第2話 ボクと鏡

「マコ、この俺と……! 結婚してくれ!!」


「──へっ??」


 あまりに、予想外の言葉だ。

 結婚……? 誰が? ボクと??

 

 そもそも、前提からしておかしい。彼はどうみても男性だし、ボクだって男だ。


 ──さわっ。

 彼が、ボクの右手を包み込むように手を添えた。


「……ひゃあっ!?」

 思わず、悲鳴がでた。

 男らしくない、高い声が──ボクの口から。


 彼はさっきからボクのことをカワイイカワイイって、美少女だって言ってたけど……ま、まさか!

 いや──ありえない! ! ──!!


 自分の中で”拒否”の意志がふくらむ。

 すると、腕の中から何か大きな力があふれて──。


 ──ビュウゥンッ! ──ズゴン!

「……ぐっは!?」


 突然、強い風が吹き、魔王は後方に吹き飛んだ。

 そして無抵抗のまま後頭部をしたたかに床に打ち付けると、大の字に倒れた……。

 かなり痛々しい音だった。


 ……それより、いまボクの腕から風が出てきたような……!?


「あらま、陛下へいか……」


「──はっはっは! 魔素マナの少ない室内で、しかも無詠唱でこの規模きぼの風を起こすとは! カワイイだけじゃなく魔力も抜群ばつぐんのようだな! ますます気に入ったぞォ、マコ!」


 彼は何事もなかったように跳ね起きて、すたすたと戻ってきた。


「……陛下〜。さすがに初対面の女の子にそれは無いですよ」


「だってカワイイんだもん!」


「だってじゃありません。彼女、困ってるじゃないですか!」

 ロゼッタさんは、目上であるはずの魔王に向かって声を荒げた。本当に秘書なんだろうか……。


 でも、ボクは……どうしよう。いま、女の子って言った?

 状況がまだ理解できないし、頭の整理が追いつかない。


 しかし、目の前にはよく知らない人しかいないし、ここは知らない場所で。

 いま、自分がまな板の上のこいに等しいことだけはわかる。ああ、涙がでそう……。


「あ、あの──」


 ボクがおずおずと声を出すと、二人は言い争うのをやめて、やっとこちらを向いてくれた。


「……あーっと、すまん! 俺の悪いクセが出たなァ。だが、本心で言った事にかわりはないぞ」


「本当に悪いクセですよね〜、陛下へいか。ご存知ぞんじないかもしれませんが、会話っていうのはキャッチボールなんですよ」


「ろっ、ロゼッタ……オマエな……俺ちょっと傷ついちゃったぞ」

 ロゼッタさんの強いたしなめを受けてか、魔王はようやくしおらしくなった。

 まるで母親にしかられた子供のような表情になっている。本当に魔王なんだろうか……。


「──それで、陛下へいか? いかがいたしましょうか」


「まァ……そうだな。マコは転生したてで疲れているだろう。どこかき部屋をあてがってやれ」

 彼はボクから目をそらして、少しきまりが悪そうに言った。


かしこまりました。……さ、行きましょうか。マコちゃん?」

「……えっ、はい」


 ロゼッタさんはボクの手をひいて、毛布もうふをかぶせてくれた。

 背中がふわりと暖かくつつまれる……。


 あっ、あれ。そういえばボクは、今の今まではだかだったんだ──!?

 うう……急に恥ずかしくなってきた。


 顔を上げると、ロゼッタさんがニコリと優しい微笑みを返してくれた。


 どこに連れて行かれるのかはわからないけど……どうやら、悪いようにはされないみたいだ。


 ボクは素直にロゼッタさんに従い、薄暗い部屋を出た。

 背後から受ける魔王の視線を、確かめないように。



* * * * * * *


 

 どうやら、ここはお城の中みたいだ。


 廊下には等間隔とうかんかく豪華ごうかなランプや絵画かいがが飾られており、どれもよく手入れされてきらめいてる。

 床には炎のようながらの赤じゅうたんがかれ、廊下の突き当たりまで伸びている。


 どれも、見たことないものばかりだ。これが夢だとしたら、ずいぶんとリアルな夢だと思う。



 前を先導するロゼッタさんが、歩きながらこちらを振り向いた。

「ごめんなさいね〜、さっきの部屋に着替えを用意してなくて。いま、あなたが着れるものがありそうなお部屋に案内するわ〜」


「……ありがとうございます。毛布をいただいたので、寒くはないです。……あの、ここがどこなのか、もう一度お聞きしてもいいですか?」


「あら、ピンと来ないかしら〜? ここは三角大陸トライネントの東の果て、煉獄れんごく魔王まおうバルフラム・ルージュ様の居城きょじょう。通称、“魔王城まおうじょう”よ」


