第9話 銀髪の猫
「おかしい……こんなの絶対おかしいです」
ヨウコによる呪詛カミングアウトの衝撃から一夜明けた日の昼――ギルド二階の会議室にて。
部屋の隅っこ、俺の隣に座るヨウコはさっきからブツブツとおかしいおかしいと繰り返していた。今日は招集を受けての出勤だ。指名された訳じゃないが、ギルドに重用されるのは大きな一歩だ。
「どうしたんだ? 言ってみろよ、ヨウコ?」
「なにもかも、ですよ」
非常にメンドクサイ雰囲気を放っているが今のうちにガス抜きしておいた方が良さそうだ。俺はどうぞと先を促す。
「第一に今日で三日目です。ヨウコたち三連勤もしてます。働き過ぎです……!」
「……お前がそう思うんなら、そうなんだろうよ。お前の中ではな」
日本の労働者が聞いたら次元の壁を突き破ってお前を引っ叩きに来るぞ?
もっとも身体張って命がけの冒険家稼業なわけだからサラリーマンと同じって訳にはいかないかもしれないけどな。
「第二にギルドの招集だからって家を出るのが早過ぎです。真面目ですか?」
「俺はA型でな、真面目なんだ」
「えー、がたぁ……?」
そこは適当なことを言って流しておく。会議室の端っこは確保しておきたい。でないとヨウコが……入室拒否しかねないからってことにしておこう。今日に限っては半分くらいは俺の為だし。
そんなことを考えていたら会議室の扉が開き、召集を受けたパーティーの二着目がお出ましした。
「やあ、おは、よぅ……」
「団長?」
「あー、ども……」
「……猫だ」
威風堂々と入室してきた彼女の挨拶は珍しいことに尻切れトンボに終わった。市の騎士団団長ベアトリス・リーゼが挨拶を言い淀むことなど滅多にないことだろう。隣にいる銀髪の副団長も怪訝そうな表情でトリスの様子を窺っている。たしか彼女は……ニカさんだったはず。
「あー、ニカ。私は飲み物でも貰ってくる。きつね憑きに挨拶しておいてくれ」
「分かりましたわ」
トリスはこの場を副団長に任せるとそそくさと会議室から出て行ってしまった。逆の立場だったら俺も理由をつけて逃げていたかもしれないが、正直ちょっとショックだ。だけど実際気まずいよなぁ。それと隣からどす黒いオーラが立ち上っている気がする。
「ごきげんようきつね憑き。と言っても、昨日お世話になったばかりでしたわね」
「はい。昨日は団長さんに良くしてもらって……その、ありがとうございます」
傍まで来てくれたニカさんが差し出した手に応えて挨拶する。彼女は団長であるトリスとは対照的な印象だ。銀髪で小柄ながら均整の取れたお人形さんのような体格でお嬢様口調。豪快で男勝りなトリスにない貴族のオーラみたいなものがある。
「そんなに緊張なさらなくてもいいんですのよ? もしかしたら今日もご一緒するかもしれないのですから」
「あ、はい」
「団長の言う通り二人揃ってシャイなようですね? まあ、先ほどはウチの団長もガラになくハニカミ屋さんでしたけれども。勧誘に対して情熱的な答えを貰ったとトリスは言っていましたが、昨晩は……どう、でしたの?」
「い、いやぁ……」
クスッと笑うニカさんの銀髪が煌めく。その目は悪戯好きな子供のように楽し気だ。人は見かけによらないものだ、などと思っていると俺の隣で負の念がズォッと膨れ上がった。
「と、とっ、とにかくギルドからの報告を受けてからまた話しましょう! お互いの力が必要な時は声かけあう感じでひとつ宜しく、ということで!」
「ええ。その時は是非よろしくお願いいたしますね」
俺は固い握手を交わしニカさんとの会話を半ば強引に切り上げると着席した。
「…………」
「……ヨウコぉ?」
「第三にぃ……!」
ニカさんとの会話などなかったようにさっきまでの話題にシフトするヨウコだが明らかに歯ぎしりしているし握りこぶしは震え、きつね尻尾が逆立っていた。
§ §
「第三に、ですよ」
「あ、ああ……」
その話題は続くのかと思ったがヨウコは話したがりだ。ちゃんと聞いてやらないとスネるし、人の集まるギルドに連れてきたことで少なからずストレスを感じていることだろう。見ると先程まで逆立っていた尻尾を身体に巻き付け先っぽを手でいじり始めている。
「旦那様が仕事はやる気満々、新たなメス猫との会話にヤル気満々なことがおかしいです」
どうしてコイツは懲りないんだと言わんばかりの表情で俺のことを見つめるヨウコ。それはこっちのセリフなんだが。
「じゃあ、俺はどうすりゃいいんだよ?」
「ヨウコと魅惑の自堕落な自宅暮らしを送りましょう。仕事はオイシイものだけ選り好みましょう。単独でこなせる依頼なら尚良しです」
「……いや、この街が襲われてんだぞ? 戦ってなんとか出来るもんなら戦って、守れる人がいたらそれでいいじゃないか? 報酬が欲しいのは確かだけどさ」
「……え?」
俺の答えにヨウコは目を丸くして固まった。その顔にはこの人はなに言ってんだと書いてあった。
「旦那様? なにを、真っ当な、真人間みたいな? ことを仰っているので?」
「そうだったな。お前さんの旦那様は最低のクズだったもんな……怒るぞ?」
「いやだって、旦那様が世のため人のため、みたいなことを言ってるものですからヨウコさっきからあちこち痒いです」
「尾っぽの毛を
本当に痒いのか尻尾の毛をぶちぶち毟り始めるヨウコ。やめなさい、毛が散る。
しかしこう痛々しい相棒の姿を見ていると今日ばかりはギルドからの呼び出しを拒んでも良かったのではないかと思えてきた。ヨウコを社会復帰はさせたいけど、ストレスで潰してしまっては元も子もない。いまなら他のパーティーも市の騎士団だけだ。なにかしら理由をつけて抜けるのもアリかもしれない。そう思い腰を浮かしかけた瞬間。
「よいではないですか。世のため、人のため、敵を切る。よろしいことです」
「「…………」」
俺のすぐ隣でニカさんが会話に加わってきた。部屋の隅の長机、そのまた端っこに座る俺達のすぐ横に彼女はお人形さんのように鎮座していた。
俺が話を切り上げた後にニカさんはなにを思ったのかココに着席してきた。いままで話しかけてはこなかったが正直プレッシャーがハンパじゃなかった。ヨウコがぶちぶちしてるのも彼女が原因だろう。というか、なんでそこに座ってんだ?
