第82話 ねえ、バル様

 ここは、旅館・宵星よいぼしのとある個室。

 ボクの目の前には、夕食の献立が並べられている。今日も和食だ。


「ほーんとに、すっごかったよ! 右の人が、ずばばーん! って魔法撃ったら、左の人が、ぎぎぎーん! って、ぜーんぶはじいちゃって! かっこよかったなあ!」


 はちきれんばかりの大声と、隣に座るロゼッタさんにぶつかるんじゃないかというほどの身振り手振り。

 コニーが闘技場コロッセオでの観戦試合を臨場感たっぷりに伝えるのを、ボクは苦笑いしながら聞くにてっしていた。


「ふふふ~。無事に大会が継続開催されたみたいでよかったわね~、コニーちゃん」


「うん! 一時はどうなるかとおもったけどねぇ。今日は団体の部の決勝だったんだけど、明日はいよいよあたしが出場する個人の部が仕切りなおしなんだ!」


「そっか……。頑張ってね、コニー」


「マコ、出れないんだよね? ほんとに残念だなぁ……。あたし、マコと本気で魔素合戦マナゲーム、やりたかったよ」

 コニーは、悲しそうに長い耳をしだれさせた。


「ごめんね。魔王城に帰ったら、たくさんしようね」


「……えへへ。そうだね! マコのおかげで使えるようになった水の魔法で、がんばってくるよ!」


 コニーが拳を突き上げるのをヒョイと避けて、フウメイさんが目の前を通った。

「ほほほ。コニーさんは見違えるほどの実力者になりましたよ。今なら優勝も夢ではないでしょう」


「わぁー! フウメイさんにそう言ってもらえたらあたし、ほんとに優勝できちゃうかもー!」


世辞せじではありませんよ。あなたはまことに、目覚ましい成長をげましたとも」


「あらぁ~、フウメイさん。今日はやけにご機嫌じゃないですか~?」

 ふわふわと甘い声を出したのは、ロゼッタさんだ。


「ほほほ、わかりますか。私事わたくしごとですが、嬉しいことがございましてね」


「へえ~、へへえ~。何があったんでしょうか~。教えてくださいよ~」


「ああっ、裾を掴まないでくださいまし……。ロゼッタさん、あなた呑んでいませんか?」



 ──がやがやとなごやかな会食の中で、バル様とミナミだけは黙々と口に食べ物を運ぶだけだった。


 バル様の首輪は、霊水エーテルで補修できたのか朝見たときよりツヤが増してみえる。

 しかし、魚のしっぽをほおる彼の表情はどこか冴えない様子だ。


 ミナミは上の空で、もごもごと口を動かしている。

 食事を味わって食べていないのは明らかだけど……。


 先ほど彼女がこぼした言葉が心のなかで引っかかって、うまく声をかけることができなかった。



『……あんたらは、十分恵まれてるよ』



 ああ、ミナミ。悲しまないで。

 もう少しで……新しい”答え”にたどり着けそうな気がするんだ。


 そう、この引っかかりは。

 いとしいと想う気持ちを、きとめるような──。



 * * * * * * *


  

 ──ボクは、今日。

 自分の心が、どんどん軽くなっていくのを感じていた。


 朝。

 目覚めた時に、体つきの女の子らしさがより顕著けんちょになっているのを自覚したから。

 正直に言うと……嬉しかったんだ。

 もっと魅力的になれるんじゃないかと思った。今のボクを好きでいてくれる人が、たくさんいるから。


 昼。

 転移魔術師てんいまじゅつしさんが開いたゲートの向こうで、太陽のような幽霊のような、不思議な存在の言葉に影響を受けたから。

 すてきだと思った。自由に生きるということが。

 ボクは、自分で自分をしばっていたんだ。心の中にくさりを作っていたのは……結局のところ、ボク自身だった。

 

 夜。

 荷台の暗闇の中から、ソニアさんとアイゼンが気持ちを伝え合って、熱い抱擁ほうようを交わすのを目撃したから──。

 

 うらやましかった。

 中身をさらけ出して、気持ちを確かめ合えることが。

 ボクも、ぬくもりが欲しい。

 抱きしめて、抱きしめられたいと。そう思った。



 真っ先に脳裏をよぎったのは、二人の顔だった。


 ……バル様が、最後にボクに触れてくれたのはいつだったろう。

 水晶宮殿すいしょうきゅうでんで、リリニアさんに捕らえられたところを救けてくれた時──。

 彼の力強い抱擁で、ボクは胸の奥に火をつけられたんだ。


 だけど。

 いつしか、彼はボクの中に踏み込まなくなったように思う。

 ノージェさんの屋敷で二人きりになった時、彼は……ボクが本能に身を任せるのを手で制した。


 ……ミナミは、夢魔サキュバスの本能に抗えなくなったボクを抱きしめてくれた。

 ボクに血を分けてくれた。ボクの衝動を肯定こうていしてくれた。

 どこへ行くのも一緒だと言ってくれた。


 それでも。


 それでも──

 バル様のことも求めてやまない自分がいる。

 

 きっかけはいくらでもあったはず。

 今日あった出来事は、その流れの一つに過ぎない。



 ミナミがあんなにもボクに気持ちを向けてくれているのに、彼のところにも行くの?