煉獄れんごくの……魔王……?」

 ゲームの設定のような言葉をさも当然の常識のように言われて、ボクはまたくらくらしてきた。

 知らない言葉ばかりで、半分も頭に入ってこない……。


 彼女を追いかけながら、視線を横にうつす。

 窓から見える曇り空は、薄暗い。この階の高さは……四階か五階くらいだろうか。


 下のほうに見える地面は、岩のすきまから炎がゆらゆらと吹き上げている。

 その景色はたしかに”魔王城”の名にふさわしく、地獄の釜の底のようだ。



「う~ん……? もしかしてあなたは、別の世界から転生てんせいしてきた魂なのかしら? 時々いるのよね~」


「転生って……? 聞きなれない言葉ばっかりです」

 ボクはそう言葉を返しながらも、いま何が起こっているのか確認することが怖かった。

 歩きながらちらちら見える自分の裸足はだしが……思い違いでなければ、足が小さくなっている。



陛下へいかはね。あ、陛下っていうのは、先ほどマコちゃんが骨抜きにしたあの方のことだけど〜」


「えっと……。はい」

 ボクは、ロゼッタさんに”ちゃん”付けで呼ばれてくすぐったい気持ちだったし、自分のマコトという名前が間違えて覚えられていることを今こそ訂正しようかと迷った。


「──陛下へいかは、”転生術てんせいじゅつ”の研究をしているの。世界の境界きょうかい彷徨さまよっている行き場のない魂を見定みさだめ、すくい上げ、新しい身体に宿やどして錬成れんせいする。……とても高度な魔術よ」


「ま、魔術? それに、新しい身体って……? ボクの前の身体は、どうなったんです?」


「それは……う〜ん。……言いにくいことだけど。……落ち着いて聞いてね、マコちゃん」

 ロゼッタさんは足を止めた。ボクもつられて立ち止まった。


「は、はい」


「マコちゃん。あなたの以前の身体は……。もう、役目を終えてしまったのだと思うわ」


「えっ……?」


「陛下は、生きているヒトの魂を抜き取ることはできないの。だから、錬成れんせいの材料には必ず、死者のただよう魂を使うそうだわ」


 その言葉を聞いた途端、足元が急にひんやりした。

 いま体験しているこの世界を、不思議で鮮明せんめいな夢だと思っていたけど……もしかすると、悪夢なのかもしれない。


 だれか、夢だと言って欲しい。

 ……いっこうにめる気配は、ない。



 * * * * * * *



「さ、着いたわ、マコちゃん。この部屋で待っていてね。いま暖かい飲み物を持ってきますからね〜」


 ロゼッタさんはボクを部屋に招き入れると、ぱたぱたとスリッパを鳴らしながらどこかへ行ってしまった。

 

 ──そこは、明るい雰囲気の広い個室だった。

 天井からはシャンデリアが吊り下げられ、ふかふかしていそうな天蓋てんがいつきベッドと化粧台が置いてある。


 魔王城という名前には似つかわしくない、普通の洋室だ。

 化粧台や棚はきれいに片付いていて、しばらく使われていないように見えるけど……内装からして、以前は女性が使っていた部屋じゃないかと思う。


 部屋の奥に数歩進むと、ベッドの横に大きな全身鏡が立てかけてあるのを見つけた。


「鏡……!」


 横から、そろりそろりと全身鏡に近づいた。見たいような、見たくないような……確かめたくないような。

 さっきまでのことを思い出しながら、不安とあせりで心臓がバクバクと高鳴った。


 ロゼッタさんはさっき、”新しい身体”と言っていた。

 いまのボクは、どんな姿をしているんだろう。どんな顔をしているんだろう。


 いや。これはきっと、夢なんだ。

 夢なんだから……。怖く──ないっ!


 覚悟を決めて、えいやっと鏡の正面に立った。



 鏡の中には──

 肩までさらりと伸びた真珠しんじゅ色の髪をなびかせ、紅い瞳で不思議そうにこちらを見つめる少女の姿があった。


 なめらかでき通る白い肌は、まるで人形のよう。

 どことなく、元のボクの顔立ちの面影おもかげがあるようにも見えるけど……。

 頭の左右からは小さなツノのような突起とっきが生えていて、耳は少し横に尖っている。


 鏡に向かって手を伸ばすと、鏡の中の少女も手をあげた。


「これが……ボク……?」


 手を伸ばした拍子ひょうしに、身体に巻きつけていた毛布がストンと床に落ちた。

 鏡の中の少女の肌があらわになる。やや膨らんだ胸と、そこから下のしなやかな肢体したいと腰のくびれ──


 ──そして……男のボクにあるはずだったものが──やっぱり、なかった。


「っっ!!」

 恥ずかしくなってその場にしゃがみこみ、再び毛布にくるまる──。



 う──うそだ……!



 意を決して顔をあげ、もう一度鏡を見る。

 鏡の中の少女の紅い瞳と、目が合った。


 毛布がずり落ちないように注意しながら腕を出し、鏡の中の少女と一緒に自分のほおをつねった。


 痛い……。

 何度つねってみても、痛みは変わらない。


 ……これ、夢じゃないの?


 それから、鏡の中でふにふにと頰をひっぱる少女と何分間も見つめあった。

 鏡に映る景色けしきは、いつまでも変わらなった。


 

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