第27話 黒追
繭の内部は薄暗く僅かに光が届くだけで先はよく見えなかった。
洞窟のような光景に怯みかけるが右手に持った剣を強く握り足を踏み出す。繭自体はそこまで大きくないはずだ。
「ヨウコォー!」
外の状況が気にはなるがいまはヨウコを見つけることが最優先だ。俺は叫びながら行く手を阻む黒い殻を慎重に剣で払い進んでいく。
呼び声に反応はない。無事なら聞こえているはずだ。
「ヨウコォー!」
声を張りながら歩を進めると、目の前の空間が揺れた。目を凝らすと濃い靄のように黒色が垂れこめている。いままでの殻とは違いここの魔虫は活動中だ。無数の小さな生き物が蠢く音は生理的な忌避感を覚える。
けれど生きた魔虫の存在はヨウコが近くにいることを意味する。それなら進むだけだ。
「帰るぞ! ヨウコ!」
靄のなかに踏み入ると黒色が一斉に襲い掛かってきた。
「ヨウコ! 何処だ⁉」
身体に取り付いてきた魔虫を振り払いながら声を張り上げ前へ進む。左腕の傷口から徐々にMPが吸い上げられ心身が蝕まれていく。血肉は重くなり、関節は軋みいうことをきかなくなっていく。視野が狭くなり精神は握り潰されそうだ。分かっていてもこれは厳しい。
「ヨウ、コ……!」
剣を胸に抱き寄せるながら声を張る。魔虫が俺に食いついているならヨウコはこちらを確実に感知しているはずだ。さあ、出てきてくれ!
暗がりのなかを蝕みを受けてどれだけ進んだか。意識が朦朧とし始めたとき、闇のなかにヨウコの姿を見つけた。
§ §
「ヨウコ! 無事だったか⁉」
「…………」
ヨウコは無言のまま感情の読み取れない顔でこちらを見ている。相棒の無事に安堵しながら近づくが、いっこうに俺達の距離は縮まらない。
「ヨウコ? 一緒に帰ろう」
呼びかけに彼女はただ首を振る。どうしてなんだと見つめると彼女は恨めしそうな瞳で返してきた。静かに剣を地面に突き立て身体を預け、ヨウコの言葉を待つ。赤い瞳が見開かれてからキッと怒りが灯った。口元がわななき、犬歯がちらつく。
「……貴方は私の逃げ場であってくれさえすればよかったのに」
ぼそぼそと胸の内を吐露するヨウコは髪を掻きむしり、よろめき胸を押さえた。
「なのに、貴方といると私から逃げ道が奪われていく。苦しくなっていく」
首を振り頭に手を当てながら浅い呼吸を繰り返す姿は耐え難い痛みを抱えているかのように見えた。その瞳が不安に揺れ出す。
「貴方と離れるなんて私には出来ないのに……どうして」
「ヨウコ、俺は……」
「どうして、貴方はバカみたいに明日を夢見て私の手を引いていくの? 私と同じはずなのに、なんでそんなに、眩しいの?」
どうしてと俺を見つめる姿は傷だらけだ。その傷を与えたのは俺だ。とっくに俺はヨウコを傷つけていた。それを直視しないようにしてきただけだった。剣を握る手が痛みに痺れる。
そのうえ、いまよりもっと多くを望んでいるんだから俺は酷い奴だ。
「ヨウコ、それでも俺は――」
「分からない‼」
一歩踏み出そうとした瞬間、ヨウコの感情が爆発した。瞳は赤く発光し、身体に取り付いた魔虫が暴れ始める。踏ん張りが利かなくなり倒れかけた身体を剣でなんとか支える。
「分からない! 誰かと生きていくなんて私には! 貴方を失えない、それなのに一緒にいると苦しくなる! 貴方だって私を失えないはず。なのに、貴方は他人も求める! 前へ進もうとする! なんで⁉ 分かんない! 分かんないよ!」
ヨウコの周囲を魔虫が黒い嵐となって渦巻き始める。
この繭を生み出したときほどは暴走していないが、アレに触れたら長くはもたないな。けど関係ない。相棒の涙に応えないままじゃ、死んでも死にきれない。
