第71話 渇望

「ロゼッタさん──!?」

 彼女は息が上がり、ひどく疲れて憔悴しょうすいしきっている。

 たったいま全力疾走して、バトンを渡したばかりの陸上選手さながらだ。


「落ち着けマコ。強い魔法を使ったために、魔力欠乏まりょくけつぼうになっているだけだろう。安静にしていれば治るはずだ」

 バル様は彼女の頭を持ち上げて、枕を挟んで楽な体勢を取らせた。


「ロゼッタさんは……この魔法を使うたびに、こうなってしまうのですか?」


「いいや、違う。”霊水エーテル装具”に魔法をかける時だけだ」


「なんですか、それ?」


「マコ。オマエの”髪留め”や、俺の”首輪”は……霊水エーテルという特殊な素材で鍛えられ、その性質を受け継いだものだ」

 彼は顎をくいっと持ち上げて、黒く光る首輪を見せた。

 表面にうっすらとヒビが入っているが、まだ強度は保っているみたいだ。

 今すぐ砕けてしまうような亀裂の入り方ではなさそうだ。


「バル様の首輪も……そうだったんですか」


「そうとも。霊水エーテルは、魔素マナに対する耐性をそなえている。生半可な魔力では弾かれて、魔法がうまくかからないのだ。それが試合中に壊れたのも、タグの保護が効かなかったからだろうなァ」


「バル様は、大丈夫なんですか? その……”首輪”にヒビが入っているようですけど」


「余計な心配はするなと言ったろう。俺にかけられた厄介な拘束術はもう解いたことだし、しばらくは……問題ない」

 そう言いながら、さっきまで氷の錠で固められていた手首をほぐすように揉んでいる。


「でも……」


「……俺は、少し寝る。マコ、オマエもその髪留めをつけて休んでおけ」


「……はい」


 彼は座椅子にもたれ掛かると、会話を打ち切るようにまぶたを閉じた。




 ボクは──くやしい。


 バル様もロゼッタさんも、ボクのためにこんなに身を削ってくれているのに。

 ボクは二人に、何を返せるだろう。


 力になりたいのに、かせ魔素マナを封じられた今のボクにはそれができない。

 それどころか、天弓てんきゅう巫女みこであることが発覚して……このまま二人と居たら、もっと迷惑をかけてしまうんじゃ……?


 胃が、きりきりと締め付けられる気がする。

 胸の奥が、どくどくとうずいている。


 うう、こんな時に……また夢魔サキュバス発作ほっさを感じる。


 ……ひとまず、言う通りに髪留めを着けよう。

 せっかく脱出したのだから、まだ見つかるわけにはいかないし。



 ──パチン。


 一日ぶりに”封魔ふうまの髪留め”で前髪を留めると……。


 ──どくん……。


「あッ……れ……?」


 足元が揺らいで、ボクは畳の上に手をついた。


 

 さらに、息が詰まる。

 胸の疼きも、いっこうにおさまらない。

 ヘルメットを被ったみたいに視界が狭くなって、頭が重くなる……。


 両腕につけられた魔素マナを抑える”かせ”と、夢魔サキュバスの魔力を封じる”封魔ふうまの髪留め”の二重の縛りが、ボクをがんじがらめにしているみたいだ。


 今までは髪留めをつけてもなんともなかったのに。

 まるで水の中にいるように、感覚がぼやけていく。


 だけど、今はどちらも外すことができない。

 少しでも多くの空気を吸うため……深呼吸した。


「すぅ……はぁ……」


 吸い寄せられるように、いいにおいがするほうへ身体が動く──。

 

 ……いつのまにか、目の前にバル様の顔があった。



「──ど、どうした、マコ。まだ何かあるのか?」


「あっ……あれ? いえ──なんでも、ない、です……!」



 ボクは無理やり背骨をひん曲げて立ち上がると、熱を振り払うようにすたすたと早歩きして、部屋から出た。



 ──しゅとん。


 後ろ手にふすまを閉めて、はやる胸の鼓動を確かめる。

 静かな廊下にばくんばくんと心臓の高鳴りが響いて、周りに聞こえるんじゃないかと思うほどだ。


 身体が、熱い。

 

 あのまま、あの部屋に居たら……何をしていたかわからない。


 伸びたばかりのツノをさすさすと撫でた。

 おかしくなってしまいそう……。

 ボクはやっぱり、何かに操られているんじゃ──。

 

