第21話 撤退戦②
ギュオオォォ……‼
しかし、もたもたはしていられない。対策を打っていたとしてもいつまでも持ち堪えられるわけがないんだ。実際にトリスはかなり消耗していることが遠くからでも分かる状態だ。
「ユゥさん! 戻りました! 次は誰を⁉」
だからいまは撤退を完了させないといけない。トリスは心配だけど傍に行くより彼女のためになることがあるはずだ。それにいまはニカさんもいる。彼女はブレス攻撃の合間を狙ってアタックを敢行している腕利きの連中に混じって剣を振るっている。ダメージは薄くても弱点が見つかるかもしれないし、ブレス攻撃を遅らせることが出来るかもしれない。そして、それが繋がったときに怪我人が倒れたままじゃ駄目なんだ。
俺達の姿を認めたユゥさんがバタバタと駆け寄ってくる。動きはもたもたしているがとくに消耗はしていないようだ。
「お待ちしていました、きつね憑きさん! ちょっとお願いしたいことが、あるのですが……?」
ユゥさんは嬉しそうに俺達を歓迎してから両手を合わせてモジモジし始めた。表情が忙しない人だな。
「その、二人運ぶことは出来ないでしょうか?」
「それは……」
申し訳なさそうに俺を拝むユゥさん。たしかに一見するとヨウコを降ろして運べばいいと思うだろう。だけど、そういうわけにはいかないんだ。どう説得したものだろうかと思案しながらヨウコの様子を伺っていると、今度はユゥさんが腕をバタつかせながら『違う違う!』と騒ぎ出す。
「えっと、きつね憑きさんはそのままでいいんですっ! きっと、何かの必要があると、思うので! つまり! 重さ的に三人を担ぐことは可能かどうか、それを伺いたいんです、はい……」
「え、ええ……それ自体は可能です」
なにが言いたいのだろうを首をひねる俺達にユゥさんはちょっと試させてくださいと指示を出し始める。言われるままヨウコを一度降ろすと彼はスライに向かってオーダーを与える。オーダーというよりは相談しているような感じだ。するとスライはその身体を捻りながら細く伸長させて縄のような姿になった。その縄をユゥさんは俺の身体に巻き付けたり硬化させたりして何かを組み上げていく。
「こんな感じで両手が空いたまま身体の前と後ろに人を乗せられる籠、みたいな物を作れたら助かるなって……思って」
「ああ……なるほど」
そういう道具は元の世界にもあったな。赤ちゃん紐って名前だったか?
俺は朧気な記憶を頼りにこんな風に出来ないかとユゥさんに要望を伝えると『凄い凄い!』と拍手喝采された。なんだか独特の空気感の人だ。ともあれ、あっという間に前に一人後ろに二人を乗せられるスライム製の背負い籠が完成した。
「これで……あとは! 乗せるだけ、なんだけどぉ……!」
早速ヨウコが背に乗り、俺は自分で小柄な怪我人を手前に乗せた。残った一人をユゥさんが乗せてくれようとしているんだけどビクともしない。鍛えている冒険者とはいえ女の人なんだが。耳元でヨウコの『ひょろい……』という呟きが聞こえた。自分でなんとかしたいところだけど手が届かない場所じゃどうしようもない。
「まったく、なにやってんだよ……!」
「ゼロさん……!」
すると太った中年男性、
「ありがとうございます」
「助かりました、ゼロさん!」
「……まあ、これくらいはな」
肩で息をしながら汗を拭うゼロだったが自らの腹をパンと叩くとカカカと笑う。
「さあ、きつね憑き! さっさと避難を完了させてくれ! このままじゃ、こちとら商売上がったりだ! 騎士のねぇちゃんがトンヅラさせてくれねぇからよ!」
「ゼロさん! きつね憑きさんのおかげで皆助かってるんですから!」
「それはそれ! これはこれよ!」
ギュオオォォ……‼
「くそっ! 今回はあまり時間稼げなかったな。おい、ユゥ! ねぇちゃんのトコ行け。きつね憑き、それでラストだ。逃げるにしても反撃するにしてもこれからだ! 早くしてくれっ‼」
「「はいっ‼」」
§ §
到着したテイラー邸で怪我人を降ろし補給と情報整理を行う。今回はヨウコには店の外で待機してもらうことにした。
市内に入った巨大生物群は現在
市民に混乱が広がっているためギルド職員は総出で避難誘導を開始しているが、受け入れ先は教会くらいしかなく暴動が発生するのは時間の問題らしい。この状況下で国からの指示や連絡は未だにない。
騎士団員からは避難は一区切りがついたので休むよう言われたが、とてもそんな気分にはなれなかった。
「くそ、国からは避難指示もなしかよ⁉」
先日のトリスの言葉が頭をよぎる。確かにこんな対応はあんまりだ。これじゃあギルメンだけで
「国もこれから懐事情が寂しいからな。おいそれと避難指示なんて出せないさ」
「テイラーさん……?」
「避難の最中にこの店がドラゴンの被害を受けた場合、国は補償を支払ってくれる。なんたって、国の指示で避難したんだからな。ところがどっこい、払う金が足りてないようだ」
ケチだねぇと肩をすくめて見せてから『逃げるに逃げられないな』と今度はお手上げのポーズを見せるテイラーさん。呑気なことを、と思ったがここは彼の店であり家なんだ。財産を簡単に置いていけるわけないし想い出だってあるだろう。
「まっ、ウチは原料屋じゃないからまだ身軽な方だ。それに避難が開始されたら毛布が要る。そしたら厚手の布が売れるな……!」
「テイラーさん……」
そう言って俺の肩を叩いて笑ってみせる彼の姿に釣られて笑う。まったく、この人はいつだって逞しくて平常運転だな。
「なんにせよ、余裕が必要ってことだ。こういう時は腹になにか入れとけ」
彼がそう言うと奥さんが
「砂糖たっぷりの温かいミルクだ」
「……ありがとうございます」
§ §
「ヨウコ」
「…………」
その姿を探すとヨウコは壁にもたれかかりながら耳を澄ませていた。雨が止むのを待っているかのような憂いのある瞳でこちらを見つめる彼女に飲み物を手渡す。受け取った
「……山羊臭い」
「苦手、だったっけ?」
「いえ、飲めます」
そう言ってしばらくしてからヨウコは
「それに、甘い味付けなら山羊乳も好きです」
「そうか。戦いの音は聞こえるか?」
「相変わらずのようです。街は騒がしくなってきました」
ヨウコが視線でそっちはどうだ、と尋ねてくる。さっき店内で聞いた状況を伝えると再びヨウコは
「…………」
「…………」
いつもなら『逃げよう』とか言ってくる頃合いなのにヨウコは何も言わない。少しだけ残ったミルクが冷えていくのをただ眺めているだけだ。なにを想っているのかも、どうしたらいいのかも彼女のサラサラの髪を見つめても分からない。
手を伸ばそうとしてヨウコを見るが小豆色の瞳に胸の内を覗かれている気がして躊躇してしまった。するとあっという間に手は萎れた花のように垂れ下がってしまう。視線の先にある臆病な俺の足は前を向いてくれていない。
しばらくそのままだった視界の端で何かが震えた。見ると手首に巻き付いたままだったスライがブルブルと震えている。これはヤバい。直感がそう告げる。
「きつね憑きさんっ! 応援、を!」
「ユゥさん!?」
スライを通じてユゥさんの叫びが響く。あの人がこんな風に有無を言わさない調子で救援要請してくるなんてよっぽどのことだ。
「ヨウコ!」
「……分かりました」
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