第6話記憶の中にー1

 天使との戦闘で深手を負い、意識を失ったミユキは未だ醒めない夢を見ていた。


 腹部に残る痛みは夢の中ですら明白にミユキの体を蝕み、彼女は足かせをはめられたかのように動くことはできず、夢から覚めようと頭の中で祈るも、その脳裏に蘇るのは兵士たちの悲痛な叫びのみであり、決して自力では抜け出せない。

 それでも歩もうと痛みに蝕まれる体に鞭を撃ち、死に物狂いで立ち上がると、目の前に現れるのは襲い掛かる意思のない〈天機〉冷酷な一つ目。

 意識の奥に潜む負の迷宮は光をも通さない暗黒であった。


 ミユキはどうにかなってしまいそうな意識を少しでも保つように、その両耳を塞ぐ。

 しかし、その声は耳からではなく、脳に直接響きミユキはただただ、目が覚めることを祈るしかなかった。

 塞いだ耳はいつしか断末魔の中にある一つの、ノイズのような声を聞き取るようになり、その声に耳を傾けると不思議と心が落ち着き、その意識を集中させることができる。


「……キ……ろ!」


 どこからが聞き覚えのある懐かしい声は途切れ途切れに聞こえるも、その声は脳に直接響くものではなく、確実にミユキ本人の耳に響いていた。

「誰なの? 誰でもいいから私をここから出して! 出して!」

 暗闇の果てしない虚構に叫ぶもその声は光になることはなく、確かな闇へとかき消されていく。

 ミユキは、意識の奥底では自分が眠っていることを理解はしていたが、自我はそうはいかず自分の意識を覚醒させようとどこからか聞こえるその声に耳を傾ける。


「ミ……キ……お……ろ!」

「聞こえない! 聞こえないの! 出して! ここから出して!」

 ミユキの意志とは異なり、追いかけるたびに遠ざかっていくその声を掴もうと精一杯に手を伸ばし追いかけるも、その手は何者かに捕まれその行く末を阻まれた。


「何をしてる、早くこっちへ来なさい」


 手を伸ばし追いかけるミユキの手を掴んだのは紛れもなく父親であり、それ以外の何物でもない。

 ミユキの父親はその声や体こそ、記憶の通りの姿だが、異様なほどの笑顔を振りまき強くその腕を掴むと、ミユキの父はもう片方の手を使いその元へ来るように促す。


「さあ、こっちだ」


 道化師のように表情一つ変えない父親の姿は、ミユキにとっては恐怖でしかなかった。

「お父さん……」


 しかし、ミユキは懐かしくも暖かいその声を聞き、伸ばしてはならないその手を思わず伸ばしかける。

 自我の抑制に勝る家族への愛情や、あくる日の家族の思い出は、ミユキはその伸ばしかけた手を固く握りしめ静かに降ろさせた。

「どうしたんだよミユキ……パパと一緒に行こう……? さあ、この手を掴んで早く!」

 今まで穏やかだった父の声色は表情とは裏腹に、威嚇のように迫力を増し暴力的にもなっていく。

 ミユキはその姿が徐々に歪んで見え始め、霞んでいく姿は〈天機〉が放った銃火器により損失した人間の体となっていき、父は記憶から消し去りたい過去の姿となっていた。


「それは出来ないの……」

 父親が伸ばした手を振り払うと、ミユキの目の前にいる父親の姿はより醜悪になり、焼けただれた肌に浮かぶ赤黒い塊は今にも落ちそうな眼球を支え、その姿をより際立たせる。

「……どうしてだ!?」

 変わり果てた姿の父親の姿に臆することはなく、ミユキは投げかけられた問に対し重かった口を開いた。


「お父さんは私の目の前で死んだのよ」


 無慈悲なほどに美しい記憶がミユキの脳内に巡っていたが、その裏に隠された忘れたいほど残酷な記憶を見ようとはせず、胸の奥底へとしまい込んでいたが、変わり果てた父親や自分の腹部に残る痛みはその記憶を呼び覚ます。

 思い出していくにつれ、子供のころに襲われた《天地落とし》の記憶は、いつしかミユキの精神を自分自身へと固定させていた。


「何を言っているんだ、パパはここにいるじゃないか! さあ、早くこの手を掴んで! 早く! ハヤク! ツカメ!」

 死後初めて見た父の顔を見たミユキは、少しでも希望が持てるものと信じ込み、その頬から流れ落ちる涙を袖で拭き下ろすと父を名乗る男を睨みつける。

「いいえ、あなたはお父さんじゃない! 私の目の前で死んだお父さんの顔は今でも覚えてるし、これからも忘れることは無い! あなたはお父さんじゃない、私をそそのかそうとしても無駄。ミツキ、今行くよ!」