 ああ、重い。息苦しい。

 喉が……渇いたなぁ……。



 * * * * * * *



 ……頭を、冷やさないといけない。


 ボクは暗くなった”宵星よいぼし”の庭園をふらふらと歩いて、屋根付きの休憩所にやってきた。

 ここは──ミナミから”告白”を受けた場所だ。


 ベンチに座って、ぼーっとする頭を抱えて庭を眺める。

 涼しげな風が流れて、ボクの髪をさらさらと撫でたが……。

 身体を支配する熱は、一向にひこうとしない。

 むしろ、周りに誰もいないことが更に熱を加速させてしまうような気がする。

 

 この気持ちは、どこから来るんだろう。


 ううん、考えるまでもない。彼への想いだ。

 さっき彼と一緒に飛んだ空を思い出す。とても、気持ちがよかった……。


 ──ばささっ!

 背中から、翼が生えてきた。

 ボクは……自分の身体を、制御できないんだ。


「あっ……、……う、う」


 どうしたらいいんだろう。このまま、彼の所まで飛んで帰る……?

 今はだめだ、あの部屋にはロゼッタさんも居る。


 それとも、服の中に腕をいれて、しっぽを──。



「おい、マコ?」


「──ひぎゃッ!?」


 急に近くで声が聞こえて、我に返った。

 あぶない──! ぜんぜん、周りが見えてなかった……!


「……くっくっく」


「だっ──誰ですか」


「驚かしてすまないねェ。もうちょっと見ていようかと思ったが……。どうしても放っちゃおけない性分しょうぶんみたいだな、アタシは」


 闇の中からゆらりと枯れ木のようなシルエットが現れて、ボクの隣にすとんと腰を下ろした。


「リリニア、さん……。えっ、み、みてたん、ですか!?」


「アタシは悩める若人わこうど揶揄からかうのが趣味でねェ。ことわざで”困り顔は酒のさかな”って言うだろ?」


「いや、言わないです……ひどいです……」


「アハハ、冗談さ。さっき、夢魔サキュバスの事を教えてくれって言ったろう。だからこうして来てやったんだぞ。いつもならもう寝てる時間だっつーのよ」


「えっ……! あ、ありがとうございます。……あ、リリニアさんって夜はちゃんと寝るんですね?」


「寝るよォ? 最近はベリオに合わせて、規則正しく寝てんのさ。ハハハ」


 さっきまで頭がどうにかなりそうだったけど……。

 リリニアさんと話せて、だんだん気がまぎれてきた。



「……あのう。すごく、恥ずかしいんですけど……悩みを相談してもいいですか」


「おう、なんでも言ったらいい。”聞くは一時いっときの恥”だ」


「ふふ、そうですね……」


 初めて、リリニアさんの口からまともなことわざを聞いた。

 ふと目が合った彼女の顔は──ベリオに接していた時と同じ、”母”の顔をしていた。

 子供が寝入るまで優しく絵本を読み聞かせてくれそうな、居心地の良い穏やかな微笑み。

 

 なんだか、心の内側を包まれるような安心感が広がった。

 夢魔サキュバスの先輩として……リリニアさんは今のボクに必要な答えをくれる気がする。



「──ボクは、最近……自分の心が抑えきれなくなりそうなことがあるんです……」


「ほう」


「ツノが伸びてからは、特にそうみたいで……。えっと、その……バル様と一緒にいる時とか……あ、あつくなるんです……身体が……」


 うう、なんてことを言ってるんだろう……。

 みずから口に出して言うと、なおさらそれを認めてしまうみたいで、汗がだらだら出てくる。


「……ふむ、なるほど……。マコ、まず一つ言っていいか?」


「え……はい」


 リリニアさんはボクをまじまじと見つめながら、勿体ぶって言葉を溜めた。

 つい、ごくりと唾を飲み込んでしまう──。


「その気持ちは……抑える必要なんて、ないんじゃないか?」


「──えっ?」


「むしろ、健康に悪いだろうねェ。欲求よっきゅうに無理やりフタをするなんてさ」


「待ってください……! この”封魔ふうまの髪留め”をつけて、夢魔サキュバスの魔力にフタをした時もそういうことがあって──」


「う、うん……!? マコ、お前こそ、ちょっと待て。その髪留めは壊れて粉々になったんじゃなかったのか?」


「あっ!?」


 しまった──!

