第3話 ボクと涙とツノしっぽ

「マコちゃん、遅くなっちゃってごめんなさい!」


「──ふあっ!?」


 背後から急にロゼッタさんの声が飛んできて、我に返った。

 なんだかいけないことをしていたような罪悪感があって、もう一度鏡のほうを見るのは躊躇ためらわれた。


 彼女は、ほんのりと湯気が立つマグカップを二つ持ってきた。甘い香りがする……。


「ココアを持ってきたわ〜。はい、どうぞ」


「ここあ……ココア、ですか!?」


「ええ、そうよ。……あっ、ごめんなさい。ココアってご存知なかったかしら?」


「いえ──いえ! よく、知ってます……!」


 ココア……。そう、この香りはよく知っている。

 

 ここでの会話は聞きなれない言葉ばかりだったし、見知らぬ土地と今までの自分とは違う身体を前にして、ボクの頭は許容量をとっくに超えていた。


 そこへ現れたなじみ深い飲み物は、暗い夜道で迷っていた所に、やっと明かりを見つけたかのような安心感をもたらした。


 ベッドに座って、コップに口をつけた。


 ──ズズズ……。

 ああ、口の中に甘さが広がって……涙がでそうだ。

 どうしてこの世界にココアがあるのかはわからないけど……自分が知っているものに、やっと出会えた。


「ふふ、そんなにおいしいかしら? やっと笑ってくれたわね、マコちゃん」


「はい……! ありがとう、ございます……」


 ……ほんとうに、おいしい。ココアって、こんなにおいしかったんだ。

 ロゼッタさんは隣に座ると、ボクの目尻をハンカチでそっとぬぐってくれた。


「泣くほどおいしかったのねぇ〜。ふふ、嬉しいわ」


「すみ、ません……。なんか……ボク、安心しちゃって」


「いいのよ、気にしないで。私のこと、頼ってくれていいんだからね」


 この人と話していると、安らぎを感じる。

 さっきいきなり求婚してきた魔王はともかく、ロゼッタさんに対しては警戒する必要はなさそうだ。


 ……ああ、幼い頃に亡くしたお母さんのことを思い出して、また泣きそうになってきた。

 ロゼッタさんは、ボクが落ち着くまで何も言わずに肩を撫でてくれた。



 * * * * * * *



 ──ようやく、気分が落ちついた。


 しょんぼりしてても仕方ない。

 いま自分がどういう状況に置かれているのか、落ち着いて確認しないと。


 すぅ、はぁと息を吐いて顔をあげると、ロゼッタさんが合図を受けたようにニコニコと微笑んだ。


「さて! マコちゃん、お着替えしましょうか〜。そのままじゃ、風邪ひいちゃうわよ?」


「おっ──おきがえ?」


 ……そういえば、ボクははだかに毛布のままだった。

 言われてみれば、足が冷えているのを感じる。


 でも。お着替え……いえ、オキガエってなんでしょうか?

 きっと、ボクが知らない単語に違いない。たまたま知っている言葉と似ているだけだ。


「ちょっぴり昔のだけど、新品だから安心していいわよ〜」


 ……ロゼッタさんの手によって、目の前にずらりと下着が並んだ。


 全体的に白くてぺらぺらして……小さめのリボンがついた、かわいいショーツやくつ下だ。

 そう。女の子の下着だ。


「あっ、ロゼッタさん? ……あの〜」


 ボクは……これを履いてもいいのだろうか?

 男なのに──!


 いや、ボクの今の身体は……どうやら、女の子……みたいだけれど。


「う~ん、お気に召さないかしら。もっと攻めたやつのがいいのかな? マコちゃんったら、意外と大胆ねぇ。待っててね、もうちょっとセクシーなのもあったはずだわ──」


「えっ!? い、いえ! あのっ!? これで……これがいいのでっ!」


「あら、そお?」


 これ以上、恥ずかしいものを持ってこられてはたまらない──!

 ぱんつをはかないわけにもいかないし……男性用のをくださいと言うのも……変だろうし。


 ……覚悟を、決めないと。


 ボクは、白い下着をつまみあげて……おそるおそる足を通した。


 小さな布が、するすると太ももを登ってくる。

 なんだかこれは──すごく──いけないことをしているような、気がする。


 きっとボクの顔はいま、真っ赤になっている。

 隣にいるロゼッタさんに顔を見られたくない──ああ。ああ! いてしまった。ショーツを。


 ……いや、お尻に何かが引っかかった。何かが生えているような……。

 手をスライドさせてみると、うん……やっぱり何かある。


 これは……なんだろう。しっぽ……?

 今まで気がつかなかったのが不思議だけど、ボクのお尻には細長い尻尾が生えているようだった。

 先っぽが矢印のように尖っている。

 

 ……なぞるようにれて確かめると、背筋がぞぞぞと、くすぐられるような感じがした。


 なにこれ、どうしよう、何か恥ずかしくて……。

 耳まで熱くなっているのが自分でもわかる。


 ……ロゼッタさんが、こっちを見てる……?

 あっ……やめてください、ボクの顔を見ないで!


