第67話 おじいちゃん

 老魔術師のヘイムダールさん。

 アルカディア王国で最強の魔術師と云われているらしい。


 彼と対峙して、その評判に偽りがないことはすぐにわかった。

 闘技場コロッセオの舞台上で、ヘイムダールさんが臨戦態勢りんせんたいせいに入った時……。

 津波のように押し寄せる闘気の圧力だけで、吹き飛ばされるかと思った。

 あの時バル様が来てくれなければ、ボクは文字通りしっぽを巻いて降参していたかもしれない。


 しかし今、この場にバル様はいない。

 だけど──。


「おお、おお……! なんと、あわれなむすめなのだろうか……」


「はっ……はい?」


 彼の目に、ボクの瞳のとりこになった証拠でもある紅い光が宿った。

 ゆらゆらとこちらに歩いてくる……。

 ど、どうしよう。彼が何をしようとするのか全く予想がつかない。

 逃げればいいのか、横をすり抜けてバル様の所を目指せばいいのか──。


「お、おおふ……わしは──わしは悲しゅうてたまらない……こんな年端としはもいかぬむすめが、おお……おおおいおいおい……」


 ヘイムダールさんはガクリと膝をつくと、さめざめと泣き始めた。

 床にぽたぽた、ぽたと水滴が垂れて、垂れて……水たまりを作らんばかりの泣きっぷりだ。


 その涙の量があまりにも異様だったので、つい近寄ってしまった。


「あ、あの……大丈夫ですか──うわッ」


 彼が、すがりつくようにボクのドレスのすそを掴んだ。


「ほおッ! やはり……かように優しきむすめではないかぁ……哀れ、哀れよの……きっとしき魔王に操られているのだな……? そうだな?」


「ちょ……っと! 放してください! ボクは操られてないですし──バル様は、悪い人じゃないです!」


「おお、可哀想に……。おまえは自覚していないのだ、何も知らずに協力させられているんだ。そうだ、そうに違いない……おおいおいおい……」


 涙がドレスにじわじわ染み込んでくる……ああっ、勘弁して欲しい。

 でも、あたかもバル様が悪事を働いていて、ボクがそれに加担しているような言われ方をされるのは心外だ。

 ヘイムダールさんが魔人に対してどんな見解を持っているのか、そして誤解があるならそれを解くチャンスかもしれない──。

 

「おじいさん、落ち着いてください。どこかに座って休んだほうがいいですよ」


「おじいちゃんと呼んでくれえ……」


「はい?」


「お、お、おじいちゃんって呼んで欲しいのじゃ……」


「えっ……ええとですね、おじいちゃん。バル様は何も、人間を──」


「おおおんッ!! なぜだ、なぜッ──我が子よ、我が孫よおッ!」


「ひえっ!? 大声出さないで! うう、仕方ない……!」


 ──ガチャ、ドタン!

 いちばん近くにあった扉を開いて、ヘイムダールさんを押し込むようにして転がり込んだ。

 

 ……よかった、誰もいない部屋だ。

 明かりもついていない、ただの薄暗い倉庫部屋のようだ。


 

「頼むから、戦場になど行かんでくれぇ……。わしが──魔物も魔人も、わしが全て退しりぞけるから。……だからおまえは、危険な所へ行ってはならぬ……」


 彼はまだ錯乱さくらんしているらしく、何かうわごとをつぶやいている。

 どうやら、ボクの事を自分の子供かなにかと勘違いしている……?


「どうして、退しりぞける必要があるんですか。仲良くすることはできないんですか……?」


「そんなこと、危険だからに決まっておるだろう……! 彼奴きゃつらがほんのたわむれで腕を振るうだけで、わしらは同然に散らせれてしまう──」


「……おじいちゃん。これだけは言わせてください。バル様は──昔の事は知りませんけど、今はとても優しいお方だし……人間さん達との争いなんか、本当は望んでないですよ。お互いが武器を降ろせば、危険なんて何もないはずです」


「……だが、むすめよ。わしは過去が憎いのだ。あの時、かせで縛ってでも、我が子……行かせてはならなかった……。おおッ……」


 ヘイムダールさんの涙は、まだぽろぽろと溢れて止まらない。

 腕は相変わらずドレスをかたく掴んで、離してくれない。


 この手を振り払い、ドアを閉めて逃げることもできるはずだけど、そうするのも忍びないし……。

 あんなに底知れない強さを感じた老魔術師が、ボクにしおしおと力なく泣きついている──この状況に思考が追いついてこない。

 

