第8話 ボク、友達ができる

 ボクはおそるおそる視線を前方に戻した。

 お湯の中に小麦色こむぎいろの影がもぐって、水面にぶくぶくと泡が踊っている。


 ──ざばばっ!

「ぷっひゃーー! さいこーー!!」


 姿を現したのは、もふもふの毛を手足にうっすらまとった女の子だった。

 頭からはウサギのようなぴょこんと長い耳がえている……。


「あのう……」


「──んわっ! 誰だねキミわぁ!」

 彼女が大げさにると、ずぶ濡れの体毛からぼたぼたと水滴が落ちた。


「こ、こんばんは」


「こんばんはー!? はじめまして! だよねぇ!?」

 ざぶ、ざぶ、ざぶ……。

 長い耳をゆらゆらと揺らして、彼女は人懐ひとなつっこそうに近づいてきた。


 ひとまずあやしまれてはいないみたいだ。挨拶しないと。


「えと、初めまして。マコっていいます。今日ここに来たばっかり、です」


 初対面で座ったままでは失礼かなと、ボクは咄嗟とっさに腰をあげた。

 ひやりと上半身が外気がいきに触れる……あ、あ──緊張のあまり、裸ということを忘れて!

 

 ボクは仕方なく両腕を胴体に巻きつけて、大事な部分を隠した。


「おー、はじめましてー! あたしはコニー、よろしくねぇ! うれしいなー、あたしと同い年くらいだよねー!?」


 コニーと名乗った女の子はまくし立てながらボクの腕をとりあげて、ブンブンと握手あくしゅした──ああ、見えちゃう……!

 しかし、たしかに彼女は長い耳を除けばボクよりも少し高いくらいの背丈で、同年代どうねんだいに見える。


「え、えと……十六です」


 ボクは急いで湯の中に身体を沈めた。

 彼女はにこにこしながら、ざぱんと波を立てて隣に座ってきた。


「あちゃー、あたしのがふたつ下だった! でもほとんど一緒だね、なかよくしてねーっ! マコって呼んでいいかな? あたしのこともコニーって呼んでいいからさー!」


「はい、あ、うん……! よろしくね、コニー」

 彼女の有り余る元気さと、年が近いらしいという親近感からか、ボクはようやく砕けた口調で喋ることができた。


「ここはねー、ほんとにいいところだよ! 居心地、完ッ璧! バルさま、とってもやさしいしー!」


「そう、だよね。最初はうわあって思ったけど。今は……ひとまずホッとしてるんだ」


「でっしょー! そう言ってくれたらあたし、うれしいなー!」

 コニーは心底明るく話した。このお城やバルさまのことを、心から好いているんだろう。


 彼のことをこんなに慕っている子がいるんだな。

 ロゼッタさんが秘書として仕える姿からも、彼への親しみが感じたし。


 最初の爆弾発言と魔王という呼び名から、バルさまのことを少し誤解していたのかもしれない。


「……バルさまって、どうして魔王なんて呼ばれてるのかな?」


「えー、あんまり考えたことなかったなー。すっごくつよいからかなあ?」



 そこへ、ロゼッタさんがやってきた。

「マコちゃん、こんなところに居たのね。も~探したわよ~。……あら、こんばんは、コニーちゃん」


「あー、ロゼッター! おつかれー!」


「ロゼッタさん、すみませ──あっ」


 振り向いた先のロゼッタさんが全裸だったので、ボクはすぐに目を逸らした。

 いくら今は同性だからと言って、ジロジロ見るのは失礼に決まっている……!


 視線の外で、水面が揺れる。ざぶりざぶりと近づいてくる音が──。


「よいしょ、っと」

 すぐ隣でロゼッタさんの声がして……うわっ、こんなに近くに……。


 彼女が湯船のふちに寄りかかった拍子ひょうしに、腰と腰が少し触れて──いいのでしょうか。

 たぶん、女の人同士ならよくあることなんだ。そうにちがいない。


 ボクは頭の中でダイダロスさんの顔がもじゃもじゃと増えていくのを想像して、気をまぎらわせた。


「ね、ロゼッター。バルさまって、なんで魔王って呼ばれてるのー?」

 コニーはボクの疑問に興味があったのか、話題を戻してくれた。


「あらコニーちゃん、どうしたの、急に?」


「マコが知りたいんだって!」


「ふふ、二人とももう仲良しさんになったのねぇ」


「そーなのー!」


「あっ、はは……そうなんです」


 コニーとはまだそんなにたくさんの言葉を交わしてはいないけど、彼女がそう言ってくれたことは純粋に嬉しかった。

 心配事しんぱいごとをしばし忘れて、自然と笑みがこぼれるくらいには。



「……陛下へいかのことを”煉獄れんごく魔王まおう”と最初に呼んだのは、人間たちよ」


「にんげんさんって、北の王国にいっぱいいるっていうー?」


「ええ、そう。今から二十年以上前の事だけれど。陛下へいかはこの魔王城に攻め上がって来た王国軍を、獣人やモンスターをひきいて迎え撃ったの。双方、たくさんの被害を出したわ」