「ヨウコォ‼」
俺は剣を手放し嵐のなかへ一歩踏み出す。
§ §
「聞いてくれっ! ヨウコ!」
黒い嵐に身を晒しながらヨウコへ叫ぶ。歩んだ分だけ近づけてはいるが、一足ごとに身体は重くなり、感覚は欠けていくかのようだ。構うものか。俺の退屈で大切な夢を聞かせてやるんだ。
「大変なことも多いけど、いまの暮らしには楽しいことや嬉しいことが沢山あるんだ! たまにこれでいいのかとか、こんな俺がって、頭抱えて眠れなくなる日もあるけどな! えっと、それで……だから、明日に向かって俺は! 生きていたい。ああそうだ! この気持ちを、俺は! 大事にしたい!」
命懸けで吠えて、こんなことしか言葉に出来ない。だけど充分。それにヨウコはもう目の前だ。
「それにな……」
「あ……」
最後の力で距離を詰めヨウコを抱きしめる。せめて俺が伝えたいことを言い切るまでは逃げてくれるなよ。触れ合った輪郭がいつもと違う気がしてしまうのは片腕のせいかな。
「お前には、幸せに……なって欲しいんだ。ひねくれ者ですぐ人に噛みつく、賢いくせに不器用。不安や寂しさは抱え込んでるのに優しさを捨てられない……そんなお前には、温かさや救いがあって欲しい」
震えるその身体を撫でてやりたい。とびきり優しく、出来ればゆっくりと。
でもいまは優しさよりも我儘を突きつける。
「デタラメな俺でも夢を見たんだ。今日と地続きの明日を生きたいって。この夢の始まりはお前だ。だから連れてく! 皆のいる方へ。光のある温かい場所へ! きっとお前にだって夢見る日がくるはずだから! だからヨウコ! 俺と一緒に来てくれっ‼」
ヨウコだけが受け止めてくれればいいちっぽけな夢。ヨウコだけが叶えられる願い。拒まれることを恐れていた臆病な俺の本心。俺はヨウコと生きていきたい。
ヨウコの瞳の赤色が鎮まり、嵐が止んだ。いつもの小豆色の瞳からポロポロと大粒の涙が零れ落ちだした。
「……こんなときに優しくしないで我儘を言うとか……本当に、酷い人です」
「悪いな。ヨウコの言う通り最低のクズみたいだ、俺は」
「ええ、要望ばっかり。私の気も知らないで……けど、素敵な我儘です」
「……ありがとう」
ヨウコが俺に抱きつき身体を叩き出した。いつものじゃれ合いと違って、かなり痛いが不思議とそれが心地よい。
「ヨウコ」
「……はい」
「ひとつな、気づいたんだよ」
「はい」
「どうしていいか分からなくて……考えても分かんないときは……進んでみるしかないんだ」
分からないなら、怖いけど進むしかない。
俺が思っていたよりそういう場面が人生にはあるんだ。
その言葉にヨウコがプッと吹きだした。
「考えなしじゃないですか、それ?」
「これが案外そうでもないと、さっき気がついたんだ」
「なんですか、それ……ふふっ」
確かにヨウコの言うことはもっともだ。だけどそれは一人の場合の話だ。
「お前が考えても分からないようなこと、俺が考えて答えが出たためしがあるか? 相棒?」
「ありませんね。今日が初めてです」
俺達は二人できつね憑きだ。お互いの手を取り合えば、片方が転びかけても支え合える。だからきっと大丈夫だ。
そのとき、繭のなかにくぐもった咆哮が響いた。
ギュオオォォ……‼
敵が動き始めたようだ。
「進んでみた先にある答え。見に行くぞ? 一緒にな」
「はいっ!」
再び咆哮が響くと共に黒い繭は瓦解し、空が広がった。
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