第7話 ボクと湯けむり

 ボクが食事を終えたころ、食堂にロゼッタさんがやってきた。


陛下へいか、マコちゃん。図書室としょしつ修復しゅうふくが終わりましたよ~」


「さっすが、早いなァ! そうかそうか、ご苦労だった」


「ふふふ~、もったいないお言葉です」


 ……聞き間違いだろうか。図書室って……さっきあの大穴が開いた図書室?


「あの、ロゼッタさん。ボクが開けちゃった穴、もう直ったんですか!?」


「そうよ~。魔法を使って、ちょちょいっとね~」

 ロゼッタさんは得意げに指をくるくると回した。


「よかったです、安心しました……ありがとうございます」


「ふふ、どういたしまして。マコちゃんの為なら、お安い御用よ~」


 小躍りする彼女に対して、バル様は片眉をあげて不思議そうな顔だ。

「なんだ、オマエら。俺の見ないうちにずいぶんと仲良くなったようだなァ……?」


 どこかうらやんでいるような言い方に聞こえたのは、ボクの気のせいだろうか。


「そうなんですよ陛下~。ね、マコちゃん♪」


 ずしりと、横からロゼッタさんのやわらかいハグが飛んできた。

 あっ。この感触かんしょくは──だめだ、何も考えちゃ。無心で返事しなきゃ。


「エッ、ハイ。オ、おかげ、さまで……」


「……まァ、そうだな。女同士のほうが気が楽だよなァ……。ロゼッタ、俺の細かい補佐はいい。しばらくマコについてやれ」


「あら~。それは良いお考えです! かしこまりました~」


 ロゼッタさんはニコニコしながらボクの腰を抱き込んだ。

 あ、あの──とても、近いんですけど?

 けど、ここでドギマギしてたら変だろうし……。


「よ、よろしくおねがいします。ろぜったさん……」


「ふふっ! こちらこそ~♪」


 ……慣れないといけないんだろうか。

 女の人って、こんなにスキンシップするものなの?

 いや、きっと彼女がちょっと変なんだ。ボクが女の子だと思って遠慮してないだけで。そうに違いない。



「──んん、良ォし。俺はもうひと仕事するかなァ」


 バル様はぐぐっと背伸びをして、席を立った。


「お疲れ様です、陛下~。あ、そうそう。エー……っと。錬成れんせい資材しざいの補充は必要でしょうか?」


「まだ必要ない。……祭壇さいだんに変わった動きはないか?」


「今日も特にしらせは受けていませんね~」


結構けっこうだ、ではな。マコ、何か困ったことがあれば俺かロゼッタに知らせるんだぞ。……とくにッ! 俺をたよれッ!」


「あっ、ええと。……はい」


 よくわからなかったけど、ロゼッタさんと交わしたのは何やら事務的な会話だったみたいだ。

 彼はボクに向かって決めポーズをしてから、すたすたと早歩きで食堂を出ていった。


 ……困ったことかぁ。

 今のところ、初対面で求婚を受けたことと、性別が前と違うことで困ってるんですけど……。



「さて、マコちゃん。おなかいっぱいになったかしら? 良いところに連れてってあげるわ~」


「良いところ……ですか?」


「ええ、きっと気にいるわよ~。魔王城のなかでも、とびきりこだわりのある施設だもの」



 * * * * * * *


 廊下の窓の外は暗くなり、すっかり夜になったみたいだ。

 ガラスごしに燃える地面の紅い光が、暗闇を幻想的に照らしている。


 目的地は階段を三つ降りた先だった。


 平行に並んだ二つの引き戸のうち、片方をロゼッタさんが押し開ける。

 コロコロと滑車かっしゃの音がして、木製の戸が横へすべっていった。


 入り口の赤い暖簾のれんをくぐって中へ入ると、木のたなとカゴが並んだ通気性つうきせいのよさそうな部屋があった。


 空っぽのカゴに、タオルがたくさん入ったカゴ。

 壁にはよく磨かれた鏡と石でできた洗面台せんめんだいがいくつも取り付けられている。


 まさか。まさか、ここって──。


「さ、服を脱いで~。マコちゃん」


「あ──あの、あの? このへやわいったい……」


「ふふ、驚いた? ここは火山だから温泉がいてるのよ~。美肌効果があって、魔力欠乏まりょくけつぼうにも効能があるわ~♪」


 ……それは結構なことだと思います。

 でもボク、小さい頃に親に連れられて入ったことを除けば、女の人と一緒にお風呂に入ったことなんて一回もないんですけど?


「あら、どうしたの?」


「ひぇっ、へええ、あ……素敵な内装ですねえぇ~?」


 ボクは思考停止して、脱衣所だついじょの壁を入念に観察するふりをした。

 どうにか、逃れる方法はないのだろうか──!


「ふふ、マコちゃんは壁フェチなのかしら? ……んしょ。先に行ってるわね。そのあたりのカゴは好きに使っていいわよ~」


「──っっ!!?」



 振り返るとロゼッタさんは既にはだかになっていた。髪を頭の後ろで結んでまとめている。


 大きなお尻がすたすたと歩いて、湯気で曇ったガラス戸の向こうへ消えていった。

 牛のようなしっぽがぷらぷらしてのも見えた。尻尾、あったんだ……。


 ──いや! ボクは! 何をみてるんだ!


 女の人のはだかを見てしまった。なんてことを。全裸ぜんらだった。

 いや、ボクはここに立っていただけ……いやいや。いや?


 ロゼッタさんのゆたかな胸の膨らみが揺れているのは、後ろ姿でもわかった。

 もうそこに彼女はいないけど、ボクの目には焼きついてしまった。


 やらしい状況ではなく、ごく普通に自然に女性の裸を目の当たりにしてしまうなんて。

 それは、今のボクがぞくする性別がどちらなのかを生々しく物語ものがたっているようで……。



 ──ボクはしばらく、その場に立ち尽くした。

 

 お風呂はたぶん、二つある。

 この部屋に入る前にもう一つ扉があったけど、きっとあちらが男湯だ。


 しかし……今のボクは女の子だ。少なくとも、身体は。


 まだ服は脱いでいない。

 いまからロゼッタさんを追ってこの奥に進むのと、きびすを返して男湯に入りに行くのと、どっちがまずいだろうか。


 ……きっと、後者のほうが相当まずいだろう。

 このお城は人が少ないとはいえ、他に誰がいるかもまだよくわかっていないし。


 うう──ボクにとっては、どっちもまずいのだけど。


 そもそも、女湯なんて。

 本来なら生涯しょうがい立ち入るはずのない場所だ。経済大国の大統領でも、世界のあらゆる場所をまたにかける旅人でも、男だったら絶対に入らない。


 それなのに、いまボクはここにいる。


 まさに、魔王城に単身乗り込まなければならない、かわいそうな勇者のような気分だ……。

 ただしレベルは1だ。

 


 それでも……これから先ずっと……一生いっしょう、お風呂に入らないわけにもいかない。そんなのはゴメンだ。


 うん……。仕方、ない。

 入るしかない。

 女湯に。



 ……ボクは深呼吸し、自分が着ている服に手をかけた。


 靴下を脱ぎ、ショートパンツを脱ぎ、ローブをまくりあげた。ここまでは問題ない。


 ……時間をかけて、ショーツとブラだけになった。ボクのお尻から生えたしっぽがせわしなく動いている……。


 誰も見てないはずなのに、落ち着かない。

 ボクが両手を動かすことで、一人の女の子が一歩一歩、確実に、裸になっていく。

 これは、はんざいなのでは?


 いや、仕方ないんだ。やむをえない。服を着たままお風呂には入ってはいけないきまりだ。

 ううん、どちらにせよいけないのでは。逃げ場などない。


 ──次はブラを外さなければならない。背中側のホックで留まっているみたいだ。

 けど、背中に手をまわしてもどうなっているのかよくわからない……。つける時はロゼッタさんがつけてくれたから。


 腕側から肩紐をぐいっと持ち上げ、無理やりブラを外した。

 胸があらわになり、敏感な肌が外気がいきれる。


 そして、最後の一枚、ショーツを脱い、で……。


 ──ぞくっ。

「んうッ!?」


 ……変な、声が……出た。


 しっぽの付け根に布がこすれて、かつてない感覚が背筋を走って──自分の口を手でパッと押さえると、ショーツがぱさりと床に落ちた。


 …………。


 まわりに人の気配はない。


 ボクはいま起こったことを無理やり頭から締め出し、脱いだ服を全てカゴに突っ込んだ。



 * * * * * * *



 ──カラララ……。ガラス戸の下で小さな車輪が転がる、乾いた音。

 もうもうと湯気が立ちこめる大浴場だいよくじょうがそこにあった。

 奥行きはかなりありそうで、白いきりで向こう側の壁まで見通せない。


 つるつると湿ったタイルの上を、まるで泥棒のような気持ちで歩いた。

 やましいことなんてない、やましいことなんて……ボクはいま……うう、やっぱり帰りたい。


 幸いなことに、ロゼッタさんの姿は近くに見あたらない。


 入り口からすぐの場所には蛇口じゃぐち風呂ふろおけが並んでおり、日本の一般的な浴場とよく似た作りだ。

 この浴場を整備した職人さんは日本からやってきたに違いないとさえ思えるほどに。


 どうしてここまで似ているのだろうか。この城のルーツを聞いたら、その理由がわかるだろうか。

 あるいは、バルさまが所蔵していた漫画本の仕入れ先であるらしい”北の王国”に行けば、わかるだろうか。



 蛇口の前にある椅子に腰かけた。

 ここにも鏡がある。湯気で曇っているが、うっすらと裸の女の子が映っている。……ボクだ。


 石鹸を手に取り、無心で泡立てる。平常心で……泡立てる。

 手のひらに乗せた泡を左右の腕に這わせた。膝と、足にも──。そこで手が止まった。


 ……何も、問題はないはず。さわってしまっても──ボクの……身体なのだから。


 お腹から胸のほうへ、円を描くように泡で撫でた。

 っっ……。口を真一文字まいちもんじに結び、唇をぎゅっと丸める。

 湯気でまわりが暖かいのに、自分の顔はもっと熱くなっている──。ああ──だめだ──これは。



 ──バシャアア。


 ボクは、身体を洗うのを途中でやめた。

 蛇口からとったお湯をかけて、泡を洗い流す……。


 うん──そんなに汚れてないし、すみからすみまで洗わなくたっていいじゃないか。

 とりあえず湯船に、向かおう……。



 奥には、大きな露天風呂があった。

 まわりには植物が茂っていて、外からの目隠しになっている。

 空にはうっすらと星が見えるが、月は見当たらない。お城の壁に隠れているのかもしれない。



 ──ちゃぽん。

 つま先をお湯につけると、下からじんわりと暖かさが広がる。あ、いい湯加減……。


 湯船の奥にざぶざぶと進み、身体を沈めていく。

 水滴で冷えた身体がお湯に包まれていく……。


 ああ……心地いい……この大いなる温かさに、性差や国境なんて存在しない……!



「はぁーー……」


 ボクは長い息を吐いた。なんだか気の抜けた、高い声が出てしまった。


 湯船のふちに寄りかかり、天をあおぐ。

 温泉っていいなぁ。快適……。

 

 ボクの他に人の気配はなく、貸切みたいな状態だ。

 お湯に浸かって自分の身体を隠すと守られているような安心感があった。

 ここにきて、はじめてリラックスできた気がする。



 今日は……本当にいろいろなことがあった。


 目覚めたら違う身体になっていて、初めて会った魔王さまにカワイイカワイイと言われ。

 不安で涙が出たけど、ロゼッタさんは優しかった。

 それからどぎまぎしながら仕方なく女の子の服を着て……。

 

 そして、魔王さまが魔法を教えてくれた。あれは、ワクワクした……!

 ……その後が大変だったけど。



 ボクは両腕をあげて自分の頰をつねった。


 ──ぐいーっ。……じんじんする。

 これが夢だったとしても。いつまで経っても覚める気配はない。

 そろそろこれは紛れもない現実なのだと認めなければならないのだろうか。


 ううん。いまはひとまず、もうちょっとこの湯を堪能たんのうしよう……。



「きゃほーーっ!!」


 ──ざっぱーーん!


「っ!?」

 急に甲高かんだかい声と大きな水音が聞こえ、余波がこちらまで届いてきた。


 だっ、誰か来た!

 ロゼッタさんでないことはたしかだ。


 夢からめるなら、今しかないのに……!

 そう願っても、ボクが今つつまれているのは暖かい布団ではない。間違いなくただのお湯なのだった。

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