第70話 逆巻きの揺り籠

 ああ、気持ちいい──!

 文字通り、鳥になったみたいだ。


 満天の星空は地平線でくっきり暗くなって、海と地面の境界が大陸の山々のシルエットを映している。

 南の方には、細い糸のようにそびえる天弓てんきゅう祭壇さいだんがうっすらと景色を東西に分けている。


 魔王城出発の日には白竜シャルアロの背に乗って空路を移動したけど、こうして自分の翼で空をけるのは格別だ。

 ホバリングも宙返りも、自分の思うがまま。風を切って、どこまでも飛んでいける──!


 空の飛び方は、不思議と本能的に理解できた。

 歩き方や呼吸の仕方を意識しなくても自然とできるように、ボクの今の身体には、遺伝子の中に空を飛ぶ方法があらかじめインプットされているみたいだ。


「マ、マコーッ!」


 風の音に混じって、バル様の声が聞こえた。


「なんですかー!」


 ビュウビュウと耳元で空気が飛んでいく。

 声を張り上げないと、意思の疎通そつうができない。


「勘弁してくれー!」


「えーっ?」


「早く降りろー! 宵星よいぼしまで急げー!」


「あっ、すみませーん!」


 いけない……!

 生まれてはじめて自由に空を飛んだことと、バル様の温かい身体と密着したことで、変なテンションになってしまったのかもしれない。

 彼は今、あまり具合がいいとは言えないんだ。なるべく早く着陸しないと。



 ──つくしのように伸びた煙突が並ぶ、王国の西地区上空。

 空からの夜景は地上とはまるで異なって見える。

 人間が見る景色と鳥が見る景色が違うように、自分はもう人外の領域にいるんだという実感が、また一つ濃くなった。



 遠くに旅館・宵星よいぼしの庭園が見えてきた。

 バル様はボクに筋力強化の魔法をかけてくれたけど、彼が万全の状態じゃなかったからか、もう効果が切れはじめている──!

 元々"かせ"で身体に力が入らなかったのに、そのことを忘れるほどの強化だったんだ。

 肩に担いでいるバル様の体重が徐々に重く感じてくる。どんどん高度が落ちて、地面が迫ってくる。


 もう少し……まだ、落ちるわけにはいかない……!


 ボクたちはそのまま水平に滑空かっくうし、窓が開いた宵星よいぼしの客室の一つに、飛び込むように中へ転がりこんだ──。


 ──ドッ、ガサッ! ごろごろ……。


「ぐっ……!」

「うあっ!」


 畳の上に軟着陸なんちゃくりくし、部屋のふすまにぶつかってようやく止まることができた。

 夜空から明るい部屋のなかに突っ込んだからか、視界がちかちかする。


 はぁ……なんとか無事だった。

 フッと力を抜くと、役目を終えた翼がしゅるりと身体の中に引っ込んだ。



「あァ……、はじめて飛んだにしては上出来じゃないか、マコ」


「あはは……あとでうんと練習しないといけないみたいですね……」  



「──陛下へいかっ!? マコちゃん!」


 部屋の床に転がったボクとバル様の顔を心配そうに覗き込んだのは、ロゼッタさんだった。

 ちょうどよく、もとの泊まっていた客室に帰ってくることができたみたいだ。



「ロゼッタさん、ご心配をおかけしました……。遅くなったけど、戻ってこれました」


「ああっ、二人とも……怪我しているじゃない! 待ってて、いま──」


 彼女が部屋を出ようとすると、それを制するようにバル様が身体を起こした。

「──ロゼッタ、細かいことは後だ。緊急事態だ。……オマエのチカラが必要になった」


「私の……?」


「そうだ、一刻を争うことだ」


「まさか陛下……“首輪”がっ……い、いえ──」


 ロゼッタさんはボクのほうをチラリと見て、何かを言いよどんでいる。


 首輪──。そうだ、さっきバル様の”黒い首輪”にヒビが入るのを目撃したんだ。

 それが彼の体調に関係しているのは、間違いない。


「そうだな、もあまり良い状態とは言えん。……だが、それよりも今はマコの髪留めが先決だ。まだ一日経っていないのが不幸中の幸いか」


「髪留めって……”封魔ふうまの髪留め”ですか?」


「そうだ。さっきリリニアに見せていただろう」


「でも、あれは壊れちゃってて……」


「いいんだ、出してくれ」


「は、はい」


 ボクは再び、ソニアさんから受け取った小袋を取り出した。

 中にはかつて髪留めだったルビー色の破片が入っているが、もはやアクセサリーとしての役目は果たせそうにない。


「ノージェのやつが言っていたな。霊水エーテルの性質を付与された髪留めによってオマエの魔力が抑えられていた為に、巫女みこを探せなかった……と」


「はい。大会の舞台で会った時、そう言ってました」


「つまりだ、今のオマエはヤツらに簡単に見つかってしまうのだ……。見ただろう、”天弓てんきゅう宝杖ほうじょう”が光り、巫女みこの証拠を示すところを」


「──あっ!」


 そうだ、忘れていた……!