 現在という光を見つけたミユキは、過去というしがらみを具現化した父に背を向けると、再び声のする方へ走り出した。

 声はだんだんと近づき、ミユキの頬から流れ出した涙がこぼれ落ちると変わり果てた父の顔へ当たる。

「マテ! イクナ! ミユキ! イクナ……」

 涙の当たった父親は人の形からは崩壊し、黒い霧となるとミユキ背後から消えた。

 ミユキは黒い霧が微かに背後から、無いはずの風に流れて目の前を通り過ぎる。

「お父さん……?」

 頬を撫でるように通り過ぎる黒い霧は、ミユキの頬を温めると静かに微笑み、光の奥へと消えていった。

「ありがとう。お父さん」


 父親の影が光に交じると光はますます輝きを増し、耳に響いてくる声はより鮮明になる。

「ミ……キ……起き……ろ!」


 痛みすら愛おしくなるほど光に近づいていくミユキは、はじめよりも明らか鮮明に聞こえるその声に手を伸ばす。

「待って! 行かないで! 今行くから!」

「……ミ……キ……お……ろ!」

「サセルカ!」

 背後から忍び寄る声はミユキを逃がさんとし、黒い靄と共にその進行を阻止しようとミユキの目の前に立ちふさがる。

「ニガサナイ……」

「私はもう怖くない!」

 ミユキは黒い霧を恐れることはなく、その中心へ走りこむと霧ははじけるようにその場で散乱し、目指す光はより一層輝いた。

「……ユキ……きろ!」

 その声を追うミユキの手の先には一筋の光が煌めき、ミユキは煌めくその光を掴むべく、さらに向こうへと手を伸ばす。

「もう少しで届くから! そこに居て!」

 ミユキは一心不乱にその暗闇を走り抜けるとその光はミユキの手元へ収まり、目線の先が鮮明になる。

「ミユキ! 起きろ!」


 それは紛れもないミツキの両手だった。



「……ミツキ…………」

 ミユキが目を覚ますと、そこには真っ白な天井がその目に入り込んでくる。

 少し柔らかな白色が妙に目に刺さったミユキは目線を横に向けると、そこには自分の左手を掴んだまま寝込むミツキの姿があった。

 状況がつかめずミツキの手を握り返したミユキは、自分が今していることの恥ずかしさにその顔を、一気に赤く染め上げる。


「みみみみ、ミツキ!」


 ミユキは握っていたその手を振りほどき、弱り切った体をゆっくりとではあるが起こそうと、医務室のベッドを軋ませると、隣で眠っていたミツキが目を覚ました。

「起きたのか、ミユキちゃん」

 寝ぼけ眼をこするミツキは、無意識のうちにミユキをそう呼んでしまう。

「ミユキちゃんって、いつの呼び方よ! 痛っ!」

 慣れないミツキのその言葉に驚き、思わずミユキは起きかけていた体を勢いよく持ち上げると、腰に巻かれた包帯の下が痛む。

「まだ無理すんなよ、腹の傷まだ治っちゃいないんだから」


 開きかけた腹部の傷をさするミユキにとっては、完治していない自分傷のことなどどうでもよく、自分のことを昔の呼び方で呼んだミツキのその言動のほうが重要だった。


「お腹の傷とか、そんなことどうだっていいの、ミツキ記憶が戻ったのね!?」

 ミユキの上がりきったテンションも相まってかミツキは申し訳なさそうに、その頬を搔いては返答を鈍らせる。

「もう! どっちなのよ!」

 煮え切らない態度を見せ続けるミツキに嫌気がさしたミユキは、はっきりさせるべくその顔を睨みつけると、圧倒されたミツキはその口を渋々開いた。

「……そのことなんだがな、俺は元々記憶なんて失って無いんだ」


 状況がさらにつかめなくなったミユキは、ミツキの顔を見つめるも、ミツキはその顔を赤くするだけで真相を話そうとはしない。

「それってどういうこと?」

「今は詳しくは話せない……ただ一つだけ言えることがあるんだ」

「何よ……」

 しばらくの沈黙の後、真相を話す決意をしたミツキは、立てこもり犯が警察がいないかを確認するように、閉じられたカーテンの外を覗き、辺りに人が居ないか確認すると姿勢を整えた。


