第19話 後退の為の前進

 巨竜タイラントのブレス攻撃が止んだ。十秒と続かない攻撃だったが吐き出される火焔が途切れるまでの時間は延々と続くようだった。

 固唾をのんで俺たちが見守るなか巨竜タイラントは再び吠え、首を振りだした。


「……生きてる!」


 あの動作はおそらくは攻撃だ。なら、攻撃対象が健在ということになるはず!

 俺の言葉を肯定するようにニカさんが頷いた。


「簡易なものですがトリスから応援要請がきました。きつね憑き、私は行きます」

「そうか! なら、俺達も――」


 一緒に行こうという口にする前にニカさんは首を横に振った。


「お二人はギルドの指示に従ってください。ヨウコの言った通りです。必要とされる場所に人手は当てるべきです」

「けど、ニカさん!」


 止めようとする俺に彼女は笑いかけた。その表情はとても穏やかで揺らぎないものだった。


「トリスの傍にこそ、私のやるべきことはあります。そこが煉獄だったとしても。だから私は行きます。お二人もどうかご無事で」

  

 そして見惚れるほどに優雅に一礼すると銀閃のニカは駆け出した。迷いなく真っ直ぐに。


「ヨウコ!」

「…………」


 いても立ってもいられずに相棒の名を叫ぶが、ヨウコは腕組みして俺をじっと見つめているだけだ。梃子てこでも動かないと決めているように見える。


「ヨウコ!」

「……どうするか、決められていますか?」

「えっ?」


 けれど今度はぼそりと訪ねてからバツが悪そうにそっぽを向き『考えなしなら行かせられません』と漏らした。よく見ると組んだ腕は強張っているし、尻尾は小さく萎れて垂れてしまっている。


「悪かったヨウコ、整理しながらでいいか?」

「……はい」


 向き直ってくれた相棒に考えを伝える。たしかにヨウコを納得させられるくらいの方針なしに突っ込んでも無駄死するだけだ。


「撤退を支援しに行く。ブレスを凌げたってことは、対抗手段はあるはず。けど、あの威力だから怪我人とかも出ていると……思う」

「ええ。絶対的ではないにしても、アレは強力です」

「そしたら逃げるに逃げられないだろう……トリスは……」

「誰かを見捨てて逃げたりはしない」

「だろうな」


 だけどあの場に留まればジリ貧になるのは間違いないだろう。あんな攻撃何度も凌げるものじゃない。だから撤退を手助けする役が必要だ。


「……旦那様はそうまでして彼女を助けたいのですか?」

「当たり前だろう?」


 助けたいって気持ちは当然ある。そしてそれ以上にこの状況下でトリスの存在は欠かすことが出来ないはずだ。

 トリスなしじゃこの戦いは乗り越えられない。それは巨竜タイラントを倒すにしても逃げるにしても変わらない。今回の依頼で組んでいることは関係なしに彼女の統率力や市の騎士団の戦力が必須に違いない。それがわからないヨウコじゃないはずだ。


「すみません……いまのは忘れてください。支援の手段は?」

「攻撃は捨てて残りの切り札、全部でいく」


 ヨウコは俯き俺の言葉を反芻しているようだ。左手で髪をいじるのは考え事をするときのいつもの癖だ。やがてため息混じりに頷くとぐっと俺に近づき不安げな瞳でこちらを見上げた。


「絶対に私を離さないでくださいね」

「分かった」



 § §



『ニカさん! ニカさん!』

『……きつね憑き?』


 ヨウコの説得を終えてニカさんを追い始めてしばらくして。ようやく彼女と交信が出来た。


『ヨウコと話して俺達は撤退の支援をすることにしました! 状況、なにか伝わってますか⁉』

『それは心強いですわっ! 残念ながら、断片的なものしか……』

『構いません! 手短にお願いします!』


 ニカさんによると第一陣では現在実力者を中心に防衛戦が展開され、それ以外の人員は撤退を始めているようだ。現場は混乱していてギルド側は救援要請をするべきかどうかも決められていない。

 裏付けのためにスカウトエイトに呼びかけるが応答はない。おまけに彼と結んだネットワークも消失してしまっている。残念だけど、やられてしまった前提で動くしかない。


『状況確認しました! それではっ!』

『えっ?』


 一通りの情報交換を終えた辺りでニカさんの後ろ姿を捉えた。色褪せた世界の中でも彼女の銀髪はきらびやかだなと思いながら彼女を追い抜く。


「お先に‼」

「ええぇ⁉」


 俺の背中でヨウコが叫ぶ。ニカさんはヨウコを背負ったままの俺が走り去っていく姿に素っ頓狂な声を上げるばかりだ。彼女も担いで連れていってあげたいけど、手札が足りなくなってしまうから無理だ。