 あの宝杖ほうじょうやノージェさんのイヤリングがある限り、ボクはきっとどこに逃げても見つかってしまうんだ。

 ノージェさんの屋敷から脱出したところで、居場所がバレるのではいずれ追い詰められてしまう。


「……そんな顔をするなマコ。打つ手はあるからなァ。──ロゼッタ、頼めるか」


 バル様はボクの手から髪留めの残骸ざんがいが入った袋を受け取ると、ロゼッタさんに手渡した。 

 彼女は、泣きそうな顔でバル様を見つめ返した。


「お待ちください陛下……! まず、何が起こっているのかお聞かせ頂けませんか」


「わかった、手短に言おう。マコが天弓てんきゅう巫女みこだったのだ。だが、これがあれば身を隠せる」


 その言葉にロゼッタさんは息を呑んだが、さほど慌てるそぶりは見せなかった。

「……! では、コニーちゃんの言っていたことは、本当だったのね」


「コニーが? どういうことだ」


「大会の舞台上で、お二人が皇子おうじと何か話してましたでしょう。その会話がコニーちゃんにだけは聞こえていたそうなの。あの子、耳が良いから……」


「なるほどなァ。……その情報、他のヤツには聞かれていないだろうな?」


「コニーちゃんから聞いたのは、フウメイさんとミナミちゃんと、私だけですが……。コニーちゃんとミナミちゃんは、いま王宮のほうへ様子を見に行ってるわ」


「えっ、ミナミが王宮に!?」

 言われてみれば、この部屋にはロゼッタさんしからず、ミナミとコニーの気配はない。


「そうよ、マコちゃん。ミナミちゃんはあなたのことで、そうとう気が動転していたわ。王宮に乗り込むんだなんて言って……。コニーちゃんが彼女のことを落ち着かせようとなだめていたくらいよ」


「なんですって……」

 よもや、入れ違いになってしまうなんて。

 彼女が王族から目をつけられるような下手をしなければいいけど……。


「ロゼッタ、事情はわかっただろう。このままではマコが、再びヤツらに見つかってしまう」


「しかし、陛下……! ご存知の通り、私の”あの魔法”は数日に一度しか使えないんですよ。首輪をそのままにしては、お身体にさわります……!」


「優先順位なんぞ、考えるまでもない。やるしかないのだ。俺のことなら……まだ、しばらくはつだろう──ふんッ!」


 ──シュウゥ……バキキッ……! ……ゴトン。

 彼の手首を固めていた氷の手錠が溶けて真っ二つに割れ、床に転がった。


「あの。お二人とも、何のお話でしょうか? ボクには、事態が飲み込めないのですけど……」


 バル様もロゼッタさんも深刻な面持ちだ。特に、ロゼッタさんはわなわなと震えている。


「……マコちゃん。あなたになら話してもいいわね。私は、ある”特殊な魔法”を使うことができるの」


「特殊な、魔法?」


「いま、見せるわ。……陛下、よろしいのですね?」


 ロゼッタさんは小袋からバラバラになったルビー色の破片を手のひらに移し取ると、バル様に目配せした。


「ああ、頼む。これも霊水エーテル装具だから、かなりの魔力が要るだろうが……。悪いが、耐えてくれ」


「ふふ……。魔力欠乏まりょくけつぼうなんて、どうってことないんですよ。陛下の痛みに比べたら──」


 そして目を瞑り、両手で髪留めの破片を手の中に包み込んで──静かに、子守唄をうたうように詠唱した。



『……とききざぎん長針ちょうしんそらまわきん短針たんしん歯車はぐるまうつかがみ盤面ばんめんのぞ水面みなもめぐめぐりて、因果いんがほどけ。果実かじつえだへとかえりゆき、つきいかけしずめ──逆巻きの揺り籠リターン・クレードル……!』


 ──ヴッ……ヴヴッ……!! ──ギュギュゥゥゥン……!!


 ロゼッタさんの指のあいだから、虹色の光が回転しながら溢れ出てくる──!


 膨大なエネルギーが、彼女の手の中に圧縮されているみたいだ。

 こんなに長い詠唱を聞いたのも初めてだった。

 集まった大量の魔素マナを一点に集中させて、一体何を……!?


 彼女の表情が、苦しみに耐えるようにゆがむ──その歪みは空間にまで伝播でんぱして、部屋全体がカタカタとわなないている。


 ──シュゥゥ……ン。


 やがて、振動と光がおさまっていき……ロゼッタさんは包み込んだ手のひらをゆっくりと広げた。


 そこには……元通りになった、粉々になる前の”封魔ふうまの髪留め”があった。

 幻覚ではない。間違いなく本物だ。

 まるで昨日の時点に戻ったみたいに、ヒビ割れすらなくなっている。



「これは──!?」


「はぁ、ふぅ……。私の魔法は……少しだけ”時間を巻き戻す”ことができるの。──ふぅ……物にしか使えないのだけど、ね──」


 蚊の鳴くような、弱々しい声。

 顔は血の気が引いて、病人のように白くなっている。


 ロゼッタさんは震える手で、残った力を振り絞るようにボクに髪飾りを手渡すと──畳の上に崩れ落ちた。

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