 もしかしてリリニアさんは、ロゼッタさんの秘密の”時間を巻き戻す魔法”について、知らなかったんだろうか。

 

「……うん、間違いなく封魔ふうまの髪留めだねェ。一体、どんな魔法を使ったんだい?」


「こっ、これはですね……えっ、ええと……なんか! なんか、直ったんですよっ!」


「──ぷふっ! アッハッハ……マコ、お前ってほんとに嘘やごまかしが苦手みたいだねェ。そんなんじゃ立派な夢魔サキュバスになれないぜ?」


「り、立派な……夢魔サキュバスに……?」


 何をどうもって”立派”なのかはわからないけど……。

 脳内で、色気たっぷりに誘惑のポーズを取る自分を想像してしまった。


 このままどんどんツノが伸びて、もっと身体が変化していっちゃったら……どうしよう。


「……なにニヤニヤしてるんだよ?」


「うぇっ!? ボク、いま……にやにやしてました?」


「してたねェ」


「う、うそ……?」


「……アハハ、バレたか。ウソだよ」


「ちょっ──からかわないでくださいっ!」


「くっくっく……。よ、マコ。考えてみりゃ、この短時間で壊れたものを元に戻す方法なんて限られてるわな」


「えっ、ええ~……」


 リリニアさんこそ、心底愉快そうな顔をしている。

 何を話しても、いつのまにか手のひらの上で踊らされているみたいだ……。



「……話を戻そうか。さっきも言ったように、欲求よっきゅうにはフタをしちゃダメだぞ。我慢のしすぎは健康によくない」


「そうかも、しれませんが……。ボクは、これが……この欲求が本当にボク自身の気持ちなのか、わからないんですよ……! まるで、自分がもう一人いるみたいなんです……」


「……はぁ、いいかいマコ、よく聞け。ハラが減ったら、食う。眠くなったら、寝る。どちらも生きていくためには必要なことだ。違うか?」


「それは、そうですけど……」


「生き物ってのはねェ……多かれ少なかれ、なのさ。生命活動の為の栄養や睡眠が足りなくなれば、それを補給しろと脳が指令を出す。お前がいま苦しんでいるのは、夢魔サキュバスの身体に必要な栄養をしっかり摂っていないから。とどのつまり、それだけさ」


 ボクのおでこに、つんつんと彼女の人差し指が当たった。

 まだ長くなったツノの重心に慣れてなくて、頭がゆらゆらと揺れてしまう。


「え、栄養……?」


「そうさ。瞳の能力チカラを使ったり、翼の出し入れには夢魔サキュバス特有の別種の魔力を消費するんだ。しっかり補給しなきゃ身体を壊すことになるぜ。そういう構造だから、仕方ないだろうねェ」


「補給って……どうしたらいいんでしょうか」


「なぁに、簡単さ。他者から”生命力せいめいりょく”を貰えばいいのさ」


「せっ──ええと、具体的に教えてもらえませんか。検討しますので……」


 そう質問しながら、ボクはとっくに頭の中で答えを見つけていた。

 すぐ目の前に結論があるのに、必死で見て見ぬ振りをしていることを認めたくなくて。


「……お前まさか、場合によっちゃ我慢するつもりじゃないだろうな? やめとけよ。放っておくと肌がボロボロになって干からびて、しまいにゃオダブツだぞ」


「干からびて……って。し、しぬってことですか?」


「あるいは最悪の場合は、そうかもねェ」


「そんなの……です……。やっと、好きに……なれたのに」


「アハハ。なら、我慢なんてするなよ。……そら、おあつらえ向きにお前に生命力をくれそうなヤツが来たぜ」


「……え」


、マコ」



 ──ヒュゥゥゥ……。


 影がふやけるように、リリニアさんは座ったままの姿勢で暗闇の中に姿を溶かした。

 あっという間に、最初からそこに居なかったかのように気配が消えてしまった。



 そして──同時に、背後からよく知った声がかかった。


「マコっ!!」


 ずっと会っていなかったような気さえする、親友の声。



「み、ミナミ……!?」


 振り返った瞬間。

 ボクは、彼女の腕の中に強く……強く抱きしめられた。

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