第6話 魔王城の午後

 しんと静まり返った魔王城の廊下を、ボクはほんの少し小走りで移動した。

 そうしないと、すたすたと前を歩く魔王さま……”バルさま”に追いつけなかったから。

 

 彼の長い足から繰り出される歩幅ほはばはボクよりもずいぶんと広いし、すっと伸びた背筋は頭ひとつぶん以上は高い。

 そして改めてよく見れば、彼はもったいないくらい男前おとこまえで……くやしいことに、色気いろけすらある。


 もし、仮に。

 ボクが生まれた時から女の子だったら、その端正たんせいな顔立ちだけで彼に興味を持ったかもしれない。

 普通の女の子から見た男性の顔の良し悪しなんて、よくは知らないけど。


「んん~? マコォそんなこっち見るなよぉ。バル様、照れちゃうぞぉ~~」


 うう、なんなんだこの人は。

 ボクは歩くペースを少し落とし、すすすと後退した。

 ちょっと距離を置いて、遠目とおめに見てるぶんには面白そうな人ではある。


 ……ひとまず、話題をらすことにしよう。


「バル、さま。ちょっと気になったんですけど、このお城にはバルさまとロゼッタさん以外に人はいないんですか?」

 

 これは純粋に気になっていたことだ。

 ここは城というわりに人口密度が低く、だだっぴろ閑散かんさんとしている。


「ククッ、ぐふふ……」

 彼は口角を吊り上げた。よっぽど”バルさま”と呼ばれたのが嬉しかったんだろうか。

 先ほど気が動転してそう呼んでしまったことを、ボクは今さら後悔し始めていた。


「あのう?」


「ああ、すまんすまん。以前はもう少しにぎやかだったんだがなァ。獣人にモンスターに、少数の魔人に……ああ、人間も居たか。俺の部下たちはとにかく優秀で楽しいやつばかりだった……」


「だったって……あっ」


 突然の過去形に、ボクは言葉に詰まってしまった。

 彼が”魔王”というからには、反対に”勇者”のような存在が居て、もしかすると戦闘があったりして……?

 自分の持っている勝手なイメージが通用するのかわからないまま、想像を巡らせる。


「んん、どうした? そんな顔して。部下たちには今、休暇を与えているのだ。近頃は平和だからなァ。クハハ!」


「へっ? そ、そうでしたか。へ、平和……いいこと、ですよね」

 

 どうやら違ったみたいで、内心ホッとした。

 まさか魔王の口から”平和”なんて言葉が飛び出すなんて。


「まァ今は少ないが、俺とロゼッタだけじゃあないぞ。この城が落ち着くというヤツや、平和でも仕事があるヤツもいるからな。それにマコ、今日からはオマエも来たしなァ!」


「えっ? ボクも住人に数えられてるんですか……?」


「当たり前だろう! 転生者の面倒を見るのも俺の役目だ。それにオマエは、カワイイから、なッ!」


 彼は、歩きながらボクの頭をわしわしとでた。

 ……まだ何が何だかわからないけど、しばらくの寝床ねどこは与えてもらえるのかな。


 そこに”結婚”の条件が含まれているのかは、いまは聞かないことにした。

 


 * * * * * * *


 ドン、と広間の戸を勢いよく開き、彼が叫んだ。


「さ、ここが食堂だぞ! ……ダイダロス、いるかァ!?」


 そこは、長い机とたくさんの椅子が並んだ大部屋だった。

 しかしがらんとしていて人の姿はなく、それがかえって物寂ものさびしさを感じさせる。


「はい、こちらに……。今日はお早いですな、バルフラム様」

 どこかから、おだやかで低い男声の返事があった。


「おう、今日は特別だ!」


 よく見ると、広間の奥の厨房と思われる場所からもわもわと水蒸気すいじょうきが漏れている。

 そこからヌウッと顔を出したのは、大柄な男性だ。


 もじゃもじゃの髭をたくわえた、天井に頭をぶつけそうなほどの大男。

 バルさまも背が高いけど、この人は更に大きく──まるで、熊みたいだ。


「……おや、そちらのおじょうさんは?」


「ククク、久々の新入りだ。カワイイだろォ!」


 すっぽりと包みこまれるほどの大きな影が、こちらを見下ろしてくる。

 ボクは萎縮いしゅくしないようごくりとつばを飲みこんだ。


「はじめまして。えっと──マコ、です」


 ……自分から”マコ”と名乗ってしまった。


 だって仕方ない。もうロゼッタさんにもバルさまにもマコと覚えられてしまったし。

 それに、男だった時のように”マコト”と名乗ったら、かつて男性高校生だったマコトがもうこの世にいない事を認めてしまうことになると思って。


「これはご丁寧にどうも、かわいらしいおじょうさん。ワシはダイダロスといいます。よろしくどうぞ」


 “お嬢さん”……?

