第5話 ボク、土下座する

 彼がボクに手渡してくれたのは、日本ではよく見慣れていた、漫画本。


「これって……」


「どうだ。斬新な書物だろう! 連続する絵を追うことで、物語が繋がる仕組みになってるのだ。これは珍しい本なんだぞぉ。手に入れるの大変なんだぞぉ」


 それは、いわゆる少年漫画だった。

 主人公の男の子が剣をとって、悪をくじくため冒険に出る。

 仲間の魔王使いが魔法を唱えて、敵を吹き飛ばす。


 ボクは男子高校生だったし、そういう趣味の友達が周りにいたから漫画には馴染みがあった。

 特に仲がよかったゲーム好きの幼馴染は、女の子だったけど。


 目を釘付けにしながら、ページをパラパラと素早くめくる──。


「もっとゆっくり、噛みしめるように読めよう!」

 横から、漫画を流し読みする友達に抗議するような声が飛んできた。


 ──思った通り、ボクはこの漫画を読んだ記憶があった。

 どうしてその漫画本が、魔王城に……?

 ミスマッチどころの騒ぎではない。

 元の世界にあったものと同じ本が、異世界にもあるなんて。


「あのう、バルフラムさん。この本は、どこで買った──て、手に入れたんですか?」

 ボクはそう言いながら、一瞬だけ彼が本屋のレジに並んでいる姿を想像して吹き出しそうになった。


「ククク……これはな。北の王国にいる転移魔術師てんいまじゅつしの仲介屋から譲り受けたものだ」


「王国? て、転移、魔術師……?」


 だめだ、知っている単語が一つも無い……。

 少なくとも、その辺に本屋さんなんてものはないのだろう。


「だったよなァ、ロゼッタ?」


「ええ。たしか……異界歴1989年の物とお聞きしています」


 ロゼッタさんが答えた。1989年だって?

 聞き間違いではない。きっと西暦だ! ボクは希望が見えた気がした。


「北の王国……というところに行けば、こういうものを扱っているお店があるんですか?」


「そうだなァ。普段はロゼッタに頼んでいるから、俺が直接出向く事はあまりないが……」


「そうなんですね……」


 もし、ボクが生まれた元の世界との繋がりがあるなら、そこに違いない──!

 ”北の王国”という地名を忘れないように、頭の中で繰り返した。


「それよりマコよ、魔法を試してみたいんだったろう? 俺は、オマエの素質を確かめたくて堪らないんだぞぉ!」


「あっ、そうでした。ええと──やってみますね」



 彼がボクに漫画を見せて、つまり何を言いたいのかはわかった気がした。


 魔法を使うためには、魔力の流れがどんなふうに渦を巻いて、集まって、放たれるのか。

 動きをともなったイメージが必要なんだ。


「マコ。慣れないうちは、詠唱えいしょうから入ると良い。心の中だけでも良いが、声に出せばより強く、魔素マナが応えてくれるだろう」


詠唱えいしょう……?」

 先ほど、彼が短く唱えていた文言のことだろうか。


「なァに、簡単だ……特に決まりはない。炎を操り出すなら、炎に。風を操り出すなら、風に。自分の言葉でいいから、語りかけて・・・・・みろ!」


「わかり、ました……!」


 意識を集中して、目をつむった。

 この歳になって炎よ風よと大声を出すのは恥ずかしい気がしたけど、彼はあたり前のようにやっていた。

 きっと、この世界では普通のことなのだろう。



 小学生のころ、ゲームの中にいる勇者の真似をして遊んだことを思い出した。

 その時は、小難しい文言で風の魔法を操る主人公に憧れていたっけ。


 あのころはずいぶん練習したから、自然と口をついて言葉が出てきた。

 たしか、こうだ──。



『……空駆そらかけるかぜよ、とどろけ。大地だいちねむほしよ、うたえ。このつらなり、螺旋らせんきざめ──!』


 ──ヴ……ヴヴヴヴンッッ!!


 引き裂くような、聞いたこともない音。

 腕の中で、大きな流れが加速する──凄まじい、力を感じる!


 空気が震え、部屋が膨らむ。

 両手には、抱えきれないほどの巨大な渦──。


 これを──どこに放り投げるか──決めていなかった!


「あッ、わわ、わ!」


「マコッ! 窓だァ!」


「──ッ!!」


 ボクは前につんのめりながら、今にも暴れだしそうな魔力の塊を窓に向けて解放した──!


 ──ガシャアアン! ──ビュウウゥゥン!!


