第65話 ぺろぺろ

 祭壇の起動について、すぐにハイと返事をするわけにはいかない、というのがボクとバル様のひとまずの方針となった。


 途中から彼の話にうまく集中できなかったけど……。

 自分がいまどんな表情をしているのか考えると、気が気じゃなかったから。



 それからボクたちは、それぞれ別の部屋へ移された。

 どうやらここはかなり大きな屋敷らしく、城と言っても差し支えないくらい部屋がたくさんあるみたいだ。


 ノージェさんは大会のほとぼりが冷めるまで、ボクとバル様を屋敷内にかくまいたいらしい。


 ボクが案内されたのは、ドレスに着替えさせられた時の客間。

 入り口には外側から鍵がかかっていて、廊下に出ることはかなわない。

 これは……いわゆる軟禁なんきん状態というやつだ。



 ──ドン、ドン。

「すみません、お外に出たいのですけど……」


「……悪いですが、お客人。殿下でんかより外出の許可は頂いていませんのでね」


 入り口のドアを叩くと、室外からくぐもった男性の声が返ってきた。衛兵えいへいさんだろうか。

 ノージェさんは今のところ表面上は友好的だけど、しばらくボクを帰す気はないように見える。

 ということは……そのうち態度を変えてくる可能性だってないとは言えない。


 結局のところ、この状況では拒否権きょひけんはないのでは──?

 この屋敷から身動きが取れないのも、好ましくない。


 ……可能なら、隙を見て脱走することも考えるべきかもしれない。

 バル様が、ノージェさんのことを"嘘が服を着て歩いている"と評したことが、今になって引っかかる。



 この部屋は小高い場所にあるためか、窓から見える地面ははるか下。

 もしもここから飛び降りたなら、命の保証はないだろう。

 

 両腕に付けられたかせによって魔素マナを練ることもできないし……。

 背中からもう一度つばさを生やせないかといきんで・・・・みたけど、何も出てこない。



 ──窓の外が暗くなって、星が見えてきた。

 いつのまにか雲は晴れて、月明かりが城下町の屋根に反射してきれいな景色だ。

 どこからか、ミナミもこの星空を見てるだろうか……。



「はぁ、閉じ込められちゃった……」


 

 なにもすることがなく、気をまぎらわすため、なんとなしに鏡の前に立った。

 黒いゴシックドレスに身を包んだ少女が、反転した世界の中で悩ましげな顔でポーズを取る。

 

 ……こういう動きは、カワイイかな。

 この角度からだと、どう見えるかな。


 鏡の中の少女は、もう喋らない。

 いつしか、”あの声”は聞こえなくなった。

 

 自分の中の”本能”を自称する少女の声が聞こえてきていた時の方が、まだマシだったように思う。

 いつのまにか”理性”と”本能”は混ざり合って、どちらも”ボク”になってしまったみたいだ。


 ツノが伸びてから、自分の感情が抑えにくくなっていることも気になる。

 リリニアさんに、もっと夢魔サキュバスの事について聞いておけばよかった……。



 ──コン、コン。


 ……?

 かすかに、どこかから叩くような乾いた音が聞こえた。


 ノックの音だ。

 廊下側じゃない。窓の方向から──?

 

 いや、そんなはずはない。

 窓の外は何のとっかかりもない垂直すいちょくの壁だった。

 ビルのように長い梯子はしごでもないと、ここまで登ってこれないはずだ。


 ──コン、コン、コン。


 また、同じ音がする。

 そろりそろりと、音のするほうへ足を運ぶ。

 やっぱり、外からの音だ……。



 ──誰かが空中に浮遊して、窓をノックしている。

 窓のすぐ外に、あざやかな葉のような緑色が揺れているのが見えた。


 おばけ──!?

 ではなかった。よく見ると……それは、少女の髪の毛だった。



「マコさーん、やっとこっち向いてくれたー。あたいだよ、あたい。風精シルフのソニアだよー」


「──ソニアさん!?」


 意外な場所から意外な人物が現れて、思わず大きな声をあげてしまった。

 ……部屋の外で待機している衛兵さんには、幸い気付かれなかったみたいだ。


 ──カチャ、キィ……。


 窓を開けると、草色の髪とはねを揺らしながら、風精シルフの女の子がふわふわと入ってきた。

 本当は彼女はボクよりも二倍以上歳が上だけど……。見た目だけなら、ボクよりも小さく見える。


「マコさん、お久しぶりー。びっくりしたでしょ。あたいってば、空飛べるんだよー。いやー、すごい便利よねー」


「お、お久しぶりです……」


 ソニアさんと会うのは、バル様の”往診おうしん”に付き添って以来だ。

 あの時は彼女に散々しっぽを引っ張られたんだった……。思い出すと、背中がムズムズする。

 けど、いまボクは黒いゴシックドレスに身を包んでいるし、しっぽは服の中だ。大丈夫、大丈夫。


「会えてよかったー、探したんだよー。たぶんこの建物だろうって言われてさー。いやー、すごいドンピシャー」


「えっと? ボクに会いにきたんですか……?」


「そうさー。見つからないように、暗くなってから来たんだー。んでコレ、届け物ー。トモダチに頼まれてねー」


 ソニアさんはチャリチャリと音がする小袋を取り出して、ボクの手に乗せた。


 中に入っていたのは……ルビー色の破片。

 これは──魔素合戦マナゲームの大会で粉々こなごなになってしまった、”封魔ふうまの髪留め”だ!