 ボクは一瞬だけ背後を振り返った。当然、誰もいない──うう、ボクのことだった。


 ダイダロスと名乗った男性は腰を折ってしゃがみこみ、手を差し出した。

 ボクの二倍、いや三倍もあろうかという大きく太い指だ。


「……よろしくお願いします」


 握手というよりも、ボクの手は一方的にふわりと包まれた。

 ダイダロスさんはニコリと微笑んでいる。どうやら怖い人ではないみたいだ。


「さて、では胃に優しいお食事をご用意しましょうか。まだ転生したてなのでしょう?」


「ああ、頼む。俺のは後回しでいい。まだ腹は減ってないからな」


「承知しました、少々お待ちください」


 彼が大きな身体を揺らして、のそのそと厨房の奥へ引っ込んでいった。

 大柄な体躯のわりに繊細せんさいな歩き方だ。


「……えと、お食事まで頂いちゃっていいんでしょうか……?」


「なに、気にするな。ここは俺の城だからなァ! さ、座れ座れ!」


「は、はい」


 いやに彼が親切なので、ボクは逆に心配になってきた。

 本当の本当に”魔王”なのだろうか。


 今のところ、太らせて食われるというような気配はない。

 この人のことを好きになれるかはともかく、少なくとも悪い人だとは思えなくなった。



 それにしても……。

 お嬢さん、だなんて初めて呼ばれた。自分がそう呼ばれる見た目をしていることを思い知らされる。


 いまは純然じゅんぜんたる事実なのだから、反論の余地はない。

 一瞬、何か後ろめたい気持ちがよぎったけど……余計な事は言わないことにした。



 ──ボクは椅子にかけて、食堂を見回した。

 窓から見える空はうっすらと暗くなっている。

 壁際の棚にはコップや食器がきれいに整頓されているが、そのほとんどが使われてなさそうだ。


 バルさまは、向かいの椅子にどっかと座った。

「さてと、マコ! あらためて確認するが、身体に異常はないか?」


「──えっ!? ええと、その……」


「何でも言ってみろ、俺の”転生術てんせいじゅつ”に間違いがあったら困るからなァ!」


 うう。どう説明すれば……?

 そもそも、その転生術てんせいじゅつとやらにおいて、どこまでが正常でどこからを異常と呼ぶのかわからない。

 以前の身体と性別が違うことは、異常に含まれるんでしょうか?


「あの、腕や足はちゃんと動いてますし、いまのところ頭痛とかめまいとかは、ないです──けど」


「けど、何だ?」


「け、けどぉ……」


 どうしよう……。


 彼はボクの前の身体がどんなだったか、知っているのかな。

 知った上で、カワイイ、結婚してくれだなんて、言ったのかな。

 もし今さら”ボクは男なんです、こんな身体じゃ困ります”と言ったら、どんな反応をするのだろう──。


 ──コトン。

「ほい、お待たせでした。山菜さんさいがゆですよ」


「あっ!? ありがとう、ございます……!」


 ボクの思考は、目の前に配膳はいぜんされた料理からほかほかとのぼ湯気ゆげに押し流された。

 ダイダロスさんが持ってきてくれるまで、彼の気配に全く気がつかなかった。


「おっ、来たかァ。さあ食え食え。遠慮はいらんぞ!」


「それじゃお言葉に甘えて……いただきますね」


 ……覆水ふくすいぼんに返らずという言葉がある。一度言ったら取り返しがつかないかもしれない。

 身体の問題について聞くべきか、するべきか。ボクは結論を先送りにした。


 それに、とても食欲をそそる香りがしたから。

 うつわには木製のスプーンが添えられており、日本の食事と比べてもそこまで違いはなさそうだ。


「……バルフラム様、お食事は後ほどでよろしいのでしたな?」

 他に食堂の客がいないからか、ダイダロスさんは近くの席に腰を下ろした。


「あァ、少々休憩に来ただけだ。マコの案内もねてな。ククク、コイツは期待できるヤツだぞォ、抜群ばつぐん魔術適正まじゅつてきせいだ!」


 !?──二人がこちらを見ている。

 ボクはほおったばかりのおかゆが熱くてしゃべれず、せめて行儀ぎょうぎが悪くならないよう頭を下げた。


「それは喜ばしいことですなあ。明日からは食材を多めに調達致しましょう」


「そうだなァ、そうしてくれ。マコ、好きな食べ物はあるか?」


 そう聞かれて、急いで口の中のものを飲み込んだ。ああ、ほどよく塩味が効いていて……おいしい!

 この世界の食べ物のことはよく知らないけど、ダイダロスさんが料理上手だということにうたがう余地はない。


「えっと──なんでも、おいしく頂きます!」


「ククク、遠慮はいらんと言ってるだろう。オマエのリクエストなら何だって答るぞォ。ダイダロスが」


「う、それじゃあ、お肉……とか」


 何故か、そう口をついてでた。特段とくだんボクは肉を好んで食べるほうではないのだけど。

 むしょうに身体が肉類にくるいほっしているような、そんな気分だった。


「ふむ、よいでしょう。それでは明日にでも肉料理を振舞ふるまわせて頂きましょうぞ」


「マコも肉が好きなんだなァ。ククク、俺も大好きだぞ。この城では肉がいくらでも食い放題だァ!」


 バル様はこちらを向いてニヤリとした。

 ……確かに肉が好きそうな顔だな、と思った。

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