 大きな竜巻が、窓の周りの壁を派手に巻き込んで城の外へ飛んでいって──。



 ……嵐が過ぎ去った図書室に、奇妙な静寂が訪れた。


 窓枠は形を失い、半径いちメートルほどいびつに大きくなっている。

 えぐれた山がさっきよりよく見える……。


「あ……あ──」


 バサバサと本棚から漫画がこぼれ落ちる音と、床の上でパラパラと風でめくれるページの音が聞こえる。


「あらま~」

 ロゼッタさんの、のほほんとした声がした。



 と、とんでもないことをしちゃった……!


「ごっ……ごめん、なさいい!!」


 ボクは、地面に突っ伏した──。


 どうしよう! 人様のお城に穴を開けてしまうなんて……! 

 一体この部屋を元通り工事するのに、いくらかかるんだろう。


「マコちゃん──」


「ごめんなさいッ! べ、弁償……しますから!」


 ボクは、調子に乗っていたんだ。

 魔法のような力があると聞いて、自分にその才能があると言われて。


 どこに繋がっているかわからないアクセルをベタ踏みしてしまった。

 事故があってからでは、取り返しがつかない……!



「マコォ……」


 魔王の低い声が聞こえた──。

 それは、地鳴りのようにボクを萎縮いしゅくさせた。


 こちらに向かって、コツ、コツと彼の足音が近づいてくる。

 まるで、死刑宣告の秒読みのようだ。


 こわい、こわい! おそろしい──!


 ボクは今から、何をされるの?

 どうやってこの場を切り抜ければ?

 どんな命乞いをすれば生き残れる──!?


 魔王に対するあまりの恐怖に、頭の中に短い走馬灯そうまとうが流れた。


 彼は──バルフラムさん。”煉獄れんごく魔王まおう”。


 さっき、ボクに求婚してきたけど……返事はにごしたばっかりで。

 それでも、嘘をついて結婚しますというわけにもいかないし……!

 

 そう……そういえば。

 彼をバルフラムさんと呼ぶ前に、嬉しそうに興奮していた呼び方があった。



 ──ボクは涙目になっていた。

 必死になって、なんとか少しでも罪を軽くしてもらいたい気持ちで一杯だった。


「ご、ご──ごめん、なさい、”バルさま”……」


 そして、上目遣いで名前を呼んだ。

 彼が最初に望んでいたように、バルさまと。



「……クッ、ふっふっ、ははは……もう一度言ってみろ、マコ!」


 彼の声を聞いて、おそるおそる顔を上げた。

 魔王の顔に、怒りの色は見えない。


「ごっ、ごめんなさい……!」


「ちがうちがう、その後だ!」


「……え。……ば、ばるさま……?」


 見上げた彼の顔は、怒りどころかニマニマと嬉しそうな笑いを浮かべていた。


「そうだァ、マコォ!!」


「──ひゃわっ!?」

 彼の腕がボクの脇腹を掴んで、身体がふわりと空中に浮かんだ。

 景色が、ぐるぐる回る……。


「素晴らしい、素晴らしいぞ、マコ! オマエは強い! 天ッ才だ! そしてっ! カワイイ!!」

 

 彼はボクを掲げながら軽やかに踊った。まるで子供と遊ぶように。

 こんなに軽々と持ち上げられちゃうなんて、いまのボクってそんなに体重が軽いんだろうか……。



 ──ようやく床に降ろされると、ボクの頭を彼の手がポンポンと撫でた。

 あっ……許してもらえたの、かな。


 それでも部屋に空いた大きな穴を横目に見ると、罪悪感を拭いきれない……。


「すみませんでした……」


「クハハ、気にするな! オマエのカワイさに免じて、許してやろう! “バルさま”は! 寛大かんだいだからなァ!」


「はい……。ありがとうございます……」


 ああ、”バルさま”と呼んだのが功を奏したのだろうか。

 ボクの呼び方を繰り返すように強調している。

 勢い余ってそう呼んでしまっただけなんだけど……。



 “バル様”は、無惨に壊れた窓がボクの視界から外れるように背中を押した。


「いや、上々だ! 本当に素晴らしいぞ。条件が整えば、更に数倍の威力は見込めるだろう。これならヤツ・・にひと泡吹かすこともできそうだ……!」


「えっ……?」


 彼は何かを企むように、クックックと笑った。

「楽しみになってきたぞ……! おいロゼッタ、その穴……なんとかしておけ!」


「えぇ~。かしこまりました」


「よし! メシでも食うか、マコ!」


「は、はい……バル、様」


 

 ──もう、呼び方をもとに戻すことは諦めたほうがいいかもしれない。


 彼の機嫌が、少しでも悪くならないように……今後はなるべく、名前で呼ぶようにしよう。

 ”バルさま”と。

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