 ──ふにっ。

「わひっ!!?」


 ボクのムネが、後ろから。犯人はロゼッタさんだ。

 これまで感じたことがない、そわっとした感覚が電撃のように走る──。


「あら、ごめんなさいね〜。お胸のサイズを測らせてもらったのよ。ふふふ、大体わかったわ〜」


 ロゼッタさんはそう言うと、スリッパをぱたぱた鳴らしながら部屋の奥へ歩いていった。


 ……どくんどくんと、急に自分の心臓の音が聞こえてきた。

 さ、触られてしまった……ボクの、おっぱ……。ボクの?


 顔から火が出て、部屋の温度はひんやりと感じる。

 おかしくなりそうだ……いや、すでにおかしくなっています。


「──おまたせ~、ふふっ、楽しくなってきちゃったわ〜」


 戻ってきたロゼッタさんの両手に抱えられていたのは……あ、あれは。まさか。

 ブラジャーというやつでは?


 それ、まさか。

 ボクがつけるんです──よね?


 ああ、あまりの背徳感はいとくかんに気絶しそう──もう、どうにでもして……。


 うん。いっそ、気絶してしまったほうが楽だ。

 ボクはそれから放心状態で、ロゼッタさんになすがままにされた──。



 * * * * * * *


 

 ……ようやく”お着替え”から解放されて、鏡の前に立った。


「うんうん、よく似合ってるわ~! とっても素敵よ、マコちゃん」


「……ありがとう、ございます……」



 、かぁ……。


 いまのボクには元々の”マコト”よりも、その呼び方のほうが似合うのかもしれない。

 この姿は、本来なら男子高校生だったはずのボクの……真の姿ではないのだから。


 ロゼッタさんはボクにフリフリとしたかわいい服を着せたがったけど、こればかりは全力で逃げた。

 なんとか選んだのは、フード付きの短いローブと、現代で言うショートパンツのような服。

 動きやすく活発な印象のある、中性的な服装だ。


 

 しかし、あらためて鏡を眺めると……今のボクは、自分で言うのも照れるけど。たしかに、かわいいと思う。

 服を着せて髪を整えてくれた、ロゼッタさんのおかげだ。


 ああ、また顔が赤くなる……。

 服の間から外へ出した尻尾がそわそわと揺れるのを、おさえることができない。


 ──そういえば、鏡を見ながら思い出したけど、いまのボクにはツノや尻尾が生えている。

 陶器のように透き通った肌も、細長く尖った耳も、人間離れした見た目だ。


「……あの、ロゼッタさん。もし失礼な質問だったらごめんなさい。ボクには尻尾が生えてて、ロゼッタさんよりツノが短いですけど……、どういう違いがあるんでしょうか?」


 状況を整理するためにも、確かめておかなければならないことだ。

 自分やロゼッタさんに普通の人間にはない特徴があるのは、ここが”魔王城”であることと何か関係があるのではないかと、ボクは推理していた。


「あら──もしかしたらマコちゃんは知らなかったかもしれないわね。これは、種族しゅぞくの違い、ね」


「種族、ですか?」


「ええ。例えば、私は”獣人じゅうじん”と呼ばれるカテゴリに属するわね。マコちゃんは──みたところ、そうねぇ。きっと”魔人まじん”のなかの……夢魔サキュバスと呼ばれる種族ではないかしら」


「さ……、夢魔サキュバス……?」


 何かの本で読んだことがある。男の人をたぶらかしてもてあそぶ、女性の悪魔だ。


 ええと、もしかしてボク、やらしい種族なのでは……?

 お尻から生えているしっぽが、自分の意思に反してぱたぱたと揺れてしまう。


「ええ、同じような角と髪色のお方に会ったことがあるわ。陛下ったら、あの方の細胞を持ってたのかしら。意外だわ……」

 ロゼッタさんは、何かを思い出したように考え込んだ。


「あの方って、だれです?」


「あっ、ああ──ごめんなさい! 陛下はあの方の名前を出すと苦い顔をするから……。今のは聞かなかったことにしてちょうだいね」


 疑問は一つ解決したけど、新しい疑問が一つ増えてしまった。

 いや、夢魔サキュバスって……ううん、考えるのは後だ。


「じゃあ、バルフラムさん……には、ツノや尻尾がなかったですけど、彼は人間なんですか?」


「違うわよ~、陛下もあなたと同じ”魔人”よ。細かい分類は違うはずだけど」


「そうなんですね。えっと、何か……ただ者じゃなさそうですもんね」


 確かに、髪の毛がキラキラと燃えている人が普通の人間だったら逆にびっくりだ。

 この身体は、普通の人間じゃないんだ……。ああ、人間・・に会いたい……。


「そうそう、陛下に会いにいきましょ! あなたの今の格好を見た陛下の反応が楽しみだわ~」


 ロゼッタさんはフンフンと鼻歌をうたいながら部屋の出口へと歩いて、手招きした。


「えっ、あの。それって、さっきの方ですよね……?」


「安心して、マコちゃん。陛下がへんなことしようとしたら、私が守るから!」


「は──はい」


 ……魔王さまには初対面で求婚を受けた手前、もう一度会うのはちょっと勇気がいりそうだ。

 でも、ロゼッタさんの嬉しそうな顔を見て……ボクはついていくことにした。


 鏡で見た自分の姿がかわいかったからなのか、ロゼッタさんに褒めてもらえたからなのか。

 ほんの少しだけど……もっと誰かに見てもらいたいという気持ちが芽生えていたのかもしれない。

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