第69話 恋の翼

 夢じゃないかと思った。


 ここは”北の王国”だ。

 西の樹海の最奥地にある水晶宮殿すいしょうきゅうでんとは、三角大陸トライネントはしはしと言っていいほど離れている。


「リリニアさん……!」


「久しぶりだねェ、マコ。な」


「どうして、ここに? 樹海に居るはずじゃあ……」


「バルフラムから呼び出しを食らったもんでねェ。コイツが無茶してるんだから、アタシも少しは頑張ってやんなきゃわるいだろ?」


 いつのまにか辺りは暗闇におおわれて、地面さえも黒くなっていた。

 リリニアさんが支配する空間の中にいるみたいだ。

 


冥眼めいがん魔王まおうよ……。お忘れか? 王国と樹海の間には、停戦協定ていせんきょうていが結ばれているのだぞ。まさか、破棄するとでも言うのではあるまいな」

 ヘイムダールさんが、杖を構えながら凄んだ。冷や汗をかいて、歯をむき出しにしている。


「じいさん、あんたこそ条文をよく読んでいないんじゃないか? による、魔素合戦マナゲームを除く決闘及び魔法による武力行使を固く禁ずる──ってねェ」


「……どういう意味だ?」


「つまり、だ。に手ェ出したら、約束をたがえたのはそっちってことになるぜェ?」


「馬鹿なッ! そのむすめは東の火山の出身ではないのか!」


「聞いて驚きな。マコはね、アタシのいもうとなんだよ」


「──ええっ?」

 思わず声をあげてしまった。


「オイ、冥眼めいがんの! ええって言ってるぞ! でまかせか、ハッタリだろう!」


「アハハ、調べてくれてもいいぜ。ほら、見な。アタシたちよく似てるだろ?」

 リリニアさんはひらりとこちらへ飛んで来ると、ボクの横に顔を寄せてきた。


「ぬうッ、たしかに──ではない! 仮にそうだとしても、そやつは天弓てんきゅう巫女みこだ。祭壇の起動のため、身柄は王国で預かるべきだ!」


「へェ、天弓てんきゅうの……? そうなのかい、マコ?」


「えっ、はい。そう……らしいです。けど、ボクは……まだ祭壇を起動するとは言ってないです」


「……だとさ、じいさん。諦めなァ! どっちみち、祭壇は元々どの国のもんでもないはずだよ!」


「ぐぅっ……。ぐぬぬ……ッ!」

 ヘイムダールさんの杖の先で、雷鳴がバチバチと音を立てている。

 しかし杖の持ち主は、苦虫を噛み潰したような苦悶くもんの表情だ。


「撃つ気かい? いいぜェ。撃ってきなよ。アタシが支配するこの空間なら、目撃者はいない。何が起こっても真相は闇の中さ」


 リリニアさんの挑発が飛ぶと、短い沈黙が流れ──彼の杖先の光が、フッと消えた。



「覚えていろ。冥眼めいがん……!」


 ──ピシャァン!!