『旦那様、交戦域が近いです。も使ってください』

『分かった。回避のための急加速がきたら耐えてくれ』

『了解です』


 韋駄天の加速した世界では自分の声でさえゆっくり過ぎて聞き取れない。だから心でしっかりと唱える必要がある。

 

死地臨む広目天クライシス・ウォッチャー死を詠む閻魔天ウィスパリング・デス


 スキル発動と同時にノイズ音が走り、死の囁きが耳朶に触れた。


 

 § §



――俺達は第一陣と合流すべく人家の屋根に飛び移りそのまま走り幅跳びの要領で交戦域に突入、そこで巨竜タイラントのブレスに直撃して焼け死ぬ。ヨウコも重症を負う。


「ぐぅ⁉」

『旦那様⁉』


 閻魔天の予知能力が発揮され死の予告が脳に刻まれる。読み上げられただけなのにこれだけ苦痛なのは本能がそれを事実だと認めているからだろうか。


『予知が入った! あのブレス、直撃したら俺でも一発だ!』

『わかりましたっ!』


 ズキズキと痛む頭を切り替えて巨竜タイラントを睨む。広目天の観察眼がその動きを解析し始める。巨竜タイラントは額の宝石を輝かせ再びブレスを放とうとしている。閻魔天の死の予告は続いている。ここは一度足を止めてやり過ごすべきか?


『ヨウコ、今回のブレスは回避す……あれ?』

『どうしました!?』

『予知が、消えた』


 巨竜タイラントはブレスの発射体制に入ったままだ。地上から十六メートルに位置する頭部から間もなく灼熱の炎が吐き出されるのは間違いないはずなのに。


『旦那様! 屋根に上がって! 防御手段の確認を!』

『分かった! 防御の、手段?』

『予知が消えたのは第一陣の活躍です! なにをしてるのか、出来るのか、見極めてください!』

『了解!』


 ヨウコの解説に合点がいった。彼女なしじゃ強大なスキルを三つも併用すると持て余してしまう。ヨウコを背負ったまま屋根に飛び移ると前線の様子がようやく目に映った。


「トリス……!」


 最前線の様子は一見するとあまり変わっていないように見えた。巨竜タイラントのブレスによって地面や近くの建物が焼けたり焦げたりはしているが、冒険者たちはトリスを先頭に細い三角形に固まっており死体は見受けられない。 

 さらに周囲を見回すといままで戦っていた昆虫型はその殆どが倒されたようだ。ただ冒険者に倒されたのか、巨竜タイラントのブレスに巻き込まれた結果なのかは焼け焦げた亡骸からは判断できない。


 ギュオオォォ……‼


 巨竜タイラントの咆哮に肌がビリビリと震える。今回の攻撃で自分がやられないと知っていても怖い。ヨウコに言われた通り第一陣の防御手段を観察しようと韋駄天の加速を切って見えるものに意識を向ける。

 いろどりを取り戻した世界で初めに触れた色は青。

 トリスが金髪とマントをたなびかせ両手を胸の前にかざした。すると彼女の前方に巨大な壁が出現する。その形状が盾であると理解したタイミングでトリスが傍にいる仲間に叫んだ。そしてその声に応じるように水色の粘着質の液体が彼らの足元から現れ、巨大な盾を覆う。


 ギュオオォォ……‼


 咆哮と共にブレスが放たれた。吐き出された炎は辺りを赤く染め上げ包み込んでいく。まだ距離はあるのにとんでもない熱量だ。


「トリス……!」

「大丈夫です、よく見て」


 全てが炎に包まれたかに見えた。しかしトリスが操っている巨大な盾は健在だ。炎の濁流をせき止め、後ろにいる仲間たちを赤い暴力から守り切っている。


「あのブレスを凌げるのか……!」


 それ自体は凄いことだし好材料ではあるんだけど、少し違和感がある。閻魔天の予知でその威力を疑似体験しているからか、あそこまで防ぎきれるものか――そんな感覚が芽生えたのだ。


「ん? 盾にHPが、ある……?」


 目を凝らすとトリスの盾が召喚された実体であることや防御のための魔法が付与エンチャントされていることを広目天の力がつまびらかにしてくれる。そして、それとは別に何らかの生物が存在していることも。


「隣の彼がなにかしらの補助をしているようですね。ともあれ――」


 ヨウコがトリスの隣の人物を指差し、それから巨竜タイラントを指した。


「ブレスが止みます。行きましょう、旦那様……!」

「ああ!」

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