第48話 衝動

「あの人は、人です……」


「マコちゃん、どうしたの。すごい顔してるわよ~」


「……どうして、結婚してくれとか……言ったんでしょうか」


 ロゼッタさんは、持っていた本にしおりを挟んでパタンと閉じた。


「……お話、聞くわよ? さ、座って」


 ──午後。

 初回のフウメイさん講座を終えたボクは、旅館へ帰ってきた。

 客室に戻ると、ロゼッタさんが一人でくつろいでいた。



「バル様はボクに……結婚してくれって言ってました、よね……ボクが魔王城で、目を覚ました日に」


「ええ。確かにそうおっしゃっていたわ」


「ボク、最初は……ぜんぜんそんな気はなかったんです。いくらなんでも初対面で結婚を迫るような人は、おかしいって思ってました」


「そうよね~。それが普通だと思うわ」


「……カワイイなんて連呼するのも、ちょっと引いてました」


「ふふふ。マコちゃんは、可愛いわよ~?」


「うう、それは──仮に、そうだとしてもですよ。あの人はそれだけで判断して、ボクに言ったわけじゃないですか……。結婚してくれって……」


「ん~。きっと、そうでもないと思うわよ」

「──へっ?」


「陛下はね。リリニアさんから教わった術と言っていたかしら。瞳を見れば、その人がどんな人格なのか。魂に触れれば、どんな波長を持っているのか。そういうことが、わかる……と仰っていたわ。私には、何が見えるのか想像もつかないのだけどね~」


「そ、それじゃ……バル様は、ボクの……えっ……? 転生する前に、内側まで覗いてたってことです?」


「ごめんなさい、私にはそこまで詳しいことは聞いてないの。だけどね、マコちゃん。陛下は思ってもないことは口にできないお方だし……。あなたがどんな答えを出しても、尊重してくれると思うわ」


「ボクの、答え……。んん……あぁっ……うう~ん……」

 

 ……いちばんのは──ボクだ。


 彼に対して、付かず離れず……のらりくらりと。

 自分の心と身体の剥離はくりに答えを出せないからって、どんどん先送りにして。


 彼は、いまもボクの返事を待っているんだろうか──?

 返事を催促さいそくしないように、なんでもないように接していたのかな。



「……私の考えだけどね。陛下は……多くの人間の瞳を覗いてきて、あまり良い思いはしなかったようなの。その中で……マコちゃんの瞳は、ひときわ輝いて見えたんじゃないかしら。それこそ、特別に」


「特別、ですか」


「ええ。あの時の陛下は、雷に打たれたようだったもの。あれからはだいぶ、気持ちを抑えているように見えるわねぇ~」


「抑えるって……。やっぱり、そうなんですか。何か考えがあってのことかもしれないってことです?」


「そうねぇ。それに、首……あっ」


「……くび?」


「いいえ!? あっ、ごめんなさい。私はそろそろ午後の露天風呂といこうかしら~。ふ、ふふふ」


 ロゼッタさんは不自然に話を切り上げると、そそくさと部屋を出ていった。


 くび……。くび? なんだろう。

 

 ……首輪?



 * * * * * * *


 

 そういえば。

 リリニアさんも、操魂術の心得があれば、目を見るだけで気持ちがわかるって言ってたっけ。


 ボクの瞳は、危険だ。

 ”封魔ふうまの髪留め”で魔力が溢れないようにしておかないと、時に自分の意思に反して相手に誘惑の魔法をかけてしまうことがある。

 だけど……幸か不幸か、彼にはそれが効かないらしい。


 では、”気持ちがわかる”という効果はどうなんだろう。

 操魂術についてはよく知らないけど、瞳からなんとなく心の奥がちらりと見えたような──そういう体験は、確かにある。


 ああ──こんな事を試したくなってしまうなんて。

 ……ボクは悪い子だ。悪い夢魔サキュバスだ。


 いいや。

 効かないなら効かないで、構わない。何も起こらないなら、それでいい。

 ちょいと魔法についての相談かなにかさせて貰って……、部屋にとんぼ返りしたらいい。



 自分の意思か、ホンノウか。

 足が、ひとりでに彼の部屋を目指す。


 ──パチン。

 手の中で、髪を留めていたヘアピンが外れる音がした。





「バル様。……いますか?」


 ふすまの向こうからは、物音がしない。


 わずかに空いた隙間から、部屋の中を覗く。

 ……本当に、悪い事をしている気分になってきた。



 縦に細長い視界の隅に、彼が着ている服のすそが見える。


「……バル様〜?」


 ああ──はやる呼吸を、必死に抑える。

 なにをやってるんだろうボクは……こんな、こそこそと……もう! 何で返事をしないんだ?



 ──しゅらっ!


 半ば投げやりに、ふすまを開いた。


 ……部屋の中には、誰もいない。

 視界にとらえていた服のすそは、無造作に脱がれて床に散らかっているだけのだった。



「はぁ……。あーあ」


 ボクは、心のどこかで安堵した。

 悪しき夢魔サキュバスの衝動的な凶行きょうこうが、未遂に終わったからだ。


 大方おおかた、彼は旅館内の露天風呂にでも行ったのだろう。

 明るいうちから長風呂に浸ることこそ、宿泊中の醍醐味だいごみのひとつだ。……相部屋の三人も、いまは入浴中らしいし。

 


 ──脳内に、バル様が裸になった映像が流れてきた。

 

 ……ボクは顔をおおって、静かに床を転がった。

 ああっ! なんで、こんな……! 男の人の裸なんて、昔は見てもなんでもなかったハズなのに。


 彼は……入浴中も"首輪"をつけたままなんだろうか。

 不思議な黒い輝きを放つ、彼が常に肌身離さず身に着けている、首輪。



 なんとなしに、床に脱ぎ捨ててあった彼の肌着をめくった。

 

 ……首輪の、くの字も落ちていない。


 しかし、妙に好奇心をき立てられた。


 

 この、がらんとした部屋にいるのは、ボク一人だけだ。

 隅に積まれた布団は押しやられるように畳まれており、上に荷物が投げっぱなしになっている。


 さすがに勝手にひとのカバンをあさってまで”首輪”を探す気は無いし──直感的に、やはり彼はずっとそれをつけっぱなしなのだろうと思う。

 かぶれたり、しないのかな……においとか……いつ洗ってるんだろう、などと下世話げせわな想像が頭をよぎった。


 

 そう、におい……。彼のそばで、においをいだら……なんだか安心する時があったっけ。

 

 ──すぅ……くん、くん。



 どうしてボクは……彼の肌着を鼻に密着させて、においを嗅いでいるのか──。

 頭で考えるよりに先に、腕が勝手に動いていた。



 これはぜったいに、いけないことである。


 やはりボクは、へんたいなのでは……?



 頭の中で、またあの声がした。


『──もし、彼がここに居たらどうするつもりだったの? どうなると思ってたの? 密室に、二人きりで。ホントウは、何かを期待してたんじゃない?』


 ボクの中にいる、夢魔サキュバスの少女の声。



「はっ──はぁ……ふぅ……そんな、こと……」


 理性が拒否きょひして、本能が肯定こうていする。



 そう思うなら今すぐやめればいいものを……あふれるこれは、なんなのだろう。

 しっぽが腰をでるように、すりすりと登ってくる──。



 ──リリニアさんいわく。

 ”封魔ふうまの髪留め”には、“夢魔サキュバスの魔力”が外側にあふれないようにする効果がある。

 

 それじゃあ……あふれないようにフタをされた魔力は、どうなる──? ボクの内側で……。



『でも、よかったわね。いまなら、誰もみていないわ。さあ──ゆだねて。本能のままに。フフフ──』


 ──やだ……このままじゃ後戻り、できなく……なっちゃう。


 ボク、ヘアピンを……どこに仕舞ったの?


 ごそごそと、服の中をまさぐる。



 あぁ──あった!


 これを使って、ここを……ちがう!


 髪をめるんだ。髪を──!

 


 

 ──パチン。




 ……スッと、ボクは何事もなかったフリをして立ち上がった。


 ここは、いけない。

 この場所は……迷宮だ。魔境だ。危険なトラップでいっぱいだ。


 冗談じゃない!

 ほんとうに危ないところだった……。


 口から垂れていたよだれを、ていねいにぬぐう。

 ほんとうにあやうかった。ここに来るにはまだ早かった。レベルを上げなければ。いや、レベルとは。



 彼の肌着を、なるべーく元あった通りの無造作感を演出して……ていねいに元の位置に戻した。



 それからどうやって部屋まで戻ったか覚えていないけど──とにかく、誰にも見つからずに済んだ。




 ……再び、がらんとした広い客室。

 相部屋の三人は、まだ帰ってきていない。


 自分の布団に倒れこみ、毛布で視界をおおう。



『──どうして? どうして”ワタシ”を解放しないの? 何を迷う必要があるの?』


「うう……っ! うるさい……! ひとの気も知らないで」

 

『ひとの気? おかしいことを言うわね。”ワタシ”は”アナタ”なのに──』



 ──ピシッ……。

 自分の中で何かが音を立てて、ひび割れが更に広がっていく。


 このを──もう無視することはできない。


「こんなの……じゃんか……」


『遠慮する必要なんてないのに。アナタの身体なんだから。好きなだけ触ればいいし、好きなだけ楽しんだらいいのよ』



「……の──身体?」


『フフッ、そうよ』


 

 ……いつかは、戻るつもりだった。


 それまで、この身体は借り物の”うつわ”でしかなくて。

 勝手にいじったり、調べたり、むやみに触ったりしてはいけないものだと思っていた。


「でも……」



『やっと気がついた? 自分の中の”欲望”に』



 認めたくなかった。


 ボクは既に、転がり落ち始めていて。

 後戻りなんか、とうの昔にできなくなっていたんだ。



 ──布団の中の暗闇には、”ボク”しかいない。



「『……あっ』」


 身体に、指をわせる。


 知らなかった。

 自分の肌が、こんなに柔らかかったなんて。


 知ってしまった。

 自分の身体が、どうしようもなく女だということを。


 そして、床と天井がひっくり返って──ぜんぶ溶けて、ちていった。





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