 ……ちがう。

 彼女を裏切るような真似は、したくない。

 これからボクがしようとしているのは、そういうことじゃない。


 何も迷うことはないんだ。


 今のボクは、女の子である前に──"夢魔サキュバス"なのだから。



 ──フワッ……。

 手首が、急に軽くなった。


 ボクの両手に絡みついて、魔力をしばり続けていた”かせ”が……溶けてほどけて、消え去ったんだ。

 まるで、心の解放にこたえるように。



「……ふふ、そっか。簡単なことだったんだ、ね」


 

 手のひらをグー、パーと広げ、魔素マナを込める。

 空中に、緑と青と黄……三色の光が踊った。


 魔力が身体の中を力強く巡り、これまで以上に高まっている。

 ああ、こんなにも軽くなるなんて。

 どこまでも自由に、飛んでいける気がする──。



 * * * * * * *



 ──とん、とん。


「バル様、いますか。いますね?」


「ああ、マコか」



 この部屋にやってくるのは、三度目だ。


 一度目はある日の昼下がり、ボクひとりで。

 その時、彼は留守だった。彼の肌着だけか畳に落ちていた。


 二度目は、ミナミと一緒に。

 彼は古い手紙を取り出して、昔話をしてくれた。

 首輪のヒビの広がりを受容する彼に、不安を覚えた。


 そして、今。

 消灯時間を過ぎて、日付も変わろうかという時間。

 ボクは再び一人きりで、彼の部屋にやってきた。

 


「入っていいでしょうか。入りますね」


 ──しゅらっ。

 ふすまを開けて、部屋に踏み入る。

 彼はこちらを見やると、つい今しがたまで眺めていたであろう”古い手紙”をふところにしまい込んだ。

 

「どうしたんだ、こんな夜更よふけに」


「”首輪”の調子はどうなったかなって、思いまして」


「……ああ! ロゼッタから聞いたぞ。オマエが霊水エーテルを取ってきてくれたのだと。おかげで、思いのほか回復できた。礼を言うぞ」


 バル様はこころよあごをくいっと上げて、黒く輝く首輪を見せてくれた。

 ひび割れた傷は元どおりになりつつある。

 "直る"というより……"治って"いる。それ自体が生き物であるかのように。

 

「それを聞いて安心しました。それじゃ、バル様の体調も元通りってわけですよね」


「そうだな、すぐに万全とはいかないが……繰り返し塗り込んでいけば、徐々に良くなっていくだろう。よくやってくれたなァ、マコ」


 フッと、力の抜けた微笑みだ。

 気心きごころの知れた相手にしか見せない、魔王らしからぬ顔。



 ──何気なにげない、なんでもない事のはず。

 しかしそれが、ボクが”スイッチ”を入れる引き金となった。



「……そうですかぁ。ふ、ふふ……」


「……ど、どうした?」


 吐息といきをはいて微笑みながら、ゆらゆらと彼に近づく。

 彼はボクの普段と違う動きにわずかに戸惑い、すきを見せた。


 ──とさっ。

 倒れこむ形で、彼の大きな身体に体重を預けた。

 バル様は湯たんぽみたいにあったかくて、ごつごつした感触を肌で感じる。


「じゃあ……ごほうびを貰っても、いいですよね」


「ごっ──ごほうびだと?」


 びくり、と筋肉質な胴体が緊張と震えを見せた。


 触れるほど、よくわかる。

 彼の身体は男性的で、ボクとは似ても似つかない。

 

 昔はそれが悔しかった。

 違和感しかなかった。


 もう、あの時のボクとは違う。



「ねえ、バル様? ……ボクの頭、でてくれませんか」


「な、ななッ!? なんのつもりだ──」


 ああ、堪らない。彼の反応が心地よい。

 もっと早く、こうすればよかった。



「ね、いいでしょう。ふふ……そういう気分なんです、ボク」


 鏡を見なくてもわかる。

 今、ボクの瞳は”封魔ふうまの髪留め”でも抑えきれないくらい──紅く紅く、光っているだろう。


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