きだし、いとしいもん」


 ボクがそう言うと、ミナミはそっぽを向いてしまった。


「……ほんっと、ずるい女の子になったよね、マコは」


「……ふふ、ありがと」


「褒めてないよっ!」


 

 彼を、救う。

 本当の意味で。


 彼が安心して心穏やかに暮らせるようにしたい。

 長年の人間への感情なんて忘れるくらい、楽しい日々を送れるようになってほしい。


 そのためには──。



 * * * * * * *



「おや、お二人ともこんなところでべったりくっついて。まるでなかむつまじい姉妹しまいのようでございますね」


 ふいに、頭上から声が降ってきた。

 寝起きだったからか、ミナミと身体を寄せ合っているうちにぼーっと時間を過ごしてしまった。


「……あっ、フウメイさん。おはようございます。今日はコニーと一緒じゃなかったんです?」


「はい、おはようございます。ええ、今日は何だかよからぬ胸騒ぎがしまして。ここに残るほうが良いと判断いたしました」


「胸騒ぎって──?」


 その時、何か……ぞわぞわと遠くから、空気中の魔素マナの震えが伝わってくる気配がした。

 正体の掴めない不吉な予感に鳥肌がたって、思わず立ち上がる。



「フウメイ、気づいたか。……ヤツらがこの場所に感づいたようだ」

 

 のしのしと、バル様がロビーに慌ただしくやってきた。

 腕まくりをして、臨戦態勢を整えている。


「バル様……おはようございます」


「マッ──マコ。あー……。昨日は、その……」


 顔をよく見ると、彼は目の下にくま・・をつくっていた。


「あの。その話・・・は今は置いておきましょう。ヤツらって、まさか……?」


「……この気配はよく覚えている。ノージェと、あのジジイだ。一体どうやって突き止めたかはわからんが、早かったなァ」


「よよよ……。よもや、この”宵星よいぼし”に王族が踏み込んでくるとは、なんということでございましょう」

 フウメイさんは着物の袖で顔を隠して、さめざめと泣く真似をしてみせた。


「フウメイ、すまん……」


「……ほほほ。たわむれに言ってみただけでございますよ。バルフラム様を招いた時点で覚悟していたことでございます。このフウメイ、いざとなれば”山崩やまくずし”として微力ながら──」


「案ずるな、その必要はない。そうなる前に俺たちは外に出るし、ここを戦場にするつもりは──。……いや、これは"戦い"で解決するべきことではない。そうだな、マコ?」


 バル様が、ボクへ向かって頷いた。

 まもなくここを訪れるであろうノージェさん達との間に何が待っているのか、何が起こるのか……。

 “その時いちばんそばに居て、俺を支えてくれ”と。そんな期待が込められている。


「もちろんです、バル様。話し合えば、きっと何かいい方法が見つかるはずです。祭壇さいだんに頼らなくても、歩み寄れる道が」


「……マコ。やはりノージェの頼みは断るつもりだったんだな?」


「はい。ボクは……、天弓てんきゅう祭壇さいだんを起動したくありません」


 ボクがそう言うと、彼はフゥと息を吐いてしゃがみこみ、目線を合わせてきた。


「……ククク。マコ、オマエはカワイイなァ」


「へっ? なんですか、突然」


「オマエが居てくれるだけで、俺は勇気が湧いてくる」


「……あの、昨日へっぴりって言ったの気にしてます?」


「──ゴホッ! ゲフン!」


「ふふ」

 

 バル様は立ち上がって不自然に咳払いをすると、フウメイさんの肩に手を置いた。


「……フウメイ。これより旅館・宵星よいぼし煉獄れんごく魔王まおうの間には、なんの接点もない。オマエはヤツらに何を聞かれても無関係を貫け、いいな。……ではな、世話になった。感謝しているぞ」


「バルフラム様……!」


 彼の口調には敬愛と謝意が込められていた。もはや魔王と元部下ですらないのだと、念を押すように。



「……さて、行くか。ロゼッタは……まだ寝てるか。……仕方ないなァ。マコ、ミナミ、俺についてこい」


「ええ~。あんたに呼ばれるのって、なんか微妙な気分……」

 ミナミは不満しかないという顔でしぶしぶ立ち上がった。


「なんだオマエ、来ないのか?」


「……ま、行くけど? わたしはマコが心配だからついて行くだけだからね!」


「ククク、それで構わん。オマエは見かけによらず腕が立つようだからなァ。あのジジイと対峙たいじするには一人でも多いほうが交渉を優位に進められるだろう」


「そんなにヤバイ相手なの?」


「俺を誰だと思っている。油断せねば問題などない。……だが。もしも、万が一俺の身に何かあったら……。ミナミ、マコのことを頼むぞ」


「……はぁ~!? 言われなくてもそうするよ! ってか……あんたが言うことじゃないだろ、それは!」


「それはこちらの台詞だ。マコをこの世界ニームアースんだのは俺だからなァ、俺にはマコの身柄を引き受けている責任がある」


「はん! わたしなんてマコの”親友”だからね、責任よりも大切な繋がりを持ってるよ!」


 彼女はボクの隣に立って、がしっと肩を抱いてきた。

 ほっぺたがくっつくくらいに顔を寄せて、彼に見せつけるように。


 しかし、当のバル様はぽかんと口を開けて首をひねるだけだった。


「シンユウ……だと? 俺には理解しがた概念がいねんだ。それはそんなに偉いのか?」


「わかんないやつだな、バルフラム。つまり、あんたよりわたしのほうがマコのことを"愛してる"ってこと!」


「なッ……ンン!?」


「さあ、もうすぐノージェたちがここへ来るんでしょ。さっさと準備しよう」


 ミナミはそう言い捨てて、すたすたと走り出した。


「……おい、俺の聞き間違いか? 愛ってなんだァ!」


「それ以上でも以下でもないよ、バカフラム!」


 

 たくさんの気配のかたまりが、この場所へ向かってくるのをはっきりと感じる。


 ……ノージェさん。

 ボクは、できれば貴方あなたと争いたくありません。


 けど、いざとなったらその時は……恨まないでください。

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