「そ、そう……ですね」
「ええ。闇雲に振るわれた剣などというものは暴力に過ぎません。何事も目的意識というものが肝要です」
「へ、へぇ……」
鈴の音を鳴らすように笑い俺たちを流し見るニカさん。その真意は掴み取れない。容姿のせいか人形に語りかけられているかのような錯覚を覚える。そんな地に足つかない感覚の中、ニカさんの薄い唇が開いた。
「ねぇ、きつね憑き? あなたの目的、目指すものとはなんですの?」
「……え?」
唐突な問いかけ。それは今日の天気を尋ねるような気軽さで発せられた。けれどその瞳は楽しげであると同時に鋭い。まるで答えを持ち合わせない者には価値などないと語っているようで、背筋が震えた。
「あ、あっ……」
「教えてくださらない? きつね憑き」
蛇に睨まれた蛙っていうのはこういうものなんだろうなと頭の中で誰かが呟く。どうしよう。こういう問いかけだとか語りってヤツは苦手なんだ。俺はなにか答えられるような人間じゃない。それに話し過ぎると墓穴を掘る。異世界からの転生者だなんて、ヨウコ以外には話せたもんじゃない。ああ、どうしよう。怖い、怖い。
「ねぇ、きつね――」
「私の旦那様に絡まないでくれませんか?」
「あら、蝕み姫……いましたの?」
「ええ。それより、私達の名前をニャーニャーと
ニカさんの催促を遮って立ち上がったのはヨウコだった。まずい。コイツが他人相手に舌が回るときってのは大抵キレてるときだ。
「おい、ヨウコ……」
「
「聞かれた相手が困っていたら追求は慎むべきです」
「ごめんあそばせ。私そのようなつもりはありませんでしたわ」
ヨウコの剣幕を物ともせずにニカさんはニコニコとしている。この人かなりいい性格だな。
ここで終わりにすればいいのに気が立ってるのかヨウコがさらに噛み付く。
「そんな質問をする前にご自分はどうなんですか? 哲学めいた問いかけの答えを他人に要求する前に自身を見つめ直したほうがよほど建設的ですよ?」
「あらまあ、そうですわね。とはいえ私の目的などは面白みにかけますわよ?」
ヨウコの質問返しにも動じずにポンと手を叩くとニカさんは蕾がほころぶように笑みを咲かせた。その姿にビビっていた自分が嘘みたいに目を奪われしまう。
「私の目的はトリスの剣になること。彼女が行く道をともに切り開き、彼女が作る未来を見たい。そんなところですわね」
その笑みは自分だけの宝物を自慢する子供の様に無邪気で、迷いなく自身の在り様を言い切れる姿は清々しく恰好良かった。ヨウコも少なからず衝撃を受けたのか目を逸らし『そんなの聞いてないんですけど』と歯切れ悪く答えるしか出来ない。
「ふふっ、私の自分語りなどは些末な事ですね。それより、蝕み姫の気になってるところをお答えしましょう。目下、私は愉しむために動いております」
「「……うん?」」
ニカさんの笑みが幸せから異質なものへコロリと変わった。その正体は嗜虐だ。
「猫とは気まぐれで好奇心旺盛。そして愉しいことが好きなもの。たしかに私、猫のようなヤツだとトリスに言われたことがあります」
クスクスと笑う彼女の様子に俺達は顔を見合わせる。するとヨウコのきつね耳がピクンと動いた。しまった、他のパーティーがやって来たか。扉の方を見やるとちょうどドアが開き、何人もの声と共にトリスが姿を現した。
戻って来るのに随分時間がかかってるとは思っていたけど、他のパーティの代表と合流していたようだ。彼女の後にぞろぞろと冒険者が続いてきた。こうなったら帰るのは難しいか。
市の騎士団に限らずトリスは人の輪の中心にいる姿が栄える。それは彼女の人柄や、見た目を含めた魅力のなせる業なんだろう。人を引き連れているのが当たり前といったその姿は眩しい。トリスは快活に話しながら堂々と歩みを進めていく。
「なっ……⁉」
「にゃ~ん♪」
ところが俺達――正確にはニカさんの姿――を捉えた瞬間その歩みがびしりと止まり、トリスは目を丸くした。周囲が怪訝そうにするなかニカさんがトリスに向けて小さく鳴いてみせた。それで全てを察したのかトリスが苦虫を噛み潰したような表情になった。ああいう顔もするんだな。
ぶちぶちぶちぶち
逃げ道が塞がれたことを俺が確信すると同時、ヨウコが小さく恨めしそうな呻き声を漏らしながら尻尾の毛を毟り始めた。今日ばかりはサボれば良かったのかもしれない。
「面白くなってきましたわ……!」
その銀髪に負けない煌めきを瞳に宿してお人形さんのような彼女はその身をワクワクに震わせている。
市の騎士団副団長のニカさんは愉快犯にして確信犯だ。
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