「わっ。ありがとうございます! ソニアさん、これをどこで? それに、お友達って……?」


「アイゼンって言うんだー。マコさんは好敵手ライバルなんだってってたけど、そーなの?」


「アイゼンさん!? 確かに知り合いですけど……。ソニアさんのお友達だったんですね」


「そだよー。あ、それとねー。アイゼンから伝言も頼まれてるんだったー!」


「伝言ですか?」


「うんー。えっとね……。あ、なんだっけー?」


「えっ」


「あー。ごめん。マコさんに会うのが楽しみで忘れちゃったんだけど、たしか……めっちゃゴメンみたいなことってたよー」


「そ、そうですか……?」


 この髪飾りが壊れてしまったのは、対戦中にアイゼンの魔法が命中したのが原因だろうけど……きっと彼は故意にやったわけではないはずだ。


 試合中、アイゼンとの会話の中で……彼には悪いことをしてしまった。

 人間と魔人の違いをわかっていなかったのは、ボクのほうだった。


 だけど、王国では魔人がこんなに忌避きひされていたなんて。

 どうして彼は、それでも”魔人”になりたいのだろうか……。



「それよりさー、マコさんっ! あたい、またマコさんをまた味わいたいんだ……」


「……へっ? ──ええ!? 変な言い方、しないでくださいよ!」


「マコさんの魔素マナ、最高においしかったんだよおー。あたい、もう。あれ以来、忘れられなくて……お願いよぉー、お金払うからさぁー」


 ソニアさんが、じりじりとにじり寄ってくる……。

 獲物を前にして、おなかを空かせた獣の目だ!


「そっ、そういう問題じゃないです! あとで知ったんですけど、あんまり魔素マナを分け与えるのってよくないみたいで──うあっ!」


 ──がっ、ばさぁ。

 後ずさりした拍子にベッドに足を引っ掛けて、背中から倒れこんでしまった。

 隙を突くように、ソニアさんが服の下からもぐり込んできて──!

 

「いいじゃんよー。減るもんじゃなしー。けけけ、しっぽはどこかなー」


「ぎゃーっ! いやです! 減ります!」


 もぞもぞと服の内側で、別の生き物が肌の上を這っている。

 うあっ、変な声がでそうになる──。

 ……だめだ。外の衛兵さんに気づかれてしまう。絶対に声はあげないぞ。


「あっ。あったあったー。いただきまーす」


 しかし、しっぽの先端にしっとりと水気を含んだ舌が触れてくる感触がして──。

 なっ、められている──しっぽを!


 ああっ、だめ!

 以前ソニアさんに魔素マナを分けた時よりも、ボクのしっぽは……いろいろあって、更に敏感になっていて──!


「ひっ!? やっ、んっ……あーーっ!!」



 ──バタンッ!

 入り口の扉が開いて、男の衛兵さんが入ってきた。


「なんだっ! いきなり大声だして……何事なにごとだっ!?」


「わひゃっ!? ちがうんです! けっしてそのような事はしてないです!」


 とっさに振り向くと、衛兵さんと正面から目が合った。


 ──キュゥン……。


「……おっ……おお──」

 

 すると彼は見えない壁にはばまれ、スイッチが切れたみたいに動きが止まった。

 目はうつろになり、魂が抜けたようにぽかんと口を開けている。


「あっ……れ? どうしました……?」



 短い沈黙のあと、彼は別人のように情熱的な声をあげた。


「──ああ! 美しい!」


「え!?」


「なんと愛くるしい姫君だ……。私を、貴女あなたのしもべにしてくれェ! なんでもしますからぁ……」

 そう言うと急にひざまずいて、命令を待つ犬のように物欲しげな眼差まなざしをむけてきた。


「えっ。ちょっと……あの? 大丈夫です?」


「この胸の高鳴り……! もはや大丈夫とは言えない。そうとも、私はもう貴女あなたとりこになってしまったのだ! ああッ、もっと見てくれェ──」


 衛兵さんは、今度は取り憑かれたように床を転がりはじめた。

 常軌じょうきいっしている……明らかに様子がおかしい。



 ──ボクの服の中から、もぞもぞとソニアさんが顔を出した。


「マコさんー。味付け変えた? なんか、前と味が違うよー。レシピ変えちゃだめだよー」


「……味付けてませんから! ボク、いまかせをつけられちゃってて、うまく魔素マナれないんです。それで何か違うのかも……」


「そっ、そんなあー! 楽しみにしてたのに……楽しみにしてたのにー!」


「それより、衛兵さんが部屋に入って来ちゃったんですけど、様子がおかしくて──あっ」


 ……そうだ!

 ボクはいま、”封魔ふうまの髪留め”を付けていない。

 いつか、リリニアさんがこう言っていた。


『アタシたちの瞳には、"魔素マナとは違うたぐいの魔力"がある。この力は夜間ほど大きくなる。うまく制御できないうちは、苦労するよな』


 ヘイムダールさんにつけられた"かせ"は魔素マナを封じるだけで、夢魔サキュバス能力チカラを抑える効果はないらしい。

 そして、今は夜だ。

 いつもとは逆に、髪留めで封じられていた"催眠の瞳"のほうが発動はつどうしているんだ──!

 


「マコさん? どーしたー?」


 ソニアさんはきょとんとして、変わった様子はない。

 彼女にはボクの瞳の魔力は効いていないようだ。


「……いえ。わかりました、ソニアさん。ボクは今から、ここを脱走することにします。この能力チカラを使って……!」

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