「いいか、これは他言無用で頼む」

「早く言いなさいよ」

 ミユキがなかなか話そうとしないミツキをせかすと、その空気を察したのかミツキは、より一層真剣な表情になり、重く閉じていた口を開く。


「ここには裏切り者が紛れてる」


 ミツキが放った真実の余りの突然さにミユキは思わず耳を疑った。

「……? ごめん、全く話が掴めないんだけど、どういう事?」


「どういう事もそういうことなんだ、まだ誰が天使からのスパイかどうかは分かってはいないし、本当にいるのかもわからない……それにさっき名前を呼んだが、俺はまだお前が本当にミユキちゃんなのかすら信じていないんだ……」


「まあ、スパイがいるってのは分かったけど、せめて私だけは信じてよ。仕方なくだけど、私はミツキを信じるし、この秘密も守る。だからせめて私だけは信じて欲しい……ダメかな?」

 ミツキの手を取り押し迫るミユキを見るも、ミツキの表情は赤く染まったまま変化することはなく、照れ臭そうにその手を振りほどきミユキをベッドに寝かせる。


「とりあえずだ……そこまで言うなら暫定ではあるが、俺はミユキちゃんを信じる。しかし、なにか下手な行動をしてみろ、いくら君でも俺は容赦なく殺しに行く」


 天使に対しての憎悪を隠しきれないミツキは、普段見せないほどヒートアップしミユキの横になるベッドに手をつくと、金属がきしむ音が医務室内に響き渡り、その音を聞いた白衣の中にスーツを着た女が静かにカーテンを開けた。

「全く、少年少女よ、盛んなのはいいが、少し静かに話せないものかね」

「すいません」


 入隊し、初めて面と面を向き合い話す上司に怒られ、あからさまに落ち込み謝罪するミユキを見て、医務室の主はクスリと笑ってしまう。


「ふふっ……なーんて、冗談だよ。私はそんなに五月蝿いのは嫌いじゃないのさ」

「ま、待ってください! あの……あなたは?」

「私? 私はね、そうだな。正式な名前もないし、アキとでも名乗っておこうかな」

 眼鏡をかけるアキはその奥に見える目を、人をだますようにニヤつかせるとミユキの頬をやさしくなでた。

「どどどどど、どういう事ですか? 正式な名前がないって、ねえ、アキさ、ん……」

 はたから見れば女優とも疑うほどの美貌を持つアキに頬を撫でられたミユキは、自身も女ながらその明らかになった容姿に圧倒され、言葉を失う。

「私はね、名前を隠して生きていかなきゃ行けないし、名前がないんだ……もちろん誰にもバレてはいけないしね」

 蚊帳の外にされたミツキは、ミユキの目が覚める少し前に淹れた冷めたコーヒーを啜り、一息つくなりアキに対して指を指した。



「それに……この人は元々天使側の人間だ」



 ミツキがさらっと漏らした重大な事柄を最初は飲み込むことが出来なかったミユキだったが、数分するとその意味を理解したのか慌ててその場から起き上がる。


「みみみみみ、ミツキ! じゃ、じゃあ……この人がスパイ!?」


「スパイだなんて心外だな……もう、あちらに肩入れするようなことは無いさ、それに私はミツキの協力者だ、裏切ったらあとが怖い」

 二人に指を指されたアキはヘラヘラとしたその表情を見せると、眉目秀麗な見た目を妖々しく怪しいものへと駆り立てていく。


「まあ……とりあえず悩み事があったらここまで来なさい。女同士分かり合えることもあるだろうし……」

 アキはミユキの耳元へニヤニヤしながら近寄ると、何かを察したようにミツキに聞こえないくらい位の声で、ミユキに耳打ちした。

「勿論恋の相談もね……?」

 アキの妙に整ったいい声にミユキの顔は再び赤くなり、アキの体を勢いよく遠ざけると、その顔を見せないように布団に埋める。

「に、にわかには信じ難いですが、ミツキが言うんだったら信じます……ですが、下手な行動はしないでください。ミツキが私を信じないように私はあなたを信じられないですから……」


 冷たくあしらわれたアキは、少しがっかりすると、隣にいたミツキに仲を取り持ってもらおうと、頬を掻きながらニヤニヤとミツキの方を見つめ始めた。

「そんな顔したってこればっかりはどうにもならん……。ミユキちゃんに嫌われたのはアキの第一印象が悪過ぎたんだ」

「まあ、ミツキに対する印象も悪いけどね……」

 布団に埋もれていたミユキは、ミツキがさも自分がいい印象を受けているように話していることが癇に障り、ミツキに対して冷たい一言を浴びせると、再び布団の中へ埋もれていく。

 ミツキはその後数秒の間動きが止まると、ミユキの言葉の意味を理解したのか、口に含んだコーヒーを吹き出し、医務室の布団を茶色く染め、勢いよく立ち上がる。


「そんなぁ!」


 アキはクリーニングしたての布団が汚されるのを見ると、思わず大声で悲嘆にくれた。

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