第66話 小悪魔

 ソニアさんは乱れた髪をで付けながらはねを動かして、ふわふわと浮遊した。

 部屋には衛兵さんが入ってきたけど、彼の目にはボクしか映っていないらしく、ソニアさんには見向きもしていない。


「マコさん、脱走するって? なんか悪いことしちゃったのかい?」


「いいえ、してませんよ。……存在そのものが罪だったなら、話は別ですけど」


「もしかして、魔人だってバレちゃったのー?」


「はい……。ソニアさんも、見つかったらボクみたいに捕まっちゃうかもしれないですから、気をつけて帰ってくださいね」


「あららー、マコさん。その言い方だと、ちょっとになっちゃった?」


「あっ。その……。用心しないといけないって、思っただけですよ」


「ふうん……」


 ソニアさんに言われて気がついた。

 自分の中に、”人間”に対するとげのようなものが芽生えている……?


 不当な扱いを受けたり、何も悪くないのにこちらが気をつかったり。

 こういうことが積み重なっていくと、その”とげ”はどんどん膨らんでいってしまうのだろう。

 しまいには、関わり合い自体を避けるようになるかもしれない。

 バル様が三角大陸トライネントの果ての魔王城に引き籠もるようになった理由が、今になって少し理解できた気がした。



「──マコさん、その腕のヒモみたいなやつ取れないと、しっぽがおいしく戻らないの?」


「はぁ……ソニアさん。あのですね……。……まあ、たぶんそうだと思いますけど」


「そっかー。あたいに手伝えること、ないかなっ?」


「い、いえ。ソニアさんを巻き込むわけにはいかないので。……アイゼンさんに、届け物が済んだことを報告してくださると助かります」


「そうかい? あー、残念だったなー。おいしくなったら呼んでよねー?」


「えーと、善処します……。お届け物をくださって、ありがとうございました」


「気にしないでー。それを頑張って拾い集めたのはアイゼンだからさ。そんじゃ、マコさん。気をつけるんだよー」



 ソニアさんは入ってきた窓からふわりと飛び降り、闇夜にまぎれてあっという間に姿を消してしまった。


 ……ボクも、行かないと。



 もう一度、鏡の前に立った。

 紅い瞳が、あやしく光っている。

 ニアルタの宿でミナミが正気を失ったあの夜に見たのと、同じ輝きだ。


 夢魔サキュバス能力チカラに頼るのは、とても不本意だけど……。

 これはまたとない好機でもある。


 昼の時間はボクたちにそれぞれ見張りがついていたし、バル様の周りの警備は特に厳しく、穏便おんびんに脱出するのは難しそうだった。

 でも、この瞳の能力チカラをうまく使えれば、誰も傷つけずにここを去れるかもしれない。



 ボクの瞳に魅了されてしまった衛兵さんは、相変わらず異常なテンションで床を転がっている。


「……なぜ私を無視するのかぁ~! ……ハッ! わかったぞ~! これはおあずけというご褒美なんだぁ! ああ~そうだ~しかし貴女あなたのことを想えばぁ~私はいつまでも待てるゥ~」


 こんなふうに人が豹変ひょうへんしてしまうなんて、恐ろしい能力チカラでもある。

 いまボクは他に良い手を持っていないので、仕方がないけど……。


「……あの、衛兵さん。ちょっといいですか」


「ヘァッ! ハイィ! なんなりと踏んでください!」


「へ!? いえ……この屋敷の出口がどっちにあるか、お聞きしてもいいですか」


「──デッ!? デグ、出口、ギギギ……!」


「え、衛兵さん?」


 彼は顔を床にこすりつけながらボクを半狂乱で見上げている。

 これはだいぶあぶない。よく知らない人だけど、彼のことが心配になってきた……。


「……アアッ! 私は罪深い人間です! 彼女を見張っておくのが私の仕事だというのにッ! アアッ! ウッ!!」


「ごっ、ごめんなさい! そうですよね、ボクを見逃したらあなたの責任になってしまうし──」


 ……ひとまず彼のことは放っておいて、バル様と合流しよう。彼を見つけさえすれば、なんとかなるはずだ。

 ボクはドレスをたくしあげて、部屋の出口へ駆け出した。



「アァアァアッ!!」

 ──しゃかしゃかしゃか!


「わ、わあーっ!?」


 信じられないスピードで、まるで蜘蛛くものように床をう衛兵さんが目の前に回り込んできた。


「私、仕事ですからァ……。ここをお通しするわけには……アッアッ」


 彼は、汗と涙とほこりにまみれほおが黒ずんでいるが、苦悩と喜びが入り混じった複雑な表情をしている。

 熱い温泉に腰を降ろした瞬間、お尻にとがった石が刺さったら……こういう顔になるかも。


「うう……。お願いです、どいてくださいませんか」


「──アウッ限界だかわいい! アッ、これ以上あいらしくお願いされては私は、気絶するであろう!」


 あ、……?

 それが本当かどうかは半信半疑だけど、確かに今にも窒息ちっそくしそうなくらい上気した顔をしている。


 魅了状態になってるとはいえ、それでも仕事に忠実な衛兵さんだ。

 魔法が使えない時は非力な女の子でしかないボクが、彼の事を無理やり突破するのは物理的に難しそうだ。

 ううん、試してみる価値は、あるかも──。


「……おっ、お願ぁい、かっこいい衛兵さんっ……。ボ──ボク、困っちゃうんですぅ~!」


 あぁっ! 言いながら、どんどん顔が火照ほてってくる──。

 ボクはこんなキャラじゃ、ないのに……!


「ウ、ウアーッ!? か、かわッ! アアッ……ア!」


 あっ……口からよくわからない液体を垂らしはじめた。

 よし、これは効いている……。

 いや──よくないけど! もうひと押し、するしか!


 瞳に意識を集中して……彼の視線をつかまえて──。


「ね……おねがい。ボクの言うこと……聞いて?」


「……ア──アアーッ……! 女神ヴィーナス……! ──アウッ」


 ──ばたり。


 衛兵さんはぶくぶくと泡を吹いて白目をき、とうとう床に突っ伏して動かなくなった。


 ……い、今のうちだ!

 彼を気絶させたのと引き換えに何かを失った気がするけど。

 背に腹は変えられなかったんだ……!


 ああ、衛兵さん。申し訳ない。やっぱり彼は、後で責任を取らされるだろうか。

 ここを無事に脱走できたら、ノージェさんに手紙を出そう。彼のことはボクが操りましたって。



 まずは、バル様と合流しないと。

 屋敷内のどこかに、彼が居るのを感じる。こっちだ──!



 * * * * * * *



 滑るように階段を降りて、下を目指す。

 使用人や他の衛兵さんとばったり出くわさない事を祈って。


 もし会ってしまったとしても、相手が男性だったなら──瞳の力で無力化できるはずだ。

 ……ボクの魅力が足りていれば、だけど。


 ああ、こんな事ならもっと可愛く見せる仕草とか、研究していたらよかったのかな。

 世の中の可愛い女の子たちは、自分をよく見せるために色々と努力しているはずだ。

 それに比べたらボクなんか、まだまだ女子力が足りなくて……。


 って──何を考えているんだろう。そうじゃなくて……今はバル様に会う事が先決だ。

 バル様なら、ボクの事をいつだってカワイイって言ってくれる──いや、ホントに何を考えてるの、ボクは。



 ──すたっ。

 階段を一段ずつ飛ばしながら駆け降りて、床を踏みしめた。

 彼の気配が近い。きっと、この階だ!


 このフロアは地中にあるのか、窓が一つもなく薄暗い回廊だ。

 レンガ作りの壁はひんやりとして、小さなランプが申し訳程度の明かりを灯している。

 お化け屋敷のような陰鬱いんうつな雰囲気の廊下を曲がって、足音を立てないように、急いで駆け抜ける──。



「──どこへ行くのかな、魔人のお嬢さんよ?」


「うっ!?」


 目の前に、たっぷりとした白ヒゲをたくわえた老魔術師がぬらりと現れた。

 ボクに”かせ”を付けた張本人、ヘイムダールさんだ!


「まったく、衛兵は何をやっているのか……」


 彼は杖を振り上げ、こちらを見据えながら魔素マナを練ろうとしている。

 もしや、更に縛りを追加するつもりじゃ──。


 ──キュゥン……!


「あっ」

「……ふおっ!!?」


 身構えた老魔術師と、視線が正面からぶつかった。

 夢魔サキュバスの瞳が放つ紅い光が、彼の目にも宿る。


 えっ、まさか……彼にも効いてしまうの? ボクの”催眠の瞳”の力が──!?


 ──カラン、カラン……。


 乾いた音が廊下に響く。

 彼の腕から取り落とされた杖が、ころころと床を転がった。

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