 恨みのこもった言葉を残して、老魔術師は煙のように姿を消した。


 ひと呼吸おいてリリニアさんが作り出した暗闇も晴れて、夜空に星が戻ってきた。

 ここは……城下町の中、王宮にほど近い区域だ。


 夜がけて遅い時間だからか、人通りはない。



「──リリニアさん! 助けに来てくださって、本当にありがとうございます……!」


「いいさ、マコ。礼はバルフラムに言っとけ。コイツがアタシに頼るなんて、よっぽどの事があったんだろうねェ。──おい、バルフラム! 生きてるか~?」


 リリニアさんはかがんで、ボクの背にもたれているバル様の顔をぺちぺちとはたいた。


「……あァ。オマエか……リリニア。待ちくたびれたぞ……」


 彼は、ようやくぬらりと顔をあげた。

 よかった……! 一時はどうなるかと思った。


「仕方ないだろ。あの屋敷、庭より中は覗けないんだよ」


「そうだろうなァ……。クク、一杯食わされたな……。甘く見ていたのはこちらのほうだったというわけだ……」

 バル様はぎこちなく起きあがると、生垣の柱に背中を預けた。


「そのようだねェ。あのじいさん、かなりのもんだぜ。退いてくれたからよかったものの、あのままやりあってたらヤバかったかもな」

 リリニアさんは、生垣の向こうにそびえるノージェさんの屋敷を細目でにらんでいる。

 ここから見る限りは、屋敷にはまだあわただしい動きはない。


「あのおじいちゃんって、お二人でも厳しい相手なんですか?」


「あー、万全なら問題ない相手だけどねェ。アタシはこの通りここまで影を飛ばしているだけだし、魔力の遠隔操作は神経使うからな。つまり、ハッタリさ」


「えっ……!」


「それに、バルフラムは仕掛けられた罠を全部踏み抜いてきたようなもんだろ? はぁ──呼びつけられるアタシの身にもなれよ、なぁ。えぇ?」

 そう言いながら、ここぞとばかりにバル様の頰をぺちぺちネチネチと、はたいたりつねったりしている……。

 こんな事をできるのは、きっとリリニアさんくらいのものだ。


「……わるかったなァ、リリニア……。オマエには感謝している」


「──エ!? うぇっ……えェ!? ……お前。なにか変なもん食ったか? マコ、コイツどうしちゃったんだ……?」


「へ? いつも通りだと思いますけど」


 バル様の返事がよっぽど意外だったんだろうか、リリニアさんは声が裏返っていた。

 いつも余裕たっぷりのリリニアさんがこんな風に驚く相手も、バル様くらいなんだろうか。

 

「あァ……悪かったついでに、もう一つ頼りたい。”宵星よいぼし”という旅館まで、俺たちを運んでくれないか」

 バル様はなおも辛そうにしながら、声を絞り出した。


「よいぼしィ……? なんだそれ。いくらアタシでも、知らない場所にゃ大雑把おおざっぱにしか飛べないよ」


「場所はマコが知っている。こんな道端みちばたに長居するわけにはいかんのだ、なんとかやってくれ」


「んなこと言ってもねェ……。ああそうだ、マコ。お前がバルフラムをかついで空を飛んだらいいんじゃないかい?」

 リリニアさんは、名案を思いついたとでもいうように軽く言ってのけた。


「ええっ!? 待ってください……。かつぐのも、飛ぶのも、ボクには無理なんじゃないかと思うんですけど!?」


「んん? マコお前、空飛んだことないの?」


つばさの出し方がわからなくって……。というか、夢魔サキュバスに翼があったなんて、今日知ったばっかりで」


「な──マジか……? ハァ、お前には色々教えてやんなきゃならないようだねェ……」


「お願いします、リリニアさん。教えてください……。ボク、夢魔サキュバスのコト……ぜんぜん、わからないんです。今日なんて、ツノが急に伸びてきちゃって……」


「ツノが……急に、だと? そんなことは……って、お前。"封魔ふうまの髪留め"はどうした?」


「あれはっ、あの──さっき魔素合戦マナゲームの試合で壊れてしまって……」


 チャリチャリと音のする小袋を引っ張りだすと、彼女は青白い顔をさらに白くした。


「壊れたぁ? あっ……あー。やっちまったねェ……」


「ごめんなさい、お借りしていたものなのに──うっ?」

 リリニアさんは難しい顔をしながらボクの顎をクイッと持ち上げると、まるで診察するかのようにじろじろと眺めてきた。


「ふぅん……。ま、済んだことは仕方ないな。それは後だ、翼の話に戻すぞ」


「は、はい」


「……いいか、マコ。お前の背中には翼がある」


 ボクの肩甲骨の下あたりが、つついと指で撫でられた。


「──うひっ!? それが、いま”かせ”で魔素マナを封じられちゃってて……」


「む、厄介な術を受けてるねェ。だが、翼そのものは夢魔サキュバスの身体能力だから関係ないはずだぞ。力が抜けた拍子に引っ込んだだけじゃないか?」


「そうなんですか。さっき踏ん張ってみたけど、でてこなくって……」


「出し入れには慣れとコツがるからねェ。まず、背中に意識を集中しろ。それから……夢魔サキュバスの翼が、何のためにあるか教えてやろうか?」


「何のため……ですか?」


 聞き返すと、彼女はぐっと顔を近づけてきて……ボクの耳元でねっとりとしたささやき声を出した。


「それはねェ……自分を愛してくれる”つがい”の元まで、まっすぐ飛んでいくためさァ……」


「──つがっ……!?」


 つ、つがいって……動物のおすめすのカップルのことですよね?

 

「なんだァ、リリニア。何を話してる? マコにヘンな事を吹き込むんじゃないぞ」


 うう、バル様と目が合って──あっ。


 ──ばさぁっ!

 背中の内側でもりもりと何かが膨らむ感触がして……見事に、ボクの背に翼が生えてきた。


「おっ! やるじゃん、マコ。その調子だぞ」


「は、はい……」

 彼の顔を見た瞬間、頭の中にフッと翼を出すコツが湧いてきたみたいだ。けど……。

 なぜだか、翼を出すこと自体が恥ずかしいことのような気もしてきた。


「おや、マコ。そのドレス……特注品か? ちょうど翼の付け根部分にスリットが開いてるねェ」


「あれっ? 気がつかなかったです」


 確かに、ボクが着ている黒のゴシックドレスは翼を広げても破れることはなかった。

 ノージェさんがくれたドレスだけど。

 これ、まさか本当にボクの為に細工したんだろうか。ノージェさん……。



「へェ。くれたヤツに感謝するこったね。……んじゃ、次だ。バルフラムをかつげ、マコ!」


「それこそ無茶ですよ!?」


「いいからやれェ!」


「はい……」


 命令されては仕方ない……。

 ボクはバル様に近寄って、彼の脇の下に身体を差し入れた。


「マ、マコっ!」


「しっ──しつれいします」


 ぐうっ……、重い!

 当然ながら、ボクの力じゃ彼の腰がちょっと浮く程度だ。

 そもそも、こんなに身体を密着させたら色んな意味で力が入らないし……持ち上がるものも持ち上がらない──!

 


「……なるほどなァ、そういうことか……」


「ああ、そうとも。お前、寝るにはまだ早いぜェ?」


 二人の魔王が、意味ありげに目配せした。


「な、なんですか?」


「マコ、お前に今から魔法をかけるぞ。”バフ”だ!」


「ばふ……?」


 顔をあげて振り返ると、リリニアさんとバル様が順番に詠唱を重ねた。


ひかりとすくろとばりやみうつしろ虚像きょぞうしきなるはくうくうなるはげん──擬態暗幕ミスティックカーテン!』


いわおくだりゅう顎門あぎと大樹たいじゅおに鉄腕てつわん天地てんちふるわす指先ゆびさき宿やどすは無双むそうかみろし──剛筋極化ハイストレングス!』


 ──ススス……。──ググ、グググ……!


 二つの光に身体を包まれると──途端とたんに、全身の血管が膨れて、力がみなぎってくるのを感じた。

 バル様がボクにかけたのは、おそらく一時的に筋力を限りなく強くする魔法だ。

 いまなら、大岩をもヒョイと持ち上げることができそうだ──!


 がしりと、彼の腰を担いで、肩に載せた。

 男の子だった時みたいに重いものを持ち運べる、自分の筋肉から返ってくる安定感。これは……いける!


「すごい……力が、湧いてきます! 飛べそうです!」

 

「よし、行け。アタシもすぐに追いかける!」

 リリニアさんはボクの助走のさまたげにならないよう、距離を取った。


「マコ……なるべく、そっと翔んでくれよ。俺は空を飛べないんだからなァ……。ほんとに頼むぞ」


「はい、バル様。でもボク、ちょっとみなぎってるので……加減ができるかどうか。──とにかく、いきますっ!」


 ──ドンッッ!

 大地を力強く踏みしめると、あっという間に地面が遠ざかって、城下町の家々の屋根が小さくなった。リリニアさんの姿は、もう豆粒みたいだ。


「だわァーーっ!!?」


 星空に、彼の悲鳴が高く響いた。

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