「……あの。ボクの尊敬してる人が言ってたんですけど。つらい時は、立ち止まっても、振り返っても、いいと思います」


「おおいおいおい……」


「でも……いつかは、前を向かないといけないんです。それに、踏み出してみたら意外と楽しくなってきたり、しますし……。ああ、ボクは。何言ってるんだろ──」


「おお──そのようなこと、あるものか……! わしは、わしの愛する全てを失って……ヒック……ウウ……」


「これからのことも、考えましょうよ。ノージェさんは、あんなに三角大陸トライネントの未来のことを考えてたじゃないですか」


「未来などいらぬ。我が子のいなくなった未来など……見ないほうがマシだ。いくら見上げても、見渡しても、暗闇しか広がっていない……」


「そんなこと、言わないでください……。悲しいことがあっても、前に進もうとしてる人だっているじゃないですか」


「いや──いやじゃ……過去に置いていかれたわしはどうなる? わしの時計はいまだ、止まったままだ……」


 ──彼を見つめる度に、心の中に悲しみが流れ込んでくる。

 うう、感情が引きずり込まれて……ボクまで涙が出てきそうだ。


 いまのボクじゃ、彼の心を受け止めきれないかもしれない。

 バル様がヘイムダールさんや人間たちの瞳を覗こうとしたがらないのは、こういうこと……?


 このままじゃだめだ、うまく気持ちを切り離さないと。

 そうだ、”瞳の力”は訓練すれば制御が効くようになるってリリニアさんも言ってたはず。



 どうすればいいかはよくわからないけど、自分の瞳に意識を集中してみる……。


 ──キュゥン……。


『……おじいちゃん、くのはやめて。かなしみも、にくしみも、いつかけてなくなるるから。ホラ、もうやすんで。ちからけて、だんだんねむくなってくる──』


「ふおッ──? ふ……ンン──グウ……」


 ──どさっ。

 ボクのドレスの裾を握りしめていたヘイムダールさんの拳はするりとひらいて、彼の身体は床に崩れ落ちた。


 ……スウ、スウと寝息を立てて、眠りはじめたみたいだ。

 思いのほか、うまくいった……!


 さっき衛兵さんを悩殺のうさつして──いや悩殺なのかな、あれは。泡を吹かせたのに比べれば、だいぶ手際が良かった。

 より夢魔サキュバスらしかったというか……。

 うう、ボクはこの能力チカラを使いこなせるようになっちゃっていいのかな。



 ──あっ、しまった!

 ヘイムダールさんに、ボクの腕を縛っている”かせ”を外してくれるように頼んでみたらよかった。


 だけど……過去あった事の後悔から、彼がかせの魔法を身につけたのだとしたら。

 この場を離れると言ったら余計にかせを増やされてしまったかもしれないし、終わったことは仕方がない。

 ひとまず、危機は乗り越えた。バル様の所に行かないと。



 それにしても……。

 瞳の力だけで、あんなに強い人をコロッと手玉に取れてしまうなんて。

 夢魔サキュバス能力チカラって、すごいなぁ……。


 いや──だめだめ。これは、悪用してはいけない能力チカラだ。



 * * * * * * *



 ……やっと辿り着いた。

 窓の無い、薄暗いレンガ造りの廊下の突き当たり。


 バル様の気配がするのは……この部屋だ!


 部屋の入り口に兵士は居ない。

 ヘイムダールさんを寝かせた部屋からそう遠くないし、彼の管轄かんかつだったのかもしれない。


 ……扉にそっと耳を押し当てる。中から物音は……。

 

 かすかに聞こえたのは、ゴツゴツと床を叩く音と、うめき声。

 彼の声だ。……苦しんでいる──!?

 


「バル様……っ!」


 扉に鍵はかかっていなかった。


 部屋に駆け込むと、そこはボクが閉じ込められた部屋と同じように家具と寝台が備え付けられた客間だった。

 窓は無く、照明のか細い光が室内を頼りなく照らしている。


 そして──寝台の横に、床に突っ伏してのたうちまわる影がひとつ。

 ギリギリと苦しそうに歯を食いしばる、彼の姿だ。



「──グッ……ウウッ……マ……コ……?」


「バル、様……? どうしたんです? 顔色がよくないです……!」


 息も絶え絶えで、顔中から汗がにじんでいる。

 両腕が、氷の手錠で再びガッチリと固められている。ノージェさんと会った時は、外されていたのに……!


「ハァ──みっともない所を見せてしまったなァ、マコ……。どうやって、ここへ来た……? 見張りは……どうした──くッ……!」


 彼がこんなに苦しそうにしている姿を見たのは、初めてだ……!

 いつも頼りになるバル様とあまりにかけ離れた姿に、ボクまで混乱してきた。


 どこかで彼のことを、何があっても揺るがない最強の魔王だと思っていたけど……それはきっと、ボクに弱い部分を見せようとしていなかっただけなんだ。


「大丈夫です。ヘイムダールさんなら、さっき眠ってもらったところで──」


「なんだと──グッ……ガアッ……!!」


「!?」


 ──ギシッ、ビキッ……。


 彼の首のあたりから、何かがきしむ音が聞こえた。

 首……。そう、バル様は首輪をしている。

 金属のような宝石のような不思議な輝きを放つ、黒い首輪だ。


 ボクは彼の首元を覗き込んで、目撃した。

 その黒い首輪に、かすかにヒビが走る瞬間を──。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る