 昔話をするロゼッタさんは、沈痛な表情だった。当時のことを鮮明に思い出しているかのように。


「きいたことある! バルさまがみんなのことを守って、お城にかくまってくれたって、あたしのママが言ってたよ」


「そうね。陛下へいかにとっては、守るための戦いだった。でも──」


 言葉の途中で彼女は黙りこくってしまった。

 歯を食いしばって、こみ上げる何かを抑えている。


「……ロゼッタ~?」


「……ごめんなさいね。悲しいけれど陛下は人間たちを無傷で追い返すことはできなかったの。彼らは陛下の炎を恐れ、いつしか煉獄れんごく魔王まおうと呼んで懸賞金けんしょうきんをかけ、討伐者とうばつしゃつのったわ」


「たいへんじゃん!」


「ええ。陛下はその呼び名を気に入って、自分でも名乗るようになったけれど。しばらく前までは、陛下を討って名を上げようとするならず者が時々この城に来ていたわね」


「そーなんだ。あたしは見たことないけどなー」

 コニーは、あっけらかんとした調子だ。バル様が”最近は平和だ”と言っていたのは、事実なのだろう。


「そんなことがあったんですね……。お話をしてくださって、ありがとうございます」


「いいのよ、もう昔のことだし。陛下も最近はその話はしなくなったわね~」


 今は優しく見えるバル様……。

 昔の恐ろしい話を聞くと、ボクは湯船に浸かっているのに背筋が寒くなるような気がした。



 * * * * * * *



「うー、のぼせちゃいそう! あたし、先に出るねー。マコ、ロゼッタ、またあしたー!」

 しばらく湯に浸かったあと、コニーはふらりと立ち上がってざばざばと出口のほうへ向かっていった。


「は~い、おやすみなさい、コニーちゃん」


「おやすみコニー、また明日……」


 そう言葉に出してから、心の中でもう一度繰り返した。……また、明日?

 

 いや、寝て起きたらやっぱり元の世界に戻っているかもしれない──と、あわく思った。

 こんなに鮮明せんめいでリアリティのある夢は見たことないのだけど。


 ボクは、ぼうっと静かに夜空を見上げた。先ほどの会話を思い返しながら。



「……今日は星がよくでてるわねぇ」


「はい、綺麗です……」


 魔王城から見える星空は、どこがどうとははっきりは言えないけど……地球から見える星空とは違うものに見える。

 よく知った配置の星座は見当たらない。


「……マコちゃん、このお城には慣れそう?」


「……。えっと」

 ボクは水面に視線を落とした。


 もし──これが、やっぱり現実なら。

 この世界でどうやって生きていくか、考えなければならないのだろう。


 ロゼッタさんも、バル様も、コニーも、ダイダロスさんも、いまのところ悪人には見えない。

 しかし、ずっとここに居てもいいのだろうか。

 何もせずに食事だけ貰い続けるわけにはいかない。何か仕事をするか、家事を手伝うか。


 そして、バル様から言われていることもある……結婚してくれと。

 今日で初対面なのに、なんてことを言うんだろう……。いま思い出しても、ちょっとおかしい。

 それがなかったら、喜んでこの城に置いてくださいと願い出ていたかもしれない。



「バル様って……。ご結婚の経験はあるんですかね?」


 黙ったままでは気まずいので、なんとなしにこう聞いた。

 仮にだけど、そんな考えはないけど……もし婚約者となるなら、それを知る権利はあるはずだし。


「うーん、ないはずだわ。十何年か前、女の人を何人かさらってきて結婚をせまったりしてたことはあったけど……。彼女らに接していた時の陛下は──あっと。これ、内緒よ?」

 ロゼッタさんは、少し言いにくそうに返事した。言葉を選んでいるみたいだ。


「うえ、そんなことしてたんですか……。は、はい」


「その時の陛下は……ううん。女性をエスコートする事にあまり慣れている風には見えなかったわ」


「そうですか。まあ──魔王って言われてるくらいですもんね?」

 顔は悪くないのに……。彼の意外な弱点を知ったような気分になった。


「陛下が急に結婚だなんて言うようになったのは、漫画の読みすぎかもしれないわねぇ。ふふ」


「ま、漫画ですか? どういう事です?」


「陛下が集めている本には、幸せでドラマチックに恋愛して、最後には結婚する主人公達の姿が描かれているものが時々あるの。もしかしたら、そういうものにあこがれているんじゃないかしら」


「そ、そうなんですか……」


 バル様は”結婚”に幻想を抱いてるのかも。

 まず結婚という概念がいねんに対して、何かズレた認識を持っているのは間違いなさそうだ。


「わたしは結婚って、ゴールではなくスタートだと思うのだけどねぇ。陛下ってせっかちな所があるから。……マコちゃん、ほんとに内緒よ?」


「大丈夫です、ここだけの話ですよね」


「ええ。それに、安心して。彼女らは後でちゃんと解放されたわ。ふふふ、陛下ったら何回ビンタされたのかしらね」


「あ、はは……」


 ”魔王”と言っても、完璧ではないし、知らないことや、わからないことだってあるのかもしれない。

 そう思うと、少し気が楽になった。


 ……見上げた夜空に、